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ひょっとこの引き戸を開けた。暖簾が額にあたる。
美羽は空を見上げて、星を見た。
オリオン座がちょうど目の前に来ていた。
「あー、お腹いっぱい。オリオン座も綺麗に見えて良いこといっぱい。今日はぐっすり眠れそう……」
ひょっとこを出てすぐに右方向の駅に向かおうとした。
「おいおいおい! 話が全然終わってないだろ」
拓海は美羽の腕を掴んで引き止める。とぼけたふりをした。
「そう、だっけ」
「食うだけ食って、はい終わりですって食い逃げもいいとこだな……」
「ははは……わかったよ、あそこのカフェにでも行こう」
美羽は、静かなところで集中して話を聞こうと駅近くの夜遅くまでやっているカフェを指をさす。
「あ、ああ。それなら、いいけど」
緩んだネクタイを締め直して、美羽の隣に歩幅を合わせて歩く。
なかなか良い雰囲気に持って行けてないことにヤキモキする拓海だった。
カフェのドアに付いたベルが鳴った。
白い髭を生やした店員が低い声で挨拶した。
昔ながらのレトロな喫茶店だった。とろけるプリンが人気のお店だ。
美羽は、ここのプリンが大好物だった。食べられるという企みもあった。
お仕事案件で、プリンのイラストを描いたこともある。
テーブルに水の入ったコップとおしぼりを置きながら、メニューの注文を待っている白ひげおじいさん店員は、ずっと何も言わずに立っていた。少し緊張しながら、拓海は自然の流れでコーヒーとプリンを2人分注文した。
「ーーそれで、さっきの話の続きなんだけど……」
美羽は窓の外を見ていた。
「イルミネーション綺麗だね」
思いがけず、窓際の席から街路樹のイルミネーションが見えた。
なかなか話が進まない。
「あぁ、そうだな」
「……ごめん、話あったんだよね。なんだっけ」
やっと話せると思った拓海は深呼吸して、声のトーンを落とした。
「美羽、結婚を前提に付き合ってほしい。アメリカの転勤を含めて一緒に暮らしてほしいんだ。不自由な暮らしは
させないつもりなんだけど、どうかな」
後頭部をポリポリとかきながら、恥ずかしそうに言う。
しばらく何も言えなくなった美羽は、あんぐり口を開けて、深呼吸した。
「ちょっと、話がおかしいかなって思うんだけど、私たち正式にお別れしたよね。今って元カレと元カノって
状態じゃなかったの? え、ん? ちょっと待って、今のは、もしかしてプロポーズした?」
やっと状況を飲み込んだ美羽は、急に耳まで真っ赤な顔をさせた。恥ずかしくなっている。
「そう、別れたよ。でも、ダメ元で聞いてる。一応は、プロポーズのつもりだったけど、変だったかなぁ」
「え、だって、拓海にはたくさんの交際相手がいて、1人に絞れないゲスな男じゃなかったの? 浮気性じゃん」
「いつから俺はプレイボーイになったんだよ。そりゃ、1人くらい寄り道したけど、俺は、美羽しか大学卒業してから付き合った人いないから。浮気ってどこをどう見てそうなるんだよ」
「えーー、嘘だ。今のプロポーズだって結婚詐欺……。騙してるんじゃないの? あ、私、拓海よりお金持ってないから詐欺も意味ないか。だってさ、あの時、拓海の部屋にピアスと歯ブラシと、台所のスポンジが可愛いのあったから! 私以外の本命がいると思っていた」
「あー、それ? まんまと引っかかった感じじゃん。俺、いつになったら同棲するのかなって美羽にフラグ作ってただけだし、交際相手の忘れ物じゃなくて、美羽に使ってほしくて買ってたんだよ。何を勘違いしてんだよ。想像力? 妄想力が高すぎるよね。俺はずっと美羽しかいませんでした」
「……一途すぎん?」
「なんで嫌な顔してんだよ。そこ、喜ぶところだろ」
「……」
突然、シリアスな顔をする美羽は、コーヒーを砂糖とミルクを入れてカフェオレにした。
返事をじっと待つ拓海。
「え? 何か期待してる?」
「何も言わないのかよ」
「今すぐ はい、行きますとは言えないよね」
「12月25日」
「え? クリスマスだね」
「俺、その日に日本を出るから。成田空港」
「成田空港?」
「待ってるから、飛行機のチケット買って。成田空港に来て。返事そこで聞かせてよ。時間はそこまでしか待てない。それまで真剣に考えて。俺が言いたかったのはそれだけ。そろそろ帰るよ。明日も仕事なんだ。朝早いし」
拓海は言い終えると席を立ち上がった。美羽は、そんな重要なことすぐには決められないと感じた。追いかけることもせず、ずっと席でぶつぶつと考えていた。拓海は、そのまま喫茶店を後にした。
「空港……成田……アメリカ?」
キラキラと青く光るイルミネーションを見つめ続けて、お店の閉店ギリギリまでぼんやりと過ごした。
走馬灯のように拓海との出会いからを思い出していた。
最初に出会った大学のテニスサークル。ひとあせ流した後、校舎の脇の通路を通ってよく通った定食屋を思い出した。
いつも決まって美羽はとんかつ定食を食べて、また育つ気かとツッコミをされた。
一緒に行った絶叫マシンがある山の中にある遊園地。
怖がる拓海を見るのが楽しかった。
イルカショーを見れる水族館。初めて恋人繋ぎをした場所。
魔法使いになれたり、ゲームの世界に入り込んだりできる大阪の遊園地。
ゾンビダンスで本気で逃げ回る拓海が面白かった。
最後は拓海が住んでいるアパートの近くにある小さな公園。
喧嘩してブランコに乗って仲直りしたこともあった。
直近では颯太と初めて会った場所でもある。
あの時の拓海を浮気じゃないかと疑ったあの日を思い出す。
あそこで颯太に会わなければいつも通りに仲直りして平穏な日々を過ごしていたのだろうか。
それとも別れて独り身のままだったのだろうか。
目をつぶって考える。
今、1番に思い出すのは誰だろう。
居心地の良い人。
喧嘩の間に入って救ってくれた。
私のことを必要だと泣いて別れを惜しんでくれた。
まだ見えない豆粒にしかなっていないお腹の中の赤ちゃんの父親。
無意識に足が動いていた。
温かい空気に包まれていたあの空間。
ほんわかして居心地がよかった。
インターフォンのボタンを押した。
中からきっとあの人が出てくるだろう。
時間は午後6時過ぎだった。
何も言わずガチャとドアが開いた。