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翌日の放課後、生徒会室に行く前に、図書室で借りた本を返しに行った帰りだった。
廊下の曲がり角を曲がった瞬間、背筋をひやりとした風が、一本の冷たい指のようにゆっくりとなぞった。寒い時期で、窓は閉まっているはずなのに――そう思って振り返ると、数メートル先に人影が立っていた。
逆光で顔は見えない。ただ制服の肩口から伝わる力の抜けた立ち方や、僅かに傾いた首の角度が、どうしようもなく既視感を呼び起こす。
「……神崎?」
思わず名前が口をついたが、影は返事をしない。次の瞬間、足音ひとつ立てずに廊下の奥へ消えていった。不信感が拭えなかったせいで追いかけようと、一歩踏み出したとき、教室の扉から顔を出した奏の声が俺を呼び止めた。
「蓮、慌てた顔してどうしたの?」
「いや……今、誰か――」
言いながらふたたび前を見ると、そこにはもう誰もいない。ただ、夕方の斜光が廊下に長く伸びた影を落としているだけだった。
あの背中が本当に神崎だったのか、それとも別人なのか、確かめるすべはない。けれど昨日から続くあのざらつきは、今度は皮膚の下じゃなく、胸の奥でじわじわと広がっていく。
(やはり……俺の気のせいじゃない)
そう思った瞬間、耳の奥で例の声が蘇った。
――「全部か?」
あれはもう、ただの記憶じゃない。これから起こるなにかを告げる、不吉な鐘の音のように響いていた。
胸の奥にひりつくような痛みが広がっていく。もし、さっきの影が本当に神崎だったとしたら。あの視線の先にいたのが――俺じゃなく奏だったとしたら。
(……奏は、神崎になにを見せている? 俺がまだ知らない顔を、神崎だけが知っているのか?)
そんな考えは馬鹿げていると頭ではわかっているのに、心臓の鼓動は言うことを聞かなかった。握った拳に爪が食い込み、痛みだけが現実をつなぎとめる。
教室の前で心配そうにこちらを見つめる奏の笑顔が、かえって遠く見えたのだった。