「お帰り、結葉。門限、過ぎてるんだけど?」
ただいま、と玄関を潜るなり仁王立ちで待ち構えていた偉央と目が合って、結葉はドキッとしてしまった。
「ごめんなさいっ。楽しくてつい……」
言ったら、「タクシーの中、男も乗ってたよね?」と聞かれて――。
帰る方向が一緒の数名で乗り合わせた中に、確かに男の子が混ざっていたことは事実だ。
結葉は偉央と一緒に、タワーマンションの上層階に住んでいる。
家の立地は『みしょう動物病院』と道路を挟んだ向かい側。
メインストリート沿いに建っているマンションとはいえ、田舎のこと。
夜中ともなればめっきり交通量も減るから、マンション前にタクシーが停まれば確かに目につく。
だけど一軒家なわけではない。
タワマンの上層階にいるはずの偉央が、まさか見ているとは思わなくて。
結葉は完全に気を抜いていた。
タクシーの中の様子まで見えていたということは、偉央はロビーにいて結葉の様子を見ていたんだろうか?
そう思い至った結葉は、とても軽い気持ちで思ったのだ。
(偉央さんってば、見てたんなら声をかけてくれればよかったのに。そうしたらみんなに主人ですって紹介できたのにな。……それに一人で部屋に上がったりしないで、エレベーターホールで待ってて欲しかった)
と。
その当時の偉央は結葉の外出や交友関係に、今ほど口出ししなかったから、結葉はのほほんとした気持ちで答えた。
「うん。たまたまお店で出会ってね。懐かしくて合流しちゃったの」
本当にやましいことなんて何ひとつなかったから。
そう言って小首を傾げた結葉に、偉央はいきなり片手で結葉の首をグッと掴んで壁に押し付けてきた。
「い、ぉさっ――っ!?」
驚きと恐怖と息苦しさに涙目になった結葉を、偉央が見たこともない冷ややかな目で見下ろす。
「門限を破った上に、男が居ただなんて僕、聞いてないんだけど? 女子会だって言うから安心して結葉を送り出してたのにね。何で男と合流する前に、大丈夫かどうか僕に許可が取れないの? 携帯、ちゃんと持たせてたよね?」
いつもは優しく穏やかな偉央に、息が詰まるほどの力で首に手をかけられたことが信じられなくて――。
結葉は一生懸命偉央の手を握って涙目で「離して欲しい」と訴えた。
でも、その様を当然の報いだとでも言いたげに、偉央は冷ややかに見つめてくるだけで。
「僕はね、結葉。キミが可愛くて仕方がないんだよ。キミとふたりきりの暮らしを守るために細心の注意だって払ってる。だけど――」
そこで、結葉の首をさらに強い力でグッと押さえつけて、偉央が彼女の唇を塞いだ。
「……んっ、ぁっ」
偉央は、酸素を求めて小さく喘ぐ結葉の口を割って舌を侵入させると、彼女の口の端から唾液が落ちるのもお構いなしに口腔内を蹂躙する。
息苦しさに結葉の身体から力が抜け、意識を失いかけた頃、やっと偉央が結葉を解放してくれて。
「結葉がそのつもりなら僕もキミへの接し方を変えないといけないね」
咳き込みながら一生懸命息を吸い込む結葉を見下ろして、偉央はそう宣言したのだ。
以来、結葉はとても厳しい管理下に置かれるようになってしまい、昼間の外出さえもままならない身になって今に至る。
***
『結葉、貴方旦那さんからDV受けてるんじゃないの?』
低めるようにして告げられた琳奈の声に、結葉はゆるゆると首を振った。
「DVだなんて……! 偉央さんはとっても優しい人だよ?」
本当は、幼なじみの言葉に冷水を掛けられたような気がした結葉だ。
だけどそれを認めてしまったら、偉央との結婚生活が破綻してしまう様に思えて認められなかった。
『だったら! 余計だよ、結葉。同窓会、出ておいで? 幹事には私から出席って伝えておくから。ね?』
「あっ、でもっ」
結葉が慌ててそう言い募った時には、琳奈から『じゃあ私、早速津田くんに連絡入れておくから。絶対来るんだよ!?』と一方的に捲し立てられて電話を切られてしまっていた。
結葉はツーツー、という音が聞こえてくる受話器を手に、琳奈に折り返すべきか否かを迷ってやめた。
電話機から履歴を消すことは出来ても、電話会社に問い合わせれば通話履歴が取り寄せられるというのを、結葉は前に偉央から聞かされたことがある。
だから小細工はしても無駄だよ?と妻を牽制したんだろう。
きっと今夜、結葉は琳奈からの電話について、偉央から問い質される。
琳奈が、結葉も同窓会に参加すると伝えてしまうことになってしまった今、結葉の前には乗り越えなければならない問題が山積みになってしまったように思えた。
(同窓会、すっぽかしたら琳奈の顔に泥を塗ることになっちゃうかな)
(当日に、体調が悪くなって行けなくなっちゃった……とか連絡するのはどうだろう。ドタキャンはダメかな)
(今夜の偉央さんからの尋問を乗り越えるだけでも無理な気がするのに、私、どうすればいいの?)
(偉央さんに素直に……話す? でも、成り行きとはいえ同窓会に行くことにされてしまったって言ったら、結局彼を怒らせてしまうよね。怖い……)
結葉の頭の中はそんな考えで一杯になった。
とにかく結葉は、偉央の機嫌を損ねてしまうことが、怖くて堪らないのだ。
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