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ふらふらと足を運ぶ男がいた。いくら歩こうが景色は変わった気がしない。いい加減飽きたところだ。無限に広がる砂漠は、足をつくと埋まってゆく。男の体を飲み込もうと必死の様子だった。
男はいつでも倒れることができた。しかし、倒れかけようが何度でも踏ん張り、進んだ。
すでに死にかけの脳は、生きていれば良いことがあるなんて、甘ったれた思考は出していない。
体のどこからか。心臓か。いや、魂と呼ぶべきか。それが無理にでも体を動かした。
人間は水分があれば生きてゆける。視界がぼやけては、水の入った筒を口に運んだ。何度も何度も繰り返した事で、筒の中身は底を尽きかけていた。
辺りで水を補充したくても、地面は砂で埋め尽くされており、水分の一滴すら感じさせない。
数年前では考えられない。広大なオアシスがあったらしい。それが突然、姿を消したと聞いた。
もちろん、その説明しようがない謎を解明する為、自然研究家の男はこの地に足を踏み入れた。
メディアでは、砂漠の気候では降水するのが稀だから、時期が悪く、数年間一度も雨が降らなかったからだろうと片付けた。
これに対し、男はどうも納得がいかなかった。詳細では、オアシスがたった一日で枯れたとの事。旅人がこぞって水を持ち帰ったか、地球外生物による仕業か、色々な憶測を立ててみたが、どれもしっくりこなかった。
現地に行けばなにか掴めると思い立ち、今に至る。しかし、残念ながらヒントのかけらも無く、ただ歩くだけ。水分が無くなれば流石に魂も消えてしまうだろう。刻一刻を争う中でゆらゆらと歩いていた時、気になる声が耳を通った。
「おぎゃー。おぎゃー」
それはまるで赤子の泣き声であり、どこか存在に気づいて欲しいという、想いの伝わる声だった。
突然の事に、おぼろげだった男も我に戻り、声の方向に進んだ。
声の元に辿り着くと、「気のせいか」と、「まさか」を何度か繰り返した。同じ状況下なら誰だってそうなるだろう。喉の渇きと暑さで錯乱状態に陥り、現実と幻覚の境が分からなくなっているからだ。ましてや、砂の上に転がる物など一つしかなく、それ以外に音の発信どころを感じられなかった。 それとは球体のことであり、違和感なく地面を写すほど透明色で、大きさは人間の眼球と同じ程だ。
球体を眺めていると、小さく「おぎゃー」と泣き出した。不思議と赤子のような愛おしさを感じさせ、無意識でそれに手を差し伸べた。
パシャっ。
数ヶ月経ったある日。自然研究所にて。
「念入りに捜索をしてみましたが、残念ながら… 」
捜索隊は歯を食いしばり、俯いた。
「そうですか。ご協力ありがとうございました。わたし共はリーダーの帰りを祈りながら、また研究に励みたいと思います」
研究員の何人かは、涙を流す者もあった。
探索隊を見送った後、研究所内では、夏の季節とはほど遠い、冷たく重い空気が流れた。
沈黙が長引くほど、体に感じる重力が増すような気分。このまま押し潰されるのではないか。そのような中、研究員のサブリーダーが言葉を発した。
「リーダーは見つかっていないが、この世を去ったと断言はできない。我々の仕事を全うしよう。リーダーが気にかけていた砂漠の調査を継続するのだ」
その発言を拾った一人の研究員は、ため息混じりで言った。
「サブリーダーの強い意志は伝わりました。しかしながら、この件は不可解な事が多過ぎる。人間的でない、超常的なものです。追跡を深めると命を落とす危険性が高いはずです。ここできっぱりと調査をやめましょう」
サブリーダーの声は冷たい空気を払いのけ、徐々に熱さをまとわせた。
「だからと言って見逃すわけにもいかないだろう。超常的かどうか、判断を下すのはまだ早い。実際にあの砂漠に足を運び、この目で確かめる必要がある。気が進まないなら降りればいい。わたしはやり遂げる」
「そうですか。勝手にして下さい」
研究員の一人は颯爽と荷物を片づけ出した。その様子を見た周りの研究員らも、分身人形の如く、同じ行動を取り出した。
サブリーダーの心境には、さっきまでの悲しみとは真逆の、腹立たしさが芽生え出す。こいつらの仕事への姿勢はこんなものか。頭脳明晰で引っ張ってきた、リーダーへの忠誠心はこんなものなのかと。
怒りを脳内で充満させたところで時間の無駄だと、捜索隊から送られた数少ない資料を漁り出した。
その時、研究所の出口から悲鳴が聞こえた。
悲鳴の声は聞き慣れた声。先ほど荷物を片した研究員だ。そちらの方に顔を向けると、尻もちをつき、震え上げる様子があった。
「何があった」
研究員の元へ駆け寄り、指を刺す方向を見ると、そこには綺麗な透明色の、小さな球体があった。
「何だこれは。何をそんなに怯えているのだ」
「喋ったのですよ。この球体。しかも、リーダーの声で」
サブリーダーは大きくため息を吐いた。それもそのはず。この研究員は度胸や忠誠心も無ければ、しまいには頭まで狂ってしまったようだ。
「久しぶりに見る景色だ。サブリーダー。わたしのいない間、ご苦労だったな」
その声を聞き、サブリーダーの怒りは限界を超えた。こんな時に、録音テープでリーダーの声を流し、からかうような悪趣味をもつ奴は誰だと、皆に詰めた。だが、誰もが首を横に振り、場は混乱に陥った。
「どうした。君らしくない。冷静に物事を判断する、頼もしいサブリーダーは消えてしまったのかい」
二度目の聞き取りにより、音の場所を突き止め、目を丸くした。何と言う事だ。球体からリーダーの声がする。やはり録音テープではと、球体の辺りを見回したが、発信元は球体以外考えられなかった。
複雑な心境。リーダーが帰って来てくれた喜びと、面影のない姿。理解不能な物体の訪れにより、脳の処理が上手くいかず、今にもオーバーヒートを起こす手前。なんとか意識だけを保つ状態に至ったが、それも数秒後には無駄に終わる。
「なんて綺麗な球体でしょう。触れてみたいものです」
透き通る体をし、不思議と愛おしさを感じさせる球体に、思わず研究員の手が伸びた。吸い込まれてゆく感覚に近いのかもしれない。指が球体に触れた瞬間だった。
パシャっ。
水飛沫をあげ、瞬時に姿を消した研究員。この光景を目の当たりにし、サブリーダーの視界はフェードアウトした。
ぼんやりとした景色。夢と現実の狭間の世界を彷徨っているような、気分の良い感覚。
「お目覚めですね」
見知らぬ男と、純白の天井が目に映った。
「ここはどこですか」
「病院ですよ。気を失ったあなたが運ばれて来ました。検査は既に済ませ、異常箇所は無いとはっきりしていますので、ご安心を。過度なストレスが一気に加わった為と思いますので、少し休まれたら離れてもらっても構いません」
そう言うと医師は去っていった。患者が多いのだろう。異常のない患者に、これ以上時間をかけるより、一人でも病人を救った方が賢明であり、全うだ。
未だぼんやりとする中で、医師の去ってゆく後ろ姿を眺めていると、今度は横から声がした。
「お目覚めですね。安心しました」
声の方を見ると、一人の研究員が椅子に座っていた。
「君が運んでくれたのか。感謝する。しかし、かなり迷惑をかけたね。もう君は研究員を辞めた身なのに」
研究員は、少し照れくさい様子だった。
「それが、まだ研究員として残らせてもらいたいです。サブリーダーの今の精神状態で、どうも去る気が起きませんし、あの超常現象を目の当たりにした時、研究員としての魂がうずきまして。勝手ながら残る判断としました」
「それは頼もしい。心から感謝する。しかし、あの後どうなった」
「あの球体は今、国の宮殿内で管理しています。我々の手で管理していいものか判断が出来なかったので、国家危険対策本部に連絡した所、王の元で管理すると、厳重に持ち帰えられました」
「そうか。となると、球体に関して我々の手で調査は進められないか」
「現物調査は無理です。しかし、資料等による別方向の調査を進めてくれと、直々で指令がありましたので、仕事はまだまだありますね」
「でかした。呑気に休んでもいられないな」
二人は、颯爽と病室を立ち去った。
一方宮殿内では、持ち帰った球体の調査を進めていた。研究員から伝達された事前情報を明確化させる為、死刑判決を下されていた囚人の一人を連れ出し、球に触れさせた。
辺り一面に水飛沫をあげ、姿をくらました様子から、情報は確かだと思えた。
誰しもが驚嘆する中で、参謀は一人冷静にものを考え、発言した。
「この球体は、神様による贈り物かもしれませんね。この現象を、現代の文明で再現する事は不可能。いくら我らの文明が進化したとて、一定の水準からは大きな変化を遂げる事は難しい。それを哀れに思った神様が、人間界に送ったのでしょう」
「なるほど。この球体をうまく活用すれば、新たな文明を創り出す可能性があると言うわけか」
「そうです。色々と試してみる価値はあるでしょう」
それからの事、球体には様々な実験が行われた。いくつの人間を飲み込む事ができるのか。人間が食事をし、肥えるように、球体にも変化が現れるのか。数十人の囚人を投与したが、変化は起きなかった。次の実験に移る。
どんな物でもすり潰してしまうような、正方形の鉄の塊を落とし、毒薬をかけ、高電圧を流したりもした。
しかし、どれも大きな変化は得られず、球体に傷一つつける事はない。実験は現状維持を続け、作業が単純化になってゆく。案の数が減ってゆき、最後の希望とし、沸騰させた水をかけた。希望と言っても諦めが大半を占めており、いい加減な気持ちだった。だが、それは思わぬ変化へと向かった。
「おぎゃー。おぎゃー」
実験室内を大きく振動させる赤子の声。赤子の泣き声にしては力強く、おぞましい。この世の終わりを知らせる音だと錯覚してしまう。
あまりの騒音に失神してしまう者もいた。耳を塞ぐ行為が遅れたのだろう。このままでは全滅してしまう。参謀は、咄嗟に囚人の一人を球体に投げ込んだ。頭の切れる人間ではあるが、理解した上での行動ではない。生存本能が勝手に指令を出し、動かしたのだ。
囚人は一瞬にして水飛沫となり消えた。すると不思議なことに、何事もなかったかのように赤子の声は去った。ほっと一息つく間もなく、冷や汗を拭い、明確に伝えた。
「実験は中止です。これは我々の手に負えるものじゃない。今すぐ危険物管理室に閉じ込めなさい」
参謀の指令通り、球体はすぐさま管理室に移動させた。管理室は他の危険物質を管理している為、密閉されているのはもちろん、特殊金属で作られた頑丈のケースに収めたり、設置された赤外線で温度変化を感知すると、それを抑え込む粘土状の物質を放出したりと、危険物質の特性に合った対策が施されている。その為、球体には誰にも触れられぬようケースを設置し、あの声が発せられた時の対策として、防音材をたんまりと敷き詰めた。
これで全てが解決したと思われた。ただ、これも束の間のこと。しばらく日が経つと、管理室から赤子の声が漏れ出した。その声は鋭く部屋を貫き、宮殿内を覆った。
そうなれば、囚人の一人を投入し、落ち着かせる。ただ、これがいつまで続くのか。泣き声を抑える為に囚人を使うと、短い先で一人として餌はいなくなるだろう。
そうなればお手上げだ。一般市民を巻き込むわけにはいかない。事情を話したところで、志願して近づく馬鹿はいないはずだ。
参謀は頭を悩ませたが、いい策など見つからない。いっその事、球体に飛び込み、思考する事を放棄してもいいのではないか。ただ、それを実行しようとすると、手前で自制がかかった。
頼りになる存在が精神的に参った。そんな様子を見た王は、球体を広大な海に投げさせるよう指令した。球体を管理していた様子から、球体内の水分が減れば泣くに至る。まさに赤子が腹を空かし、泣くのと同じだ。しかし、こいつは球体であり人間ではない。初めはその小さい容姿から、不思議な愛おしさを感じたが、今は腹立たしさ
を感じさせる。
こいつを海に放り込み、無限の食材に埋もれさせてやればいい。もちろん、無限と言いつつ有限であるだろう。実際にこの球体が砂漠のオアシスを枯らした事は、自然研究科による調査の元、明確化されている。広大な海も、いつか枯れる時が来るかもしれない。そうなればお手上げだ。人類の全てを飲み込んでくれと、身を捧げる覚悟でこの行為に至った。
球体は海に落とされた。憎さをまとうその姿は、あっという間に深い底へと直行し、同じ色へと溶けていった。
球体が海に落とされて数日が経った。海には、水面から底に続く水位計を設置し、変化の調査を記録していた。だが、一向に変化は見受けられなかった。
広大すぎるせいなのか、もしくは、未実験であったが、塩を含んだ水が効いたのかもしれない。ど
のみち万事解決で済んだ。
しかし、この件とはまた別の大事件により、宮殿内は騒がしくなっていた。
それは王の失踪。追跡する為の跡を残さず消えたのだ。
犯罪組織による、誘拐の可能性が先行して考えられたが、王室は言わずも知れた厳重な警備が施されており、部屋の前には複数人の兵が常に監視をしている。
室内は窓も無ければ隠し通路も無い。通るには警備兵を掻い潜らなければならない。それも簡単ではない。兵士一人一人が優れた武力的能力を持つ。犯罪組織による誘拐は極めて困難で、兵が眠りについていたと考える以外は方法はないだろう。
だが、それも有り得ない事だ。各々が眠らないよう監視の意味も込め、複数人を配置し、眠ればそれだけの罰が科される。重職であり、強い意志で警備に至る必要があるからだ。
例え、犯罪組織が催眠ガスを撒こうが、早期に発見し、抑制する装置も備えてある為、眠らす手段も不可能である。どう考えようが、王の失踪に繋がる条件を満たさず、お手上げの状態となった。
そんな中、王室内を調べていた者から、一つ気になる点があると伝えられた。
部屋に置かれた骨董品は一ミリも動かされた様子はなく、荒らされた形跡は一つもない。ただ、玉座に触れたところ、少し濡れた感触があったらしい。もしやと思い参謀に伝達したところ、一つの仮説が立てられた。
それは神様の呪い。贈り物である球体を粗末な扱いをし、怒りを買ってしまったのではないだろうか。
神様の仕業なら辻褄が合う。人間を消すなど容易いはずだ。人徳に溢れた偉大なる王のこと。事態を飲み込み、喜んで命を差し出しただろう。多くの人間が今もなお、変わらぬ日常を過ごす様子がその表れだ。そうなれば、残った人間もやるべき事を全うしなければならない。溢れ出す涙を何度か拭い、参謀は後継の準備と、偉大な王の葬儀を進めた。
皆の努力があり、葬儀は華やかで、大々的に開かれた。
快晴の中、多くの人々が温かい眼差しと心を送り、雰囲気を感じた小鳥たちは、可愛らしい歌を奏で、王を送った。
葬儀は無事に終わった。しかし、後継の儀は未だ開かれていなかった。後継者がいないからではない。
王には一人の成人した息子がいた。順当に王の地位を引き継ぐはずだったが、急遽の事で彼は戸惑い、王になる事を拒んでいた。
無理もない。まだ若く、夢を持った青年が、いきなり多くの人々を束ねてくれと言われたら、責任感で潰れてしまうだろう。ただ、そのような理由で後継を取り消すわけにもいかず、優れた人間が周りにおり、しっかりと補佐すると宥めた。それでも無理の一点張りで話はつかない。
参謀はどうしたものかと頭を悩ませ、苦渋の決断ながら、王のいない新たな時代を築く案を提案した。しかし、周りの者は猛反対し、無策となってしまった。
宮殿関係者の疲労は既に上限に達しており、新たな閃きや、王子を慰める気力は薄れ、次第に消えていった。
このたまらない状況で、参謀の口はつい滑ってしまった。
「こんな時、王がいれば…… 」言ったところで無駄なのは分かっている。だが、言わなければ気が済まない。ここで王が現れ、また我々を導いてくれればどれほど助かるか。
その時、閉じられた王室の扉がゆっくりと開かれた。
皆は疲労の限界から、幻を見た気がした。偉大な王が帰ってきた幻… 。
「父上が帰ってこられた」
王子の発言は、皆の意識を呼び戻した。
何を馬鹿なことを。と、否定する者は一人もいなかった。それが現実であって欲しく、現実であるからだ。
ゆっくりと近づく王の姿は、神々しいオーラをまとっていた。あまりの眩しさに目を閉じてしまいそうになる。どこも変化のない容姿。行方不明中でも、食に困ることはなかったのだろう。
やはり幻ではと、目を擦ったところ、王の姿は消えずに残った。自然と雫が溢れだし、視界がぼやける。自ら幻にしているようだった。
騒動で人一倍尽くしてきた参謀は、王の帰還による安堵で、全身の力が抜けた気がした。そして、自然と意識が遠ざかり、地面に激しくもたれかかった。
そのような事は気にも止めず、周りは王のそばへ急いだ。今は地位などにとらわれず、無礼も承知で王を囲い、そして包んだ。
久々の帰還。話さなければいけない事は沢山ある。聞かなければいけない事も沢山ある。ただ、今すぐに必要ではないだろう。向けられた愛を受け取り、王は口を開いた。
聴き慣れた声で懐かしさを帯びた声。それは小さく、王室でしか響かない音で響いた。
「おぎゃー」
パシャっ。