テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
夕闇が迫る江戸の町外れ。
人通りの絶えた古びた神社の境内で、私は一人、彼を待っていた。
懐には、ぐしゃぐしゃに握りつぶした、暁さんと瓜二つの顔が書かれたあの手配書。
腰には、いつになく重く感じる『薊丸』。
「暁を誘い出し、仕留めろ」という組織の命に従ったふりをして、私は彼をここに呼び出した。
けれど、私の心にあるのは殺意ではない。
ただ、彼の口から「嘘だよ」という言葉を聞きたい。その一心だった。
「待たせてごめんね。……少し、風が冷たくなってきたかな」
背後から、聞き慣れた穏やかな声が響く。
振り返れば、そこにはあの日と同じ、漆黒の着物を纏った暁が立っていた。
彼は私の強張った表情に気づいているはずなのに
困ったような、けれど柔らかな微笑を浮かべている。
「……暁さん」
声が震えた。
私は一歩、彼に歩み寄る。
鬼狩りとしてではなく、一人の少女として。
縋るような思いを瞳に込めて、私は言葉を紡ぎ出した。
「あの、実は……こんな手配書が出回ってるんです」
私は躊躇いながらも懐から皺だらけの紙を取り出し、彼の前に差し出した。手配書には暁さんと同じ顔が描かれている。
彼はそれを一瞥すると、すぐに私に向き直った。
「僕と、瓜二つだね」
あっさりとした言葉。
でも、なぜか胸がざわつく。
暁さんはいつも通り、落ち着き払っている。
「暁さんは……人間、ですよね?ただの浪人さんで、ただ人並み外れて強いだけで……」
「これ、誰かが、暁さんのことを陥れようとしているだけで、なにかの間違い……そうですよね?」
一気に捲し立てる。
私の問いかけは、もはや確認ではなく懇願だった。
一緒に食べた団子の味。
頭を撫でてくれた手の温もり。
あんなに温かなものを持っている人が、血に飢えた化物であるはずがない。
「そうだ」と言ってほしい。
笑い飛ばしてほしい。
すると、彼は何事もなかったように平然とした態度を崩さない。
けれど、彼は何も言わずただ静かに私を見つめていた。
その瞳の奥にある澄んだ光が、今はひどく冷たく、悲しく見える。
「……あざみちゃん」
彼が、一歩踏み出した。
私が後退ることも忘れて立ち尽くすと、彼は諦めたように、ふわりと力なく微笑んだ。
それは、隠し事の重荷から解放されたような、残酷なほどに綺麗な笑みだった。
「黙っていてごめんね。……もう、隠せそうにないみたいだ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、周囲の空気が一変した。
陽だまりのようだった彼の気配が、凍りつくような冷気に変わる。
――バキッ。
不吉な音が響き、彼の影の中から黒い霧のような妖気が溢れ出した。
夕闇を塗りつぶすほどの濃厚な闇。
そこから覗くのは、人間には到底持ち得ない、禍々しくも美しい異形の片鱗。
「僕は君の両親を殺した種族……君が何よりも憎む、『鬼』なんだ。あざみちゃん」
突きつけられた真実。
暁の瞳が、夕闇の中で怪しく紅く光る。
信じていた盾が、音を立てて粉々に砕け散った。
「……っ、嘘、嘘ですよね?冗談だって言ってください!」
叫びながら私は後ずさる。
だけど、目の前の現実は冷酷だ。
暁は否定しない。
代わりに、苦しそうに目を伏せた。
「これは、嘘じゃない。今まで騙していて、ごめんよ」
彼の本音。
けれど、鬼としての本能と、忍としての宿命は、それを許さない。
膝の力が抜け、私はその場にへたり込んだ。
目の前にいるのは、私の命の恩人。
私が初めて恋をした人。
そして──鬼狩りとして、その命を奪わなければならない最悪の宿敵だった。
「う、うそ…どうして……?」
喉の奥から搾り出すような声しか出せない。
今まで私を守ってくれた人は、実は最も恐るべき敵だったなんて。
この信じがたい現実を拒絶したい衝動に駆られる。
しかし、暁さんの瞳はどこまでも真剣で、そしてどこか寂しげだった。
そんな表情を見て、私はさらに混乱してしまう。
「あざみちゃん」
彼はゆっくりと歩み寄ってくる。
夕陽に染まる境内に、異形の妖気が広がっていく。
「怖がらせてしまってごめんよ。だけど、これが僕の本当の姿なんだ」
その時、暁さんの指先が僅かに震えていることに気が付いた。
恐怖? 違う。
あれは……抑えきれなくなった何か。
鬼の本能。
「ここで僕を斬ってくれていい……だから」
「嫌です!」
咄嗟に出た自分の声に驚く。
震えていた体が嘘のように熱くなっていた。
鬼。
確かに怖い。
でもそれ以上に怖いのは──もう二度と暁さんに会えなくなることだった。
「暁さんは、私を鬼から助けてくれた…っ、一緒に笑ってくれて、あんなに優しくしてくれたのに……っ」
「暁さんが……悪い鬼なんて、信じたくないです…っ!」
涙と共にあふれ出る言葉。
「暁さんが鬼だろうと……暁さんは暁さんでしょう? 」
暁さんは一瞬息を飲んで、それから小さく苦笑した。
「僕は鬼だよ、あざみちゃん。それがどれだけ危険な存在なのか、君自身が一番よく知っているはずだ。 」
「それでも……私は!」
震える唇で言葉を押し出す。
「暁さんは私の大切な人です!夜叉衆の人たちに言われたことは全部嘘なんだって信じさせてください……!」
涙があふれる。視界が歪む。それでも暁さんの紅い瞳を離さずに見つめる。
彼はそっと片膝をつき、私の肩に手を置いた。
「あざみちゃん……」
彼の指が震えている。
否応なく伝わってくる彼の葛藤。
暁さんは苦し気に眉を寄せて言った。
「……でも、君の価値は、僕を斬ることで証明されるんだろう?」
その声は、どこまでも優しく
どこまでも冷酷に、私の心を切り裂いた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!