「お前に仕事押し付けてきた女が、後からわざわざデータ書き換えて営業に渡したわけだろ? しかも俺も、部長も、いない時狙って」
一字一句、言い聞かせるように区切って、聞こえてくる声。
「それが陰湿じゃないとか、んじゃ逆にさ、何があればお前の中で陰湿になるの?」
その言葉を全て頭の中で反芻させたあと。
次は真衣香がポカンとする番だ。
「……あ、え? お、女って、小野原さん? データ書き換えてって……、え!?」
疎ましく思われているとは思っていた。
坪井に近付く真衣香に敵意を抱いてることは明白だった。
けれど、だからと言って。
会社の書類をわざと間違えたものに書き換えて、真衣香を陥れようとしたというのか?
「そんな、そこまで……」
「お前それ本気? 人が良過ぎない? とっくに気付いてて、それでも言い出せないで怒られてんのかと思ってたけど。 うちの部長に」
「な、な、何で」
動揺からイスを勢いよく倒しながら真衣香は立ち上がった。
しかし坪井が手首を掴んだまま離してくれていないので、その場を動くことはできない。
「あー、待って! ちょっとビックリしてさ。 言い方悪かったよね、ごめんな。 座ってよ」
声のトーンが、急にゆっくりと優しいものに変化した。
恐らく、動揺する真衣香を意識してそうしてくれているんだろう。
気遣いに頷くようにして、大人しくもう一度席についた。
「うん……」
「立花ってさ、自分に向けられてる感情は、全部まっすぐ真正面から届いてるって、そう思う?」
「か、感情?」
坪井の言葉の意味を理解できず、答えが見つからない。
「いや、立花も気付いてた小野原さんからの好意的じゃない気持ちと、彼女から依頼された仕事。その結果と今のお前の立場、俺が普通に考えれば答えってすぐ繋がるんだよね」
「えっと、」
「……多分、俺じゃなくても大抵の人間はね」
言いながら頭を撫でられる。
それは、例えるなら真衣香が実家で飼っている犬――メイを撫でている時のように、わしゃわしゃと〝可愛いね〟と、思いながら撫でている、そんな時の空気に似てる。
(って、こんな状況でなに自惚れてるの私……)
いたたまれなくなっている間にも、坪井の声はやまなかった。
「でも、お前は小野原さんから向けられた気持ちと今の自分の立場を繋げない。 それって、凄いと思うんだよ、俺は意識してもできない」
褒めてくれているはずの言葉のはずなのに、どう答えていいのかわからず黙り込む。
そんな自分をもどかしく、そして申し訳なく感じていると。
「うん、わかんないお前でいいよ」
柔らかな声とともに真衣香の手に指を絡め、握り締めた。
『いいよ』と言った、坪井の言葉がキュッと胸を締め付け暖かさを感じさせてくれる。
発する言葉全て、本心なのだと伝えてくれているようだった。
顔を見れず、握られた手に視線を落とす。
しかし見えるのは大きな手に包まれた自分の手。
どちらにせよ、ドキドキは消えなかった。
その胸の高鳴りを、幸せな空気を。
少しでも長く身体の中に取り込んでいたいと思ったのか。
無意識に深呼吸をしてしまっていた。
(事情を知らないままじゃ、坪井くんの中で小野原さん、ただの意地悪な人になっちゃうじゃん)
言わなければ、と。
そう思っての深呼吸だった。