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「……ユウ」
声に出した瞬間、
胸の奥が少しだけ緩んだ。
理由はない。
論理も、意味もない。
それでも――
会いたいと思ってしまった。
くだらない話をして、
意味もなく笑って、
どうでもいいことで言い合って、
二人そろって怒られる。
そんな、
どうしようもない時間。
⸻
「しょうもないな……」
自分に向けて言ったつもりが、
どこかユウに向いていた。
「またさ、
どうでもいいことで揉めてさ
“お前ほんと変わんねーな”って
言われたいんだよ」
返事はない。
なのに、
そこに“間”だけが残る。
まるで、
次の台詞を待っているみたいに。
⸻
「はは……」
笑い声が、
少し掠れた。
「どうしようもねえな……
ユウ……お前は……」
そこで、
言葉が止まる。
続くはずの言葉が、
出てこない。
“どんな存在だったか”
思い出そうとすると、
頭の奥がざらつく。
⸻
その時、
スマホが、
机の上で静かに光った。
着信じゃない。
通知でもない。
連絡先の表示。
いつの間にか、
画面に名前が出ていた。
⸻
ユウ
⸻
息が止まる。
登録した覚えはない。
消した覚えもない。
なのに、
そこにある。
⸻
さらに、
画面の下に
もう一つ、名前。
⸻
ミオ
⸻
胸が、
ぎゅっと締め付けられる。
会いたいと思った瞬間に、
現れる名前。
まるで、
忘れていた感情だけを
拾い上げる装置みたいだ。
⸻
指が、
勝手に動きそうになる。
ユウに触れれば、
何かが戻る気がする。
ミオに触れれば、
何かを失う気がする。
⸻
「……怖ぇな」
小さく呟く。
戻りたい。
でも、
戻るって何だ?
あの時間か。
あの世界か。
それとも――
“主人公だった頃”か。
⸻
画面が、
再び暗くなり始める。
その直前、
一瞬だけ
テキストが浮かんだ。
⸻
《次の分岐条件:
誰を思い出す?》
⸻
スマホは、
沈黙した。
部屋には、
自分の呼吸だけが残る。
⸻
「……ユウ」
もう一度、
名前を呼ぶ。
今度は、
祈りみたいに。
その名前だけが、
この崩れた世界で
まだ輪郭を持っている気がして。
「……」
名前を呼んだあと、
何も起きなかった。
――はずだった。
けれど、
世界の“継ぎ目”みたいなものが、
音もなくズレた。
⸻
部屋の壁が、
ほんの一瞬だけ
別の場所になる。
見覚えのある教室。
夕方の光。
窓際の席。
そこに、
誰かが座っている。
顔は見えない。
でも分かる。
ユウだ。
⸻
「……」
呼ぼうとして、
やめた。
呼んだら壊れる。
そんな予感だけが、
はっきりしていた。
代わりに、
記憶のほうが勝手に動く。
⸻
笑っていた。
ふざけていた。
どうでもいいことで言い合っていた。
そして――
ある時点から、
映像がノイズに変わる。
⸻
次に現れたのは、
別の場所。
夜。
人気のない道。
名前を呼ばれる声。
⸻
「……ミオ……?」
今度は、
自分のほうから
名前が零れた。
⸻
そこに、
彼女が“いる”。
いや、
いたはずだ。
輪郭が曖昧で、
存在だけが残っている。
手を伸ばした記憶。
拒絶された記憶。
後悔だけが、
異様に鮮明だ。
⸻
「……いない」
そう呟いた瞬間、
確信する。
今の世界線には、
ミオという存在が欠けている。
最初から。
最初から、
存在しなかったみたいに。
⸻
その代わりに、
知らない“穴”がある。
時間が繋がらない。
出来事が前後する。
原因と結果が、
平然と入れ替わる。
⸻
「……そりゃ、
おかしくなるわけだ」
誰に言うでもなく、
そう思った。
主人公をやめた。
物語を疑った。
境界を踏み越えた。
その代償として、
名前が削られた。
⸻
自分の名前を、
思い出そうとする。
……出てこない。
ユウの名前は出る。
ミオの名前も出る。
アリウムも、
ナナも。
なのに、
自分だけが空白だ。
⸻
「……はは」
乾いた笑い。
「俺だけ、
役割ごと消されたってか」
⸻
その瞬間、
また視界が揺れる。
今度は、
知らない時間。
未来でも、
過去でもない。
“途中”。
⸻
そこに、
ユウが立っている。
振り返る。
目が合う。
驚いた顔。
でも、
どこか安心した顔。
⸻
「……やっと来たな」
ユウが、
そう言った。
名前を呼ばない。
呼べないのか、
呼ばないのか。
分からない。
⸻
「遅いんだよ。
全部、
ズレちまってる」
ユウの後ろで、
世界が崩れていく。
教室と病室と夜道が、
同時に存在している。
⸻
「ミオは、
ここには来られない」
その一言で、
胸が痛む。
⸻
「でもな」
ユウが、
少しだけ笑う。
「まだ、
選択は残ってる」
⸻
その瞬間、
足元に影が落ちる。
振り向くと、
そこに――
ミオがいる。
いや、
正確には“ミオだったもの”。
記憶と後悔と可能性が、
無理やり形を取っている。
⸻
世界が、
悲鳴を上げる。
時間が、
耐えきれずに歪む。
⸻
ここはもう、
どの世界線でもない。
物語ですらない。
⸻
それでも、
確かに思う。
ユウと、
ミオと、
もう一度ちゃんと向き合いたい。
名前がなくても。
役割がなくても。
⸻
その瞬間、
遠くで
何かが確定する音がした。
次に進むか。
完全に終わるか。
あるいは――
全部を、
一つに潰すか。