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こと-koto
402
Side 美緒
「最後の患者さんがお帰りになりました。お昼にしましょう」
午前中の業務が終り、スタッフに声を掛けた。
すると視界がグラリと歪み、白く濁る。
立っているのがままならず、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
「美緒先輩、大丈夫ですか?」
「ん、チョット立ち眩みしただけ、|生理《アレ》になっちゃったから貧血が酷くなったみたい。心配掛けてごめんね」
その言葉に頷いて里美は、声を抑えて話しだす。
「先輩、妊娠は避けられたんですね。貧血が酷いのは困りものですが、取り敢えず安心しました」
そうだった。
緊急避妊ピルを購入した時、里美に散々心配を掛けてしまったのを思い出した。
「うん、私もホッとしている」
「先輩は座っていてください。お昼ご飯、コンビニで何か買って来ますね」
そう言ってお財布を持った里美は、薬局のドアを閉めた。
体が重だるくて、外に食べに行く気になれなかったから、凄く助かる。
誰も居ない薬局の待合室。その長椅子にゴロンと横になった。
健治は暫く忙しいと言っていたし、今日も遅くなるだろうから、夜ご飯は適当に済ませよう。体も気持ちも重たくて、何もする気持ちが起きない。
正直、ご飯を食べる事さえ億劫で、出来る事なら一日中寝て居たい気分だった。
「美緒先輩、ただいまー」
「お邪魔します」
里美の声が聞こえたと思ったら、もう一人、男性の声がする。
しまった、油断して、ごろ寝している時に誰か来たようだ。
私は、慌てて長椅子から身を起こした。
「美緒さん、具合が悪いんだって?」
「三崎君……」
「外に出たら、ちょうど三崎先生に会えたんで、美緒先輩が具合が悪いから今日は店舗でお弁当なんですよ。って、言ったら来てくれたんです」
里美は、きっと私を心配して三崎君に声を掛けてくれたんだろう。
「美緒さん、少しいいかな? 失礼」
そう言って三崎君は、私の頬に手を添え、下瞼をクッと下げる。
「貧血、酷そうだね。この後、医院に来て栄養剤の点滴受ける?」
午後の業務中に倒れたりしたらスタッフにも迷惑を掛ける事になる。
三崎君の好意に今回は甘えさせてもらおう。
「悪いけど、お願いしてもいいかな?」
「もちろん、先にお弁当を食べたら、移動しよう」
うなずく私を見て、里美はホッとした様子だ。
「美緒先輩、野菜のサンドイッチとプルーンヨーグルトドリンクを買ってきました」
「さすが、小松さん。鉄分の多めのチョイスだね」
三崎君もコンビニのお弁当をガサゴソと開ける。
調剤室の奥に事務所があるけれど、部外者である三崎君を入れる訳にもいかず、このまま薬局の待合室で食事を始めた。
「待合室だと、テレビがあっていいですね。昼間の番組って、グルメとか芸能情報とか、たまに見ると面白くって。あっ、ワイドショーやっている」
里美の声に誘われて、視線をテレビに移す。するとワイドショーで有名俳優の不倫騒動の謝罪会見の様子が放送されていた。
「俺、いつも思うんだけど、不倫して謝罪って、誰にしているんだろう?て、世間様なんて面白可笑しく見ているだけで、本当に謝らないといけないのは、配偶者を含めた家族だよね。こんな会見開いているヒマがあるなら、裏切られ一番傷ついているだろう配偶者に対して、誠心誠意謝って沢山話をしないといけないと思うんだ。そもそも不倫をするのが間違いなんだけど……」
三崎君の言葉に胸の奥がギュッとつかまれたように痛んだ。
私は、自分の瞳から、知らないうちに涙がこぼれている事に気が付いていなかった。
「美緒さん、どうしたんだ?」
「先輩、ティッシュあります」
里美にティッシュケースを差し向けられて、「えっ?」と思っていると、三崎君が素早く、テッシュを引き抜き、左手で私の後頭部を抑え、右手に持ったテッシュで私の顔を拭う。
「ごめん」
三崎君の声が聞こえる。
後頭部を固定されたまま、ティッシュで目の周りを抑えられて、目の周りが濡れていると気づいた。
すると、三崎君の声が聞こえて来る。
「不用意に言った言葉で、美緒さんを傷つけてしまったようだ」
私のメンタルの問題で、三崎君のせいじゃないのに、気を使わせてしまって、ごめんなさい。
「三崎先生のせいじゃありませんよ。私がワイドショーなんか付けたから」
里美のせいでもないのに、いつも心配ばかりかけて、ごめんね。
声に出すと、余計に涙がこぼれそうで、心の中で謝り続ける。
「美緒さん……」
名前を呼びながら、三崎君が私の目元を覆っていたティッシュをずらした。
目の周りが解放され、視界が開ける。
後頭部に手をまわされ固定されたままの近い距離。私の視界は三崎君で一杯になる。
ち、近い……。
「あっ!ごめんっ!!」
なぜか、めちゃくちゃ焦った三崎君の声が聞こえて来る。
「えっ?」
「擦ったから目の周りがパンダになっている」
「きゃあ!」
衝撃的な理由に涙も止まる。
慌てて立ち上がり、化粧室に駆け込んだのは、言うまでもない。
洗面台に向い鏡を見ると、目の周りが黒くパンダ状態になっていた。
アイライナーとマスカラが、涙で浮いていたところを擦ったものだから、まさにホラー状態だ。
こんな顔を三崎君に間近で見られていたなんて恥ずかくって、この後どんな顔をしたらいいのか……。
でも、手を頭の後ろに回されての近い距離に驚いたけど、よく考えたら、鼻血止める時に後頭部を抑えているのと、同じような動作だ。
まさに手当といった感じで、三崎君の不器用な優しさに心がほんわりする。
化粧ポーチに入っていたサンプルのメイク落としを使って、パンダを必死に落とし、この際だからと顔を洗って、下地もないからファンデーションは塗らずにアイブロウとアイライナーとマスカラだけの簡素なメイクにした。透明のリップを付けて完了。どうせマスクで隠れちゃうから、患者さんの前では、これで誤魔化す。
鏡に映った自分を見て、我ながら女子力が低いなと思った。
ふぅと細く息を吐き出し、ドアに手を掛ける。
気持ちが弱っているからって、里美と三崎君に甘えてばかりでダメだなっと思う。パチッと両手で頬を叩いて気持ちを切り替えた。
「お騒がせしました。ごめんなさい」
「イヤ、俺こそ、擦っちゃったから……目のまわりが……」
三崎君は話の途中で、肩を震わせ始めた。
きっと、私のパンダ顔を思い出しているんだと察した。
「もう、思いっきり笑ってください」
半ばやけっぱちで言うと、三崎君は声を上げて笑いだした。
里美に助けてと視線を送ると里美も釣られて笑い始める。
「ご、ごめん。普段、しっかりしているのに……ハハハ。あんな顔見れないし……先輩、メッチャ慌てていたし……」
里美まで……。
でも、深刻に待ち構えられて、涙の理由を聞かれても困ってしまうから、笑い飛ばされて良かった。
もしかしたら、二人の気遣いなのかもしれない。
食事を終えて、点滴を打ってもらいに隣の医院へ入らせてもらう。
お昼休み中の時間帯、待合室や受付は閑散として、お掃除担当の人だけが椅子を拭いたり、片付けをしたりしていた。
「処置室のベッドに座ってて、点滴の準備をしたら直ぐに行くから」
白衣になった三崎君の指示に従って処置室のベッドで待って居ると、カーテンが開く。
「お待たせ、気持ち悪いとかない?トイレ大丈夫?」
「ありがとう、大丈夫」
腕にゴムを巻きつけた後、点滴用の針を注射され、点滴を落とされる。
鉄分補給を助けるビタミンが主な成分の点滴。それにニンニク成分も入っていて、点滴を打たれているのに鼻にニンニクの匂いが広がって不思議というか、ちょっと臭い。
「30分ぐらいは、かかるからココで寝ていていいよ。俺は、医院長先生に美緒さんが来ているの伝えておくから」
「うん、ありがとう」
三崎君は、ベッドのカーテンを閉め、部屋から出て行く。
お昼休みの時間に治療をさせてしまって、申し訳なくなる。
でも、点滴を受けているとはいえ、30分の休息は、生理中の貧血でツライ時に凄く助かる。甘えさせてもらって、午後の仕事に備えて瞼を閉じた。
自分で思っていたよりも弱っていた心と体。健治に優しくされると、別れるのが怖くて流されてしまうダメな自分。
今は、少しの休息でもありがたかった。
「美緒さん、美緒さん」
名前を呼ばれて、意識が覚醒してくる。
瞼を開くと、三崎君の優しい瞳。
「点滴終わりました。気持ち悪くありませんか」
お医者様の顔になった三崎君は、テキパキと点滴の針を腕から外してくれる。時折、触れる指先が温かく感じられた。
カーテンの外側では、他の看護師さんが午後の診察の準備をしている気配もする。
「大丈夫です。お昼休みにご迷惑をお掛けして、すみませんでした。ありがとうございます」
「さくら薬局さんには、いつも|蒔田医院《うち》が無理を利いてもらっているから気にしないで。受付の人に言ってあるから、お会計してくださいね」
「はい、ありがとうございました」
私は、受付で顔見知りの事務員さんに声を掛け、お会計をお願いする。
事務員さんは「三崎先生からお話を伺っています」と対応してくれた。
領収書と診療明細書を提示され、5千円札をトレーの上に置き、お釣りを受け取ると、不意に事務員さんが顔を上げた。
「三崎先生と仲が良いんですね」
事務員さんに笑顔で言われ、言葉の真意がつかめずに困惑する。
「親切で良い先生ですね」
と笑顔で返した。
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