テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
煌は割り当てられた部屋で、行灯の揺れる灯りに照らされていた。
布団は敷かれているものの、横になる気にはなれない。畳の上であぐらをかき、片膝を立てた姿勢で、ただじっと目の前の壁を睨み据えていた。
昼間に白虎から聞き出した断片的な情報と、夕方に静遠から受けた報告が、濁った澱のように脳裏を巡っている。
(……玄武……か)
朱雀は好き嫌いが激しい上に、独占欲の塊だ。自国のことならいざ知らず、他国の、それも気に食わない相手の話など進んでするはずもない。
結局、燕花を捕まえて聞き出した僅かな情報だけが、今のコウに与えられた唯一の手がかりだ。
「北峡幽谷……ねぇ」
独りごちたその地名は、響きだけで喉の奥が凍りつくような冷たさを含んでいた。
燕花の震える声が耳の奥で蘇る。そこは一年中、灰色の雲が空を塞ぐ極寒の地。切り立った崖の頂には、吹雪に霞む不気味な城がそびえ、訪れる者を拒むように硬く門を閉ざしているという。
地図からも、人の記憶からも切り離されたような孤立した雪の城。
(そんな檻みたいな場所で、一人で土地を守ってるってか。……そりゃ性格も歪むだろうな)
偏屈で頑固、融通の利かない北の主。
だが、白虎が酒の力で零した記憶は、そんな「偏屈」の一言では片付けられないほど不穏だった。
『あいつは昔から、妙に孤高ぶったところがある。けどな……』
あの時、白虎の琥珀色の瞳はわずかに翳り、いつもの軽薄さが消えていた。まるで、思い出したくもない「腐臭」を嗅いだかのように。
『一時期は、朱雀の野郎と同じくらい……いや、それ以上にぶっ壊れかけてたんだぜ? 土地の瘴気が濃すぎてな。魂の核が腐っちまう寸前だった』
『今は……? どうやってその状態から抜け出せたんだ?』
『さぁな。でも最近は妙に落ち着いてる。まるで別人みてぇにな』
その言葉を思い出すたびに、胸のざわつきが強くなる。
なぜ奴が、自分の世界にしかないはずの「醤油」を持っていたのか。仙煙草の件もある。偶然として片付けるには、あまりに出来過ぎている。
そして――静遠から受けた、あの報告だ。
『鳳来堂については異常ありませんでした。店主も「あの竹籠の焼き印は確かに店のものに相違ないが、あんな不吉な煙草を売った覚えも、仕入れた覚えもない。誰かが焼き印を盗んで悪用したのだろう」と。商売に支障が出ると、ひどく困惑しておりました』
朱雀が食事を終えた後、監察局の呼び出しを受けて姿を消した静遠が、戻りざまに届けた言葉。それは一見すれば「鳳来堂も被害者である」という、もっともらしい結論を示している。
だが、煌の直感は、その報告を真っ向から拒絶していた。
(あの焼き印……ただの判子じゃねぇだろ)
鳳来堂は、この国でも指折りの老舗だ。それを「盗まれた焼き印がたまたま使われた」で済ませるには、あまりに無理がある。
(……何かが、おかしい)
生真面目すぎるほどの実直さを持つ静遠が、嘘をついているとは思えない。だとしたら――静遠すらも気づかぬうちに、誰かに「そう思い込まされている」のではないか。
考えれば考えるほど、部屋の空気がねじ曲がっていくような錯覚に陥る。
そして、コウは肌を刺すような、吐き気を催す違和感に気づいていた。
夜風に乗って、微かに届く朱雀の気配。彼は今も庭園のどこかで、孤独な瞑想を続けているはずだ。
6,178