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『影の姫、月の子』

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『影の姫、月の子』

9 - 母親の温かさ

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2025年08月25日

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奴良組屋敷。

にぎやかな声が飛び交う中、レンは少し居心地悪そうに立っていた。


「まあまあ、いらっしゃい。レンちゃんよね?」

にこやかに声をかけてきたのは、奴良若菜だった。

その笑顔はまるで太陽のように温かく、レンは一瞬言葉を失う。


「ずっと牛鬼さんたちと一緒だったんですってね。大変だったでしょう?」

そう言いながら、若菜はレンの手をそっと包み込む。

柔らかな手の感触に、レンの胸の奥で何かが弾けた。


「……っ」

思わず視界がにじむ。

――母さん。

懐かしい温もりに触れた瞬間、止めていた涙がこぼれ落ちた。


「れ、レン様!?」「ひ、姫さんが泣いてる……!」

後ろで牛頭丸と馬頭丸が慌てふためく。

だがレンは二人の声を聞いても、もう止められなかった。


若菜は黙ってレンを抱き寄せ、背を撫で続けた。

「大丈夫よ。もう一人じゃないから。」

その声に、レンは子どものように震えながら泣き続けた。


レンが涙を拭うと、若菜は微笑んで言った。

「無理しなくていいの。あなたは、あなたのままでいいのよ。」


「……うん。」

普段なら素直に返事などしないレンが、小さく頷いた。


「ひ、姫さんが逆らってない……!?」

「しかも返事してる……!」

牛頭丸と馬頭丸は背後で小声でざわつく。


レンは二人に気づき、慌てて顔を背けたが、若菜の温もりは心の奥まで残り続けた。


レンは涙をぬぐいながら、声を震わせて問いかけた。

「……なんで私に優しくするの? 血も繋がってないのに……」


若菜は驚くでもなく、ただ穏やかに微笑む。

「そうね。私はあなたの本当の母ではないわ」

一拍おいて、レンの手をぎゅっと握る。

「でも――あなたはリハンさんの大事な娘。なら、私の大事な娘でもあるのよ」


「……っ!」

レンの胸に、こみ上げるものがあふれて止まらなかった。

堪えていた涙が再び頬をつたう。


「ひ、姫さん!?」「また泣いてる……!」

後ろで牛頭丸と馬頭丸があたふたするが、レンは気づかない。

若菜の言葉が胸に深く染みわたり、ただ静かに涙を流し続けた。


泣き疲れたレンは、若菜の膝に頭を預けたまま、しばし静かに呼吸を整えていた。

牛頭丸と馬頭丸はまだ背後でおろおろと見守っている。


「……ありがとう、ございます」

やっとの思いで口にした言葉は、掠れながらも真っ直ぐだった。


若菜はその頭を撫でながら、ふっと微笑んだ。

「礼なんていらないわ。母親ってね、子どもに優しくするのが当たり前なの」


その言葉に、レンの胸の奥で再び熱いものが込み上げる。

「……母親、か」


ぽつりと零した声は、自分に言い聞かせるようだった。


すると若菜は、少し声を潜めて優しく続けた。

「リクオのことも……よろしくね。あの子、不器用だから」


レンは一瞬言葉を詰まらせた。

視線を落とし、唇を噛む。

「……っ。あんな奴……」


強がりの言葉を吐き出そうとしたが、若菜の柔らかい瞳に射抜かれ、言葉は続かなかった。


代わりに、牛頭丸が苦笑混じりに口を挟んだ。

「……まあ、姫さんが素直になる日は、まだ先かもな」


「そうそう。でも……今の姫さんなら、その日も遠くないかもしれないね」馬頭丸も頷く。


「なっ……! お前ら、勝手に……!」

レンが慌てて睨むが、涙で赤くなった目元では迫力も半減していた。


若菜はその様子を見て、ただ優しく微笑んだ。

「大丈夫。焦らなくていいの。少しずつで」


レンは何も言い返せず、ただ小さく頷いた。


――この温もりを、忘れたくない。

胸の奥でそう願いながら。


『影の姫、月の子』

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