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アイドル×一般人 「本日、推しがご来店しました。」~m×k~
Side康二
「ふぅ〜、今日も巻いたでぇ〜……」
鏡の前で、くるんとブローした前髪を確認して、ニッと笑う。
うん、ええ感じ。今日の俺、わりと仕上がってるかもしれん。
ここは原宿のちょっと路地裏にある美容室“LIEN(リアン)”。
俺、向〇〇二はこの店で働き始めてもうすぐ三年目のスタイリスト。
最初はシャンプーで泡だらけにしたお客さんの目に水入れてもうて「うわああ!」って謝り倒してたような新米やったけど、最近はやっと指名も入るようになってきて。
「康二さん、またお願いできますか?」
そんなふうに名前を呼んでもらえるのが、何よりもうれしい。
まだナンバーワンとか、インスタで予約が秒で埋まるとか、そんなレベルちゃう。
けど、会話が楽しいって言うてくれる人とか、髪がまとまったって連絡くれる人とか、そういう“ちょっとずつの積み重ね”が俺には宝物で。
「ほんまに、ありがとう!」
無意識に、声に出して独りごちる。
誰かの一日が、髪ひとつでちょっとでも明るくなってくれたら、それだけで報われる気がする。
そやけどまだまだや。
カットのライン、たまに甘いとこ出るし、パーマも時間かかるし。
あの先輩の手つきとか、ほんま憧れるんよな。
あれを自分のものにできたら、もっと自信持てるんやろなぁ……なんて考えながら、今日はラストの予約の準備に取りかかる。
タオル畳みながら、窓の外に目をやると、夏の夕方特有の淡い光が差し込んでて、店内が金色に染まって見えた。
(今日のラスト、新規やったな。どんな人かな〜。ちょっと緊張するけど……楽しい会話できたらええな)
そんなふうに思いながら、クロスを手に取り、いつものように笑って言った。
「さぁ、今日もええカットしよか!」
そう言って笑った直後、ガラス扉のベルが小さく鳴った。
チリン──という控えめな音が、店内の静けさをやさしく揺らす。
「いらっしゃいませ〜!」
いつものように声を張って、入口の方に視線を向けた。
……その瞬間、胸が一瞬だけ、きゅっとなった。
扉の向こうから入ってきたのは、黒のキャップに同系色のジャケット、全体をモノトーンでまとめたシンプルな服装の男性。
にもかかわらず──いや、だからこそかもしれへん。
その人の持ってる雰囲気は、他の誰ともちゃうて、異様なほどに目を引いた。
細長い脚に、すっと伸びた背筋。何より目を奪われたのは、キャップの影から覗く涼しげな目元。
一見無表情やのに、どこか奥に強さと静けさを秘めたような、深くて澄んだ黒い瞳。
(……めっちゃカッコいい人やな……)
自然とそんな言葉が、心の中でぽろっと漏れた。
気づけば、一瞬だけ固まってしまってた自分を、急いで立て直す。
(芸能人みたいや……いや、ほんまにそうかもしれん)
顔立ちは整ってるどころの騒ぎやない。目鼻立ちがくっきりしてて、でも全体のバランスが完璧で……あんな人、雑誌の中か、テレビの中にしかおらんような。
でも、今目の前に立ってる。うちの店に、俺の前に──。
「……! よ、ようこそお越しくださいましたっ!」
思わず声が上ずりかけて、慌てて笑顔でごまかす。
(あかんあかん、プロやろ俺。落ち着け、康二)
深呼吸ひとつ。
いつものように、明るく、あったかく。相手の緊張もほぐせるような接客を──。
「本日ご予約いただいてた……目黒さんでお間違いないですか?」
「……はい。目黒です」
やっぱり、や。名前までキレイや。
声も低くて、落ち着いてて、余計なものが何ひとつない。
その「はい」だけで空気が変わるような、そんな存在感。
「ありがとうございます!担当させてもらいます、康二です〜。どうぞこちらのお席へっ」
いつもよりほんの少しだけぎこちない歩き方になってる自分に気づきつつ、
でもなんとか笑顔は崩さず、椅子に案内する。
「今日はカットでのご予約ですね。長さとか、雰囲気とか、ご希望ありましたら遠慮なく言うてくださいね〜」
「……おまかせで、大丈夫です」
その一言に、また少し心臓が跳ねた。
(え、え、まかせてくれるん……? 俺に?)
たったそれだけのやりとりやのに、不思議なくらい記憶に残る。
目の前の鏡に映ったその人は、髪を整える前から既に絵になってて──それでも、
「この人を、もっと素敵にできたらええな」と、自然に思えた。
クロスをかける指先が、少しだけ震えるのを押さえながら、俺はそっと言った。
「──ほな、始めていきますね。よろしくお願いします」
クロスの端をそっと整えてから、軽くお辞儀をする。
目の前の鏡には、ちょっと緊張で引きつってる自分の顔が映ってて、心の中でツッコミを入れながら、軽く笑った。
「緊張してますね、俺。ばれてます?……あっ、いや、大丈夫です、大丈夫なんで!」
そう言って、つい自分から白状してしまうあたりが俺らしい。
けど、そんな自分もまるごと隠すつもりはなかった。
この人の前では、なんとなく、ちゃんと素直でおりたい気がした。
鏡越しに目が合うと、彼はふっと小さく笑ってくれた。
無口そうで、感情を見せないタイプかと思ってたのに、その笑顔はあまりにもやわらかくて。
心臓が、またドクンと鳴る。
(……なんやろ。見た目とのギャップがすごい。優しい人やな、きっと)
「じゃ、まずは軽く濡らしていきますね〜。お湯加減、ちょっとでも熱かったら言うてください!」
霧吹きで髪を湿らせながら、自然と口が動く。
いつものように、相手をリラックスさせるようなテンポで、言葉を繋いでいく。
「めっちゃ髪質ええですね〜。クセも少ないし、ツヤあるし……日頃からケアとかしてはるんですか?」
「うーん……トリートメントぐらいかな。仕事で人に触られることが多いから、ちゃんとしておこうと思って」
(“仕事で人に触られる”……? やっぱ芸能関係の人かもしれへん)
やんわり流されたような答えやったけど、その声のトーンがすごく丁寧で、相手を緊張させんように選ばれてる気がした。
一つひとつの言葉が、静かで、ちゃんと“優しい”。
「それ、すごいっすね〜。俺なんか休みの日、すぐ寝ぐせのままスーパー行ってまうのに。見習わなあかんわ〜」
くすっと笑い声が聞こえて、ちょっと救われる。
「でもなんか、見た目だけじゃなくて、話し方とか空気もやわらかいですよね。ええ意味でギャップというか」
「……よく言われます、そういうの」
「やっぱり?うんうん、なんかわかる気するわ〜」
会話が、自然にほどけていく感じがあった。
言葉を交わすたび、こっちの緊張が少しずつ溶けていく。
距離が縮まっていくというより、“壁がない”という感じ。
ふと、店内に流れてたBGMに耳がいく。
ゆるやかなピアノの旋律に、優しいギターの音が重なる。
静かすぎず、かといって騒がしくもない、ちょうどええ音楽。
「……あ、音楽、お好きです?」
そう聞くと、彼は少しだけ驚いたように目を丸くして、でもすぐにまた、あのやわらかい笑顔を見せた。
「……うん。好きです。聴くのも、やるのも」
「えっ、やるのも!? それは、楽器?」
「ううん、歌……かな」
その言葉に、一瞬だけ言葉が出んかった。
「歌」と言った時の声が、少し誇らしげで、でも控えめで。
その一言が、なんだかすごく綺麗に響いた。
「うわ、それめっちゃ気になる……! 俺、最近ハマってる曲とかすぐ語りたがるタイプなんで、音楽の話大歓迎っす!」
「じゃあ……どんなの聴くの?」
その問いに、嬉しくなって思わず椅子の後ろで手をぐるぐるさせてしまう。
「最近やと、ん〜、夜に聴く系のしっとりしたのも好きやし、あ、でも朝はテンション上げたいからK-POPとかも聴くなぁ〜。ちょっと昔の曲もよく流してて……あっ、ひとりカラオケ行ったら90年代めっちゃ歌うんですよ!」
「はは、それはギャップあるね」
「でしょ!? ……あれ、笑ってくれた?」
目が合って、お互いに、ほんの少し照れたように笑う。
どこかで、お互いの存在が、最初より少しだけ“馴染んだ”気がした。
──まだ髪は切り始めたばかり。
でもこの空間は、思ってたよりずっと穏やかで、やさしい音に包まれていた。
――――――――――
「──ええ感じになってきましたよ〜。重さもとれて、シルエットきれいに出てます」
ドライヤーの音が少しだけ落ち着いて、ふたりの会話がまた静かに戻る。
鏡の中の彼は、最初よりも表情がやわらかくなっていた。
見た目は静かなのに、何かを受け止めてくれるような穏やかさがあって、自然とこっちも言葉が出てくる。
「さっき、歌って言うてましたけど……なんか、声もすごくええですよね。落ち着いてて、響くっていうか」
「……そうかな」
「うん、俺、声フェチなんですよ。いい声の人って、聴いてて癒されるから」
そう言いながら、毛先を整え、髪の流れを確認する。
彼の髪はまるで、最初からこうなるべくして生えていたみたいに収まりがよくて。
仕上げながらも、話の続きをしたくなってしまう。
「実は俺……歌うの、めっちゃ好きなんです」
自分でも少し驚くぐらい、ぽろっと出てきた本音だった。
それまで軽口ばかり叩いてたのに、この言葉だけは、ちょっとだけ真面目な声になっていた。
「高校の頃からずっと。カラオケもやけど、ひとりで家で歌ってる時間が一番落ち着くっていうか。ほんまは、バンドやろうかなとか思ったこともあるけど、勇気がなくて。結局、美容師の道に来たけど……」
ドライヤーのスイッチを切って、櫛で最後の毛先を整える。
鏡の中の自分が、少しだけ照れて笑っていた。
「……それでも、歌うことはやめられへんかったんですよね」
彼は、静かにこちらの手元を見ながら、相槌を打ってくれた。
「そうなんだ」
「うん。アイドルとか、アーティストとか、テレビで歌ってる人たち見てると、ほんまにキラキラしてて。“ああ、自分もあんなふうになれたらなぁ”って。憧れ、ですよね」
そこにあったのは、夢に届かなかった悔しさじゃなくて、今でも大事に持っている“好き”への純粋な気持ち。
言い訳でも後悔でもない、自分の中の情熱を、小さく温かく灯しているような声だった。
鏡越しに目が合う。
「……そういうの、素敵だと思うよ」
たったそれだけ。
なのに、その声には言葉以上の何かがあった。
康二は、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
「えへへ、ありがとうございま〜す。いや〜、ちょっと照れますね……。でも、そう言うてもらえると、なんか、歌いたい気分なるな〜!」
「今、ここで?」
「いや、やめときますやめときます!お客さん逃げてまう!」
ふたりの間に、やわらかい笑いが生まれる。
不思議と、出会ったばかりの相手とは思えない、自然な空気。
言葉を交わすほどに緊張がほどけて、鏡越しの視線も、いつのまにかまっすぐに返せるようになっていた。
カットもいよいよ終盤。
細かい毛先の流れを整えながら、康二は最後のチェックを入れる。
ドライヤーでふんわりと動きをつけて、仕上げにワックスをほんの少しだけ。
“魅せすぎない、でも確かに洗練されたライン”──彼の雰囲気に合わせて、あえてナチュラルに。
「──はい、完成です」
クロスを外しながら、鏡の前に立つ彼の表情をこっそり窺う。
ほんの一瞬、まばたきをして、鏡の中の自分を見つめたまま、彼は静かに言った。
「……すごい。ほんとに、すごい」
その言葉は、驚きというより、感動に近かった。
いつも鏡を見ることに慣れているような人が、今、目の前で“自分の新しい顔”に出会っている。
そんな瞬間を、自分の手でつくれたんや──そう思ったら、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「めっちゃ、似合ってますよ。正直、素材がよすぎて、俺の出る幕あんまりなかったかもしれへんけど……でも、このスタイル、ほんまに“らしさ”出てると思います」
彼は、ゆっくりと目を細めた。
その表情が、何よりの答えだった。
「……ありがとう」
低くて、でも確かに温かい声。
その一言が、康二の胸に、まっすぐ落ちてくる。
「こちらこそ……ありがとうございました!いや〜、めっちゃ楽しかったです!」
レジまでの短い道のり。
けれどその間も、言葉を探すような間合いが、どこか名残惜しく感じられた。
精算を終え、ドアの前で一度振り返った彼が、帽子を手に持ったまま、少しだけいたずらっぽく笑う。
「また来るよ」
その瞬間、康二の目の奥がぱっと明るくなる。
笑顔をつくったつもりが、頬が勝手に緩んでしまうのを止められなかった。
「えっ、ほんまですか!? いやもう、めっちゃうれしいです!あ、でも無理せず、気が向いたときで! いや、でもほんまに来てくれたら……!」
テンションが少しだけ上ずって、しゃべりすぎてしまったことに気づいて、最後に「すみませんっ」と小さく頭を下げる。
そんな康二を見て、彼はふっと笑ったまま、静かにドアを押して外へ出る。
夏の夕方、まだ少し明るい空の下に溶けていく彼の背中。
「また、来るよ」
もう一度そう繰り返した声が、やわらかく扉越しに届いた。
康二はしばらく、その場から動けずにいた。
胸の奥で、何かがじんわりと灯っている。
(……なんなんやろ、今の……)
名前も、正体も、深くは知らない。
ただ、たった一度の来店が、こんなにも心に残るなんて。
「……あんな言葉、ずるいわ」
ぽつりと、誰にも聞こえない声で呟いて。
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