テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
しかし、その翌日から
鈴木はまるで俺を試すかのように、以前よりも俺に仕事を押付けてくるようになった。
「雪白、これ頼んだわ。俺、今からちょっと用事あるから」
そう言って、自分の分の仕事を俺のデスクに山のように置いていく。
俺は、断ることもできず、ただ黙々と残業を重ねるしかなかった。
さらにひどいことに、彼は俺が作った資料を勝手に持ち出し
「俺が確認してやるよ」なんて言って、完成した成果物を自分の手柄として部長に提出することもあった。
部長から鈴木への称賛の声を聞いたとき、俺の心は怒りと屈辱で満たされた。
そんなある日の昼休み、俺は勇気を振り絞り、昼食を取りに行こうとする鈴木を呼び止め、休憩室の一角で問い詰めることにしたのだ。
「ねえ鈴木、この前の資料、あれ俺が作ったやつだよね?しかも、確認するとか言って変な細工してない…?」
「は、なにいってんだか、ぜんぶ雪白のミスじゃん?」
無邪気に笑いながら肩をすくめる鈴木に対し、俺の怒りがこみあげてくる。
まるで俺が被害妄想を抱いているかのようなその態度が、許せなかった。
「だ、だって最近になっておかしいよ…!だいたい俺がミスするときはいつも鈴木が見せてみろとか言ってきたときだし、絶対…意図的だよね?」
勢いで詰め寄れば、鈴木は深いため息をついた。
「…だったらなに?文句あんの?」
一瞬、鈴木の表情から笑顔が消えた。
その目に宿った冷たい光に、俺はたじろぐ。
しかし、今ここで黙ったら、俺の努力は永遠に踏みにじられてしまう。
今までの苦労が、怒りの感情と共に溢れ出した。
「!…あっ、あるに決まってるよ!俺だって必死に努力してるのに、それを奪われるなんておかしいし」
今まで感じたことがない感情の高ぶりと共に、俺の口調が強くなってしまった。
周囲の視線が突き刺さる。
しかし、俺はもう止まれなかった。
すると鈴木は
「冗談だってじょーだん、そんなにムキになんなよー」
なんて言って、再びいつもの軽い笑顔に戻った。
だが、その声には一切の反省が感じられなかった。
俺の苦労はすべて水の泡となり、鈴木によって踏みにじられている…。
◆◇◆◇
それから、さらに数日後。
「なんか最近元気なくない?」
「また鈴木くんに仕事押し付けられてるよね?大丈夫?」
そんな優しい言葉をかけてくれる人も、だんだんと減っていった。
彼らは鈴木の顔色をうかがうように、俺から距離を置き始めたのだ。
俺は一人、職場の隅で孤立していくのを感じた。
それでも頑張ろうという気持ちだけは、心の底に残っていた。
しかし、その翌週の金曜日、俺は限界に達した。
このままでは、精神が持たない。
耐えられず、俺は尊さんに鈴木のことを相談することにした───
◆◇◆◇
数日後の木曜日
デスクに座りながら、俺はぼんやりとモニターの画面を眺めていた。
皆がそれぞれの週末へと足早に帰路につく中、俺の心は一向に軽くなる気配がなかった。
重くのしかかるのは、今日一日、鈴木にされた陰湿な嫌がらせの記憶だ。
朝礼での聞こえよがしの嫌味、重要な書類の隠蔽
そして極めつけは、先ほど会議室の前でわざとらしく舌打ちをされたこと。
そのどれもが、直接的な暴力ではないけれど、俺の心を確実に削っていった。
このまま一人で耐えるのはもう限界だった。
そう思った時、ふと視界の端に尊さんの姿が映った。
彼はいつも通り、テキパキとデスクで仕事をしている。
意を決して立ち上がり、カバンを手に持つ尊さんのデスクに向かった。
「尊さん、今夜、少しだけ時間貰えますか…?」
いつもと違う、真剣で、どこか頼りない俺の表情に尊さんはわずかに眉をひそめた。
しかし彼はただ一言
「…ああ、いいが」とだけ言って、カバンを持つ手を止めた。
遠ざかっていく同僚たちの足音が途絶え
結局、俺たちは誰もいなくなった静かなオフィスで、向かい合って話すことになった。
窓の外には、宝石を散りばめたように煌めく都市の夜景が広がっている。
オフィスの中は、空調の微かな稼働音だけが不気味なほどに静かに響いていた。
俺は、ここ数日ずっと胸に溜め込んでいた不安や怒り
そして何より情けなくて、惨めな無力感を、ひとつ残らず尊さんにぶつけた。
「……鈴木に、毎日嫌がらせをされてるんです。会議の時間をわざと間違えさせられたり、俺がまとめた資料の手柄を奪われたり……もう、どうしたらいいのか分からなくて」
言葉が途切れ途切れになる。
声が震え、情けなくて、悔しくて、今にも涙が溢れそうだった。
それでも尊さんは、俺の拙い言葉をさえぎることなく、ただ静かに聞いてくれた。
その真剣な眼差しが、まるで俺の心の奥底を覗き込んでいるようで
どんなに隠そうとしても溢れ出す感情を全てを受け止めてくれるような気がした。
全部を話すと、凍り付いていた心がふっと溶け、軽くなるのを感じた。
俺が俯いていると、不意に、頭に温かく大きな感触がした。
「大体は把握した…気がついてやれず一人にして悪かったな…部長に俺から言っておくから、安心しろ」
「それにあいつも、そんなに同じ手を使っては来ないだろうが…辛くなったら、すぐ俺のところ来い」
尊さんの大きな掌が、俺の髪をくしゃりと撫でる。
その温かさは、俺がこの一週間、ずっと渇望していたものだった。
孤独な戦いの中で、誰かに助けを求めたい
この苦しみを共有したいと、心のどこかで叫んでいた。
尊さんの温もりが、頭のてっぺんから全身に染み渡っていくようだった。
まるで、俺の苦労や痛みを全部受け止めてくれるような、そんな安心感に包まれた。
「分かったな?」
「はっはい…!ありがとうございます、尊さん…」
嬉しくて、頬が緩むのが自分でもわかった。
こんなにも誰かに守られていると感じたのは初めてだった。
そして、誰もいなくなったオフィスは、静寂に包まれていた。
月明かりが窓から差し込み、二人だけの空間を柔らかく照らす。
尊さんは俺の顔を覗き込むように、ゆっくりと屈んだ。
彼の指先が、俺の頭からゆっくりと頬へと滑り降りてくる。
その指の動きは、とても優しく、俺の心臓はさっきとは違う鼓動を打ち始めた。
互いの視線が絡み合い、呼吸が近くなる。
「…雪白」
「尊、さん?」
「…仕事が立て込んでずっとお前に触れれてなかったし、ちょっと充電させてくれ」
「…いいですよ、俺も…尊さんのこと、感じたかった…っ」
甘く囁かれた声に、俺は無意識に目を閉じた。
彼の唇が、そっと俺の唇に重なり合う。
甘く、少しだけ切なくて、俺の心を覆っていた重い雲を全て溶かしてくれるような優しいキス。
まるで夢の中にいるみたいで、このまま時間が止まってしまえばいいと心から願った。
しかし、この一瞬の幸せが
まるでガラス細工のように脆いものだとは、その時の俺は知る由もなかった。