俺は毎日のように裏路地の部屋にあるピアノの前に座り、演奏をしていた。
何だろう、この感じ。音楽でどうにかコミュニケーションを取ろうとするのは、少し無理があるんじゃないかと思っていた。だけど、あの青年のように、ピアノが声を持っているかのように感じることができたのは確かだった。
今日も、暗い曲ばかり弾いていた。自分で作った曲だから仕方がないけれど、どうしてもネガティブなものばかりだ。
陰鬱で、どこか陰キャじみた曲が自分でも嫌になってきていた。
「今日は気分を変えよう。」
そう思って、転移した時に持ってきた楽譜を広げる。何か明るい曲を弾けば、少しは気分も晴れるだろう。目にしたのは、少しだけ明るい、希望の兆しを感じさせるような旋律が並んでいる曲だった。これならきっと、心にいい影響を与えてくれるだろう。
指が鍵盤を滑るように動き、明るいメロディーが部屋に響き渡る。だんだん、音楽が流れるうちに、何かが違う気がした。最初はただのメロディーだったはずなのに、だんだんと、その音の中に「声」を感じるようになってきた。
その声は、言葉を成す。それはまるで、俺に語りかけてくるようだった。
「不可能だと言われたとしても、諦めなければ必ず乗り越えられる。」
その声が、確かに、俺に届いた。こんなにも明確に。
「過去の過ちを悔やむこともあるけれど、未来には希望がある。」
だんだん、音が色を持ち、空気が変わっていくのを感じた。
「奇跡を信じ、自分の力で運命を切り開いていこう。」
その言葉のひとつひとつが、俺の中に響き渡る。どこかで、知らず知らずに泣いていたような気がした。ああ、これがピアノの声だ。音楽が声になる瞬間だ。
(やった……!)
思わず声が出そうになる。そのくらい、強く、そして鮮明に伝わってきた。だが、急に冷たい視線を感じた。
視線の先には、俺と瓜二つな青年?が立っていた。和装姿の俺が、まるで鏡の中に映ったような、そんな錯覚を覚えた。
その冷徹な視線と、耳元で響く銃口の音が、俺の頭に突きつけられている。驚いて、曲の流れが一瞬で止まる。
「何だ、今の……?」
その冷たい目に、自分が、そして俺の音楽が試されていることを感じた。
(テナー視点)
僕は腕を引かれて、無理やり部屋を出ることになった。バスの冷たい手が、僕を引っ張る力は強くて、どうしても抗えなかった。体は震えていたし、正直、足を動かすのも億劫だった。
「テナー、早くしろ。」
バスの声が冷たく響く。まるで僕を急かすかのように、力強く引っ張るその手に、身が竦んでしまう。
でも、僕はどうしてもその場所から離れたくなかった。あの音が、もう一度耳に響くのが恐ろしかった。ピアノの音、それはただの旋律じゃない。あの音は、まるで僕の心の奥深くにまで響いて、僕の中にある恐れや不安を揺さぶった。
あの音が、まるで言葉のように僕に話しかけてくる。思い出すだけで心が重くなる。
「お願い、もうあの音を聴きたくない。」
僕は小さく呟いたけれど、バスはまったく聞く耳を持っていなかった。無理に僕を外へ連れ出し、歩くのが辛かった。
その時、裏路地の方から、またあのピアノの音が聞こえてきた。
――また、あの音だ。
僕はその音を聞いた瞬間、何かが引っかかって、心が動いた。もう聞きたくないと思っていたのに、僕の足は自然とその音の方向へと引き寄せられた。
「やめて、あれは……」
僕は思わず声を漏らし、足を止めた。だけど、その音は今度は優しく、静かなものだった。先ほどまで感じたような重苦しさはなく、むしろ何か温かいものを感じさせた。
「不可能だと言われたとしても、諦めなければ必ず乗り越えられる。」
その声が、確かにピアノから発せられた。その音色が、今度は僕に希望を与えてくれるような、そんな感覚があった。
「過去の過ちを悔やむこともあるけれど、未来には希望がある。」
その言葉は、まるで僕の心に直接響いてきたようだった。あんなに混乱していた心が、ほんの少しだけ落ち着くのがわかった。
でも、これはどういうことなんだろう? どうして、こんなにもピアノの音が僕に話しかけてくるんだ?
その時、バリトンが僕に気づいて、足を止めた。
「テナー、どうした?」と、心配そうに声をかけてきた。
「なんだか、僕、わからないけど……」
声が震えて、言葉がうまく出てこない。
「音楽が……」
僕は思わず口を開いた。
「この音、ただの音じゃない。言葉、みたいな気がする。」
その言葉を聞いたバスは、突然ピタリと足を止めた。振り返ると、バスの目が鋭く光り、何かを察したような顔をした。
「やっぱり、あの音か……」
バスが低く呟いたその瞬間、僕はその音がどこから来ているのかを知っていた。音の源はすぐそこにあった。
――それは、見知らぬ青年が奏でるピアノの音色だった。
ピアノが奏でるその旋律に、僕の心はもう引き寄せられていた。その音が僕に語りかけ、何もかもを変えていくような気がした。
「……え?」
バスが急に彼に近づいて、冷たい銃口をむけた。彼の背中に向けられているのを感じて、全身が震えた。
「こいつが……」
バスがつぶやきながら、彼に銃を向けているその瞬間、僕は確信した。この音、そしてその青年が持つ力に、僕たちはただならぬ何かを感じ取っているのだ。
だけど、どうしてこんなにも心が引き寄せられるんだろう。あの青年、僕に何を伝えようとしているのか。
(アソビ視点)
「……お前、今何してた?」
冷たい銃口が頭に押し当てられる。背後から低く、険しい声が飛んできた。俺のそっくりさん――和装姿の男。鋭い目つきに、口からはタバコの煙が漏れる。顔も声も姿勢も、すべてが怒りをまとっている。
「あ?」
男の声がさらに尖る。
「聞こえてんだろ。何してたか答えろって言ってんだよ。」
頭が真っ白になった俺は何も言えない。ただただ、震えた手を隠すようにピアノの前に座り続けるしかなかった。
言葉を出せないこの状況で、どうやって説明しろってんだ。
だが、黙っているのも限界だった。何とかしてこの怒りを収めないと――。
俺は意を決して鍵盤に手を伸ばした。
「触んじゃねえ!」
怒号が部屋中に響き、思わず手が止まる。それどころか、全身が硬直した。
「あっ……」
口から漏れた小さな声。それを聞いた瞬間、部屋の空気が張り詰めた。
男が俺の背中に銃口を押し付けながら、低い声で絞り出す。
「……今、声……出したよな?」
俺は答えられない。声が出たことに気づかれて、頭が混乱していた。
「お前、どういうつもりだ?」
男の声に怒りが込められる。だけど、何かがおかしい。彼の銃口は俺の頭から動かないままだが、顔はどこか驚きも混じっているように見えた。
(……ち、違う! 違うんだって!)……と心の中で必死に弁解するが、もちろん声にはならない。
だが、彼の視線が余計に鋭くなり、今度は俺を睨みつけた。
「何者だって聞いてんだよ、答えろ!」
その瞬間、俺の中で限界が訪れた。
「ひぃ!?」
つい、俺の口から大きな声が漏れた。
それを聞いた男は――目を見開いて後ずさり。銃を握る手も緩み、くわえていたタバコが床にポトリと落ちた。
「なっ……お、お前……本当に声が……!?」
その驚きように、俺も驚いた。だが、その場で呆然とする間もなく、床に落ちたタバコから小さな煙が上がり始める。
「タ、タバコ落ちてるぞ!」
俺が指差して伝えようとすると、バスは顔を真っ赤にしてタバコを拾い上げた。
「黙れ!落ち着け、俺がタバコ落としたくらいで……!」
完全に取り乱したバスの様子に、俺は唖然としながらも、心の中で小さな勝利感を味わった。
「まぁいいや……お前、今何していた?」
和装姿の俺――いや、そっくりの青年が俺に銃口を向けたまま、冷たい声で問いかけてくる。その視線の圧が重すぎて、俺はもう座っていた椅子から転げ落ちそうになった。
その時、奥から足音が聞こえてくる。
「バス、どうしたの?」
現れたのは、ふわふわのロリータ服を着た――俺!?
「えっ……!?」
思わず声を漏らした瞬間、さらに奥から今度は眼鏡をかけた俺が姿を現す。
「何事かと思ったら……、って……俺?」
眼鏡の俺が目を細めながら、こちらを観察している。
待て待て待て、何だこれ!?俺が三人!?しかも服装もバラバラ!?
「……えっ、なんで?」
俺は頭を抱えた。だって目の前にいるのは全部俺じゃないか!和装、ロリータ、眼鏡……種類豊富すぎる!
「おい、テナー!そいつに近づくな!」
和装の俺――いや、バスって名前らしいけど、そいつがロリータの俺に向かって怒鳴った。
「でも、顔も声も僕たちそっくりだよ?ねえ、君、どうしてこんなところにいるの?」
ロリータの俺が無邪気に近寄ってくる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、近い、近い!」
俺は後ずさるけど、ロリータの俺は全然止まらない。
「本当だ……瓜二つだな。声も……」
眼鏡の俺が俺の顔をじっくりと観察し始めた。
「な、なんだよ……!声まで俺じゃん!これどうなってんだよ!?」
状況が情報過多すぎる。和装の俺が銃を構え、ロリータの俺がニコニコして近寄り、眼鏡の俺が俺を観察してる。この光景が脳に入ってくるたび、処理能力がどんどん削られていく。
「お前、まさか……異世界から来た俺、ってやつか?」
「ふぇ!?」
「イセカイ?なにそれ?」
「僕たちが住んでる世界以外からこうやってくる人たちがたまーにいるんだってさ。どういう原理なのかは知らないけど。もしかしたら……あ。」
「……もう無理だぁ!」
視界がぐるぐる回る。体がガクッと崩れ落ちていく感覚がして、俺はその場に崩れ落ちた。
「ちょ、ちょっと!大丈夫なの!?」
ロリータの俺が焦った声を出す。
「こんな奴、ただの陰キャだろ」
和装の俺が溜息をつくのが聞こえる。
「いや、でも声は出てるぞ……何者だ、こいつ」
眼鏡の俺が真剣に考え込む。
俺の意識はどんどん遠のいていった。
異世界?俺?なんだそれ。分かんねえよ……!
俺が気絶した後、俺そっくりなロリータ服の俺――いや、テナーって名前らしいそいつが、ふと何かを思い出したように呟いた。
「そう言えば……僕たちって、アルカノーレの中でも男声種なんだよね?」
突然の発言に、その場の空気が少し固まった。眼鏡をかけた俺――バリトンがすぐに補足を始める。
「男声種……つまり、テノール、バリトン、バス、そしてカウンターテナー。この四種類だ。それ以外は女声種だし、僕らが特別珍しいってわけじゃないけど、割合としては少ない方だな」
その時、和装の俺――バスがポケットから新しいタバコを取り出し、火をつけた。煙が静かに宙に広がる中、低い声で呟く。
「あー……そういや、『主人格』が不在のまま、俺たち世代が生まれたんだったな」
その一言で、場の空気がさらに重くなる。
「主人格……そうだったね」
テナーが悲しげに目を伏せる。
「僕たちが生まれた時から、館には主人格がいなかったんだ……」
「そもそも、俺たちがこんな特殊な環境で育ったのも、そのせいだろ?」
バスが灰を落としながら淡々と続けた。
「本来、アルカノーレは主人格を中心に存在するはずなんだよ。俺たちは、その補助役として育つべきだった。それが、主人格が不在のまま、俺たちだけでこの館に置き去りにされた……」
(……置き去り?)
俺には意識がないはずなのに、その言葉がどこか胸に刺さるような感覚が残る。
バリトンが腕を組みながら言葉を足した。
「元々、アルカノーレは主人格の才能を引き出すために作られる。声楽、演奏、芸術――すべてを極めるのが主人格の役割だから。そのために俺たちは生まれた。けど……俺たちの代は例外だった。『主人格』がいつまで経っても現れなかったんだ」
「それどころか、主人格の存在そのものが、最初からいなかったんじゃないかって噂まであったよね?」
テナーが静かに言う。
「いや、噂じゃねぇ。現実だろ」
バスが煙を吐き出しながらきっぱりと言い切る。
「俺たちの館は、いわば音楽の孤島だ。他の街とは違って、俺たちはここで生まれて、ここで育った。それも全部、主人格を迎え入れる準備のためだったはずなのに、俺たちが成人を迎えるまで、結局誰も来なかった。」
「それって……不自然だよね。主人格が存在しないアルカノーレなんて」
バリトンが鋭い目つきで呟いた。
「……だから、これが普通だと思ってた俺たちも、そろそろ現実を見なきゃいけないんだよ。主人格がいないままでも、どうにかして自分たちの役割を果たさなきゃいけないってな」
バスがタバコを灰皿に押しつけながら立ち上がる。
「それが何なのか……この青年を見てると、少しだけ答えが見えてきそうだがな」
そう言ってバスが俺の顔を見下ろす。その目はどこか険しいけれど、確かに興味を持っているように見えた。
気絶したままのアイツ――俺たちにそっくりな青年は、館の一室に運び込まれ、今は柔らかなベッドの上で静かに寝息を立てている。
とはいえ、その存在は俺たちにとっても未知で、不安をかき立てるものだった。
「……このままにしておくわけにはいかないよね」
テナーがそっと青年の顔を覗き込みながら呟く。彼の表情には、戸惑いと心配が入り混じっているようだった。
バリトンが腕を組みながら深く頷く。
「確かに。だが、このことを報告しなければならない。俺たちのような存在がもう一人現れるなんて……王室も放っておくはずがないだろう」
「めんどくせぇな」
窓辺に立ってタバコを吸っていた俺は短く吐き捨てる。けれど、彼らも状況を理解しているのか、反対する様子はない。ただ、その顔には苛立ちが見え隠れしていた。
そして翌朝、俺たちは青年を館に残し、三人揃って王城へと向かうことになった。
◇◆◇
王宮に足を踏み入れた瞬間、いつもとは違う空気が肌に触れるのを感じた。広い廊下、豪華な装飾、静かな足音だけが響く。
その一つ一つに、背筋が自然に伸びるような圧迫感があった。
アイツはまだベッドで寝かされている。テナーが彼のそばにいて、その顔に浮かぶ不安げな表情が、普段の冷静さを裏切っているように見えた。
あのピアノの音色もそうだし、彼のことが頭から離れない。あの青年は、ただの偶然の存在で済むわけがない。俺たちも、どうにかしてあいつの正体を解明しなきゃならない。
「どうする?」
バリトンが低く声をかけてきた。
「分からない。」
俺は吐息を漏らしながら答えた。
「ただ、王族に報告する以外、道はない。」
王室へと向かう途中、俺はふと考えていた。彼の姿、あの目の前にいるのにどこか遠い存在のような感覚。それが何なのか、正直分からない。
しかし、俺たちが彼を無視することはできない。この先、何が起こるか、どう転ぶか予測がつかない。
広間に案内されると、王族が待っていた。王様はアスティエル、王妃はシンフォニア、皇子はアルペジオ。
王室の名前は、どれも音楽に由来するものだ。それが不思議と、彼らの威厳をさらに高めているように感じた。
王様は、我々が到着した瞬間、何も言わずに視線を向けてきた。その眼差しには、何かを見透かすような冷静さがあった。
「どうした、バス。」
王様の声が静かに広間に響く。
「何か異常があったのか?」
その問いに、俺は言葉を飲み込む。今、この場で何を話すべきか、判断がつかなかった。ただ、彼のことはもう隠せない。何が何でも、全てを話さなければならない。
「実は…」
俺は、思い切って口を開いた。
「予期しない出来事が起きました。」
俺たちは王室の間に通された。いつものように、硬い雰囲気の中に身を置いて、深呼吸を一つ。王様をはじめとする王族たちの目線が一斉にこちらに向けられる中、俺は一歩前に出た。
「王様、王妃様、皇子殿下…」
俺は軽く頭を下げてから、続けた。
「『ピアノの言霊』という噂をお聞きしたことがありますか?」
その言葉が、王室の空気をわずかに変えたのがわかった。王様の眉が少しだけひそめられ、王妃も興味深そうに顔を近づけてくる。
アルペジオ皇子は小さくうなずきながら、俺の言葉に耳を傾けた。
「ピアノの言霊、だと?」
王様が短く問いかける。その反応を見て、俺は少しだけ黙り、深く息を吐いた。
「言霊ってのは、音楽がただの音じゃなくて、何かを語りかけてくるってことだ。人の心に直接響くような音だ。時には、精神を操るような力を持つこともある。」
俺は手を振りながら、できるだけ簡単に説明する。
「でも、それは『ただの音』じゃなくて、むしろ音楽が『言葉』を持っているって話なんだ。」
王妃シンフォニアがわずかに目を見開いた。
「音楽が…言葉を?」
俺は少し頷く。
「ああ。そういう音の色が、ある青年から発せられている。それも、ただの音楽じゃなくて、まるで魔法のような力を持っている音だ。」
王族たちが静かに息を呑む。その視線を感じながら、俺は続ける。
「その青年は、俺たちと同じような存在だった。俺たちアルカノーレと同じ、『声』を持った存在。けれど、彼はそれを…俺たちよりも強力に使いこなしていた。」
俺は少し間を置いてから、言葉を続けた。
「それが、ピアノを通して見つかったんだ。あの青年が奏でる音楽は、ただのメロディじゃない。それは、まるで『言葉』のように俺たちの心に直接響いてきた。」
シンフォニア王妃がじっと俺を見つめる。
「そして、その青年は、どのような姿をしていたのですか?」
俺は短く息をつき、言葉を選んでから答えた。
「その青年、見た目はまさに俺たちそのものだった。でも、俺たちよりも少しだけ背が高かった。その姿を見た瞬間、俺たちは驚いた。まるで、俺たちの『別の自分』のようだったからな。」
アルペジオ皇子が静かに口を開く。
「別の自分…?」
俺は軽く頷く。
「はい。見た目も声も、そしてあの力も、まさに僕たちの『姿』そのものでした。でも、どこかが違う気がするんです。彼の音楽には、我々にはないものがあって……。それに、あの青年が持っていた音楽の力は、ただの技術ではない。それが魔法のように作用するのを感じるんです。」
バリトンの言葉に王様が深く頷き、静かな声で言った。
「それが…『主人格不在』ということと、どう関係しているのか?」
俺は少し考えてから、言葉を紡いだ。
「あの青年、彼は主人格を持っていたんじゃないかと思う。俺たちアルカノーレは、主人格がいないまま育った。でも、あの青年は違った。彼の音楽には、主人格が宿っているような感じがしたんだ。」
王妃が口を開く。
「主人格が宿る…?」
俺は視線を落としながら言った。
「俺たちは、ずっと主人格が不在だった。そのために、何かが欠けている、どこか不完全な存在だった。でも、あの青年は違った。彼の音楽には、どんな風にしても埋められなかったその『何か』が、確かに宿っていた。」
王様が少し沈黙した後、眉を寄せて言う。
「その青年を、どこで見つけたのか?」
彼は目を見開く。
「彼は、まさそのピアノの目の前で演奏していた。僕たちと同じような姿で。でも、その音楽には違う力を感じた。僕たちが長年抱えてきた『不完全さ』を、彼はまるで克服したような存在だった。」
王様がゆっくりと息を吐く。その目は、鋭く、慎重なものだった。
「それで、今後どうするべきだと思う?」
俺の問いに、王様は改めて心を決めたようにこう言った。
「彼が持っている力、そして彼の音楽に秘められた『何か』が我々にとっても重要だと思われる。」
彼はゆっくりと語りかける。
「このまま彼を放置するわけにはいかない。彼の力を理解し、制御しないといつか大きな問題になるかもしれぬな……。」と。
俺たちが館に戻ると、すぐにテナーが出迎えてくれた。普段通りの穏やかな顔で、少し眠たそうに目を細めている。
「おかえり、二人とも。」
テナーがふわりと微笑んだ。
「おう、無事だったか?」
俺が声をかけると、テナーは頷きながらも、寝ぼけ眼で俺たちを見つめてきた。
「うん、まぁ、特に問題はなかったけど。」
テナーは、少し目をこすりながら言った。
「彼はまだ目を覚ましていない。」
俺は軽くため息をついてから言った。
「アイツが目を覚ましたら、すぐにでも王室に連れて行く。あのピアノの話を王様に伝えなきゃならん。」
「なるほど、わかってる。」
バリトンがそう言って、少しの間黙り込む。
その時、薄暗い廊下の先から、寝ぼけている彼の声がかすかに聞こえてきた。
「王室…?」
彼が眠たげに、ぼんやりとした声で呟いた。すぐにその視線がこちらに向く。
俺たちの話を聞いているうちに、アイツは顔をしかめた。
「王室って…何だかヤバそうなところじゃねぇか…?」
その一言に、俺とバリトンは顔を見合わせて、少し不安げに立ち止まる。
「おい、アンタ、起きてるのか?」
俺が声をかけると、アソビは寝ぼけ眼で立ち上がり、ふらつきながらも自分の足元を確かめるように歩み寄ってきた。
「……な、なんか、変な感じがする。」
彼は顔をしかめたまま、寝ぼけている目で俺たちを見上げる。
「王室か…それってすごく大事なところだろ?」
その言葉に、俺たちの話の内容が彼の中でちょっとした不安を呼び覚ましたのか、目を覚ましきれない彼の顔に何かしらの危機感が浮かぶ。
「君、大丈夫か?」
バリトンが少し驚いたように尋ねると、彼はしばらく黙ったままで、ゆっくりと答えた。
「俺、なんか、すごく嫌な感じがするんだよ。王室って…俺みたいなのが行ったら、絶対なんかまずいことになるだろ。」
彼の寝ぼけた目が、急に何かに気づいたかのように鋭くなった。
「なんだって?お前、まだ眠ってんだろ?」
俺は少し笑って言ったが、彼の表情があまりにも真剣なので、少し不安になる。
アソビはそれに反応するように、さらに寝ぼけた顔で言った。
「いや、ホント、なんかヤバいことが起きる気がするんだよ。」
その言葉に、バリトンは少し戸惑いながらも、「そんなことないよ。王室に行けば、何も問題はない。」と強調してみたけど、彼はまだ不安そうな目で俺たちを見つめている。
「だって、お前ら、俺と同じ顔してるんだろ?それがまず怖いじゃねぇか。」
アイツがぼんやりとした声で呟くと、俺たちの心の中に、どこか冷たいものが流れるような感覚が走った。
「確かに…」
バリトンが静かに呟く。
「だが、今はそれを考えている時じゃない。とりあえず、お前は休んでろ。」
「いや、だから…」
彼は言葉に詰まるが、やがて何も言わずに目を閉じてふらりとまたベッドに戻った。
その姿を見ながら、俺は心の中でつぶやいた。
「あいつ、まさか…本当に気づいてるのか?」
「まさか……」
「それにしても、あの声……まるで、僕とテナーの中間くらいの音域だったよね……?」
「……っ!?」
そう。まるで……俺たちと瓜二つのような……
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