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僕の顔は、一瞬にして真っ青になった。
ボスの彼女であるももちゃんと一緒にいるところを見られたら、もうどんな目に遭わされるか、考えただけで、体中が凍り付
く思いだ。
「あ、ボス! 無事だったのね!」
ももちゃんが、窓に駆け寄った。
「あら? 隣にいるのは子猫のにゃん太ね! 良かった。ふたりとも無事で」
ももちゃんは、嬉しくて涙声になっている。
にゃん太? ああ、人間の網にかかったにゃん太だ。ボスが助けに行ったんだ。
僕はももちゃんと一緒にいる理由を、なんとかボスを怒らせないように説明しなくては、と思うのだが、あせっていて言葉が
上手く口から出てこない。
「あの、ぼ、僕……」しっかりしろ!
だけど、舌がうまく回らない。
「そこの若いの」
キラリと光ったボスの眼光が、僕の方に向けられた。
「は、はい」
僕の体が硬直した。
「おまえも無事で良かった。人間の車に轢かれたっていう報告があったんで、てっきりもうダメだと思い、ノラ猫名簿から
は、抹消してしまっていたんだ。
そうか、人間の家で暮らしていたんだな」
僕は、ボスの口から出た、思いもかけない優しい言葉に心底驚くと同時に、ほっとした。
ボスは続けた。
「ノラ猫集会に来ていた時は、痩せこけて情けない奴だと思っていたけれど、今のおまえを見て安心したぜ。俺の大切な姫
を、お前に任せるからな。幸せに、元気で長生き出来るよう、俺の代わりに見守ってやってくれ」
思わず耳を疑ってしまうような、ボスの言葉に、
「は、はい」というのが、精一杯だった。
「ボスお願いよ。私も一緒に連れて行って」
ももちゃんが、ボスに向かって叫んだ。
「いや、姫は人間の家で、俺の分も幸せに暮らしていってほしい。外の世界は、どんどん厳しくなってきているんだ。人間が
空き地を見つけては、アスファルトでガチガチに固めていき、駐車場にしたり、マンションを建てていくんで、俺たちの居場
所はますます減ってきている。
もう俺達のいた雑木林は、跡形もなくなった。幸い、元のノラ集団にいた皆は、なんとか引っ越し先が決まって、それぞれ新
しい場所で生活を始めた。もちろん、前のような訳にはいかず、窮屈な思いをしているやつもいるけど、まあ住めば都さ」
昔の仲間たちが、無事落ち着いたことを聞いて、僕はほっと胸をなで下ろした。ボスは続けた。
「ところで、俺は、このにゃん太と一緒に旅に出る。もう、ボスの地位は捨てたから、気ままに旅をして暮らしていきたいと
思っている。この、にゃん太が一緒に来ると言うんで、二人旅を決めた。
かなり、危険の伴う旅だから、姫を連れて行くわけにはいかない。せっかく、人間の家にいるんだから、そこで幸せに暮らし
てほしい。頼む。わかってくれ」
ボスの真剣な目に、涙が光っていた。
ボスはもう一度僕に向かって言った。
「若いの! どうか、姫を、俺の代わりに大切にしてやってくれ。頼んだぞ! 」
最後に、ももちゃんに向かって
「姫、お前と会えて良かった。辛いがこれでお別れだ。
お前のことは忘れない。幸せに暮らせよ。幸せにな」と言ったかと思うと、
「さあ、にゃん太、出発だ! 」
ボスとにゃん太は、夕日の向こうに消えて行った。
どのくらいの時間が経っただろう。
夕暮れが、すっかり夕闇に変わっていた。
ももちゃんは身じろぎもせず、ボス達の消えていった窓の外を見ている。
小さくてまるい肩を小刻みに震わせながら。
辛いだろうな。悲しいだろうな。
僕は、ももちゃんの少し後ろにいて、じっとその小さな背中を見守っていた。
何か声をかけようにも、言葉が見つからない。いきなり僕の中から、悲しみの固まりが吹き出してきた。
僕たちが暮らしていた雑木林が、跡形もなく壊されてしまったこと。
懐かしい仲間たちが、みな土地を追い出されてバラバラになってしまったこと。
ボスが、あの強くて立派なボスが、ももちゃんをおいて行かなければならなかったこと。ももちゃんが大切なお母さんや弟と
別れなければならなかったこと。何もかもが、悲しかった。
僕の目からは、悲しみと怒りと憤りの混じった涙が、勢いよく落ちていった。
ふと、ボスの最後の言葉が心の中によみがえってきた。
―姫を、オレの代わりに大切にしてやってくれ! 頼んだぞ!
ボス!僕は、ボスの率いるノラ猫集団の一員であったことを、誇りに思います。
ボスの大切な姫を、ももちゃんを、しっかり守っていきます。
どうか、にゃん太といつまでもお元気でいてください。
そして、いつまでも勇敢で立派なボス猫として、生きていってください。
僕は、ゆっくりと顔を上げ、真っ赤に染まる夕焼け空に誓った。