テラーノベル
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「ハァ……」
白銀の床に、重たい溜息が落ちた。
コツ。
コツ。
コツ。
響いているのは、チャンスの気のない靴音だけだった。
「弾を込める」
コツ。
「銃を構える」
コツ。
「引き金を引く」
チャンスは歩きながら、手元のフリントロック銃を眺めた。
「……それだけの作業に、何の意味があるんだ?」
あまりにも虚無だった。
黒いフェドラ帽を斜めに被り、完璧に仕立てられた黒の高級スーツ。
白いシャツ。
黒いネクタイ。
漆黒のサングラス。
外見だけなら、どこからどう見ても危険なギャンブラーだった。
本来のチャンスなら。
銃声を聞いただけで心臓が跳ね上がる。
死の気配を感じれば、血が沸騰する。
勝つか負けるか分からない状況に放り込まれれば、その瞬間こそ最高の笑顔を浮かべる。
生死の境目。
予測不能。
一か八か。
それこそが、チャンスにとって生きている証だった。
だが。
今は違う。
SWAPSAKENの反転は、彼の「スリルを愛する心」そのものを反転させた。
危険は退屈。
勝負は退屈。
命懸けの状況も退屈。
予測不能な出来事ですら退屈。
何が起こっても。
何も起こらなくても。
全部、退屈。
「……」
チャンスは手の中のフリントロックをくるりと回した。
左手。
右手。
再び左手。
両利きならではの洗練された手捌き。
その動きだけを見れば、まるで熟練したガンマンのようだった。
しかし。
#Vanity
ゆ♨️
1,633
#azure
ゆ♨️
133
#1x1x1x1
ゆ♨️
476
99
サングラスの奥の目は。
完全に死んでいた。
「なぁ、マフィオソ」
前方を走る男へ、チャンスが声を掛ける。
「逃げるなら、もう少し真面目に走ってくれないか?」
「黙りやがれッ!!」
マフィオソが振り返る。
黒いコートの裾を翻し、必死に距離を取っていた。
「君のその必死な顔すら、今の俺には酷く退屈な演出に見えるんだよ」
「お前……ッ!」
マフィオソの顔が引きつった。
「その死んだ魚のような目で銃口を向けておいて、よくもそんなことが言えたものだな!」
「そうかな」
「そうだッ!!」
マフィオソは必死だった。
かつてはソネリーノファミリーを率いていた男。
裏社会で恐れられた首領。
部下を従え、敵を蹴散らし、命を賭けた勝負にも何度となく挑んできた。
そんな彼が。
今は。
「ハァ……ハァ……!」
逃げている。
しかも。
相手はチャンス。
よりによって、あの男だ。
普段のチャンスなら、むしろ自分から危険へ飛び込んでくる。
銃口を向けられれば笑う。
撃たれそうになれば喜ぶ。
命を賭けろと言われれば、むしろ嬉々として乗ってくる。
だが。
今のチャンスは違う。
笑わない。
焦らない。
怒らない。
楽しそうですらない。
ただ。
退屈そうに。
機械的に。
自分を追ってくる。
それが何より怖かった。
「……来るな」
マフィオソが呟く。
「頼むから……来るな……!」
「いや、ルールだから」
「ルールとかどうでもいいだろうがッ!!」
「そう言われてもなぁ」
チャンスは欠伸を噛み殺した。
「キラーなんだから、撃たないといけないんだろ?」
「その割に全然やる気がねぇじゃねぇか!!」
「だって面白くないし」
「知るかッ!!」
マフィオソの怒鳴り声が、白銀の空間に虚しく響いた。
チャンスは再び、深い溜息を吐いた。
「……まあいいや」
銃を持ち上げる。
「撃つよ」
「……ッ!」
マフィオソの身体が強張った。
チャンスは狙いすらまともにつけなかった。
ただ。
銃口を向ける。
そして。
引き金を引いた。
「バンッ――!!」
轟音が白銀の世界を震わせる。
フリントロックの銃口から、火花が散った。
白い煙が広がる。
放たれた弾丸は、空気を切り裂きながら一直線に飛んでいく。
マフィオソは反射的に目を閉じた。
「ぐあッ――!!」
弾丸が右肩に直撃する。
身体が大きく揺れた。
マフィオソはその場に膝をついた。
「し、仕留められた……!?」
脳裏を走馬灯が駆け巡る。
ソネリーノファミリー。
自分のカジノ。
積み上げてきた財産。
これまで築き上げてきた地位。
そして。
チャンスに奪われた「あの賞品」。
すべてが。
ここで終わる。
「俺は……ここで……」
マフィオソは固く目を閉じた。
だが。
「…………?」
何も起こらない。
痛くない。
苦しくない。
血も出ない。
「……?」
恐る恐る目を開ける。
「……あれ?」
右肩に手を当てる。
そこには確かに弾丸が当たった感触が残っている。
なのに。
傷がない。
それどころか。
「……あったかい?」
右肩から。
じわぁ……。
と、心地よい温もりが広がっていく。
肩。
首。
背中。
腰。
腕。
足。
全身へ。
まるで極上の温泉に浸かっているような温かさが、ゆっくりと身体を包み込んでいく。
「な……なんだ……?」
マフィオソは呆然とした。
その瞬間。
バチコン!!
「うおおおおおおおッ!?」
右肩から、とんでもない音が鳴った。
「な、なんだ今の!?」
マフィオソが肩を押さえる。
すると。
「……あれ?」
肩が。
軽い。
異常なほど軽い。
ぐる。
ぐるぐる。
ぐるぐるぐる。
「……回る」
さらに回す。
「めちゃくちゃ回る!!」
マフィオソは目を見開いた。
これまで長年のマフィア稼業で蓄積していた疲労。
八百長試合の精神的ストレス。
部下への指示。
カジノ経営。
チャンスを追い回し続けた無駄に長い執念。
そして。
長年にわたって彼を苦しめていた頑固な肩こり。
全部。
消えていた。
「肩が……!」
さらに首を回す。
「首も……!」
腰を捻る。
「腰まで……!」
腕を伸ばす。
「軽い……!」
身体が羽のようだった。
「なんだこれはァァァァッ!?」
マフィオソは思わず叫んだ。
視界まで妙に鮮明になっている。
呼吸も楽。
身体の節々も軽い。
肌の調子まで良くなったような気がする。
「俺……若返ってないか!?」
白銀の世界に響く、歓喜の声。
一方。
撃った本人。
チャンスは。
「…………」
無表情だった。
銃口から立ち上る緑色の煙を、面倒くさそうに手で払う。
「何って」
淡々と答える。
「フリントロックの弾丸だけど」
「そんなことは分かっている!!」
マフィオソが叫ぶ。
「何故俺の肩がこんなに軽いんだ!?」
チャンスはフリントロックを眺めた。
しばらくして。
「ああ」
何かを理解したように呟く。
「そういうことか」
「何がだ!?」
「反転してるんだよ」
チャンスは銃を軽く持ち上げる。
「殺傷能力が、治療能力に反転したんだろうね」
「…………」
マフィオソが固まる。
「つまり」
チャンスは淡々と続けた。
「これは人を殺すための弾丸じゃない」
一拍。
「人を最高の健康状態にするための、ヒーリング弾だ」
「…………」
マフィオソは自分の身体を見下ろした。
そして。
「……最高の健康状態」
ゆっくりと拳を握る。
「……つまり」
顔を上げる。
「俺、絶好調じゃねぇか!!」
「…………」
チャンスの口元が、ほんの少しだけ歪んだ。
笑ったわけではない。
むしろ。
「最悪だ……」
心底嫌そうだった。
「……何故だ」
「何がだ?」
「何故、俺が撃った弾丸まで人を幸せにするんだ……」
チャンスは頭を抱えた。
「俺はキラーなんだぞ」
「そうだな」
「人を撃ってるんだぞ」
「そうだな」
「なのに何で……」
チャンスは白銀の空間を見回した。
完璧に整った床。
傷ひとつない世界。
血も流れない。
苦痛もない。
命の危険すらない。
そして今度は。
自分の銃弾まで、人間の身体を絶好調にしてしまった。
「……人を撃つことすら、健康促進イベントになるんだよ」
「…………」
マフィオソは自分の肩を回した。
「確かに……」
「黙っててくれ」
「いや、でも本当に肩が軽いぞ」
「聞きたくない」
「首も凄いぞ」
「聞きたくない」
「腰も――」
「聞きたくないって言ってるだろ」
チャンスは両手をポケットに突っ込んだ。
そして。
心底うんざりしたように首を横へ振る。
「命のやり取りすら成立しない」
白銀の空間に、低い声が落ちる。
「撃っても死なない」
「…………」
「逃げても怖くない」
「…………」
「殺そうとしても、相手の体調が良くなる」
チャンスは遠くを見つめた。
「……この世界」
ほんの少しだけ間を置く。
「吐き気がするほど安全だ」
マフィオソは何も言えなかった。
ただ。
「……まあ」
肩をぐるぐる回しながら。
「俺としては、悪くないけどな」
「…………」
チャンスのサングラスが、ゆっくりとマフィオソへ向いた。
「……次は本気で撃つからね」
「え?」
「少なくとも」
チャンスは銃を構え直した。
「今度こそ何か面白いことが起きてほしい」
マフィオソの顔から笑顔が消えた。
「……待て」
「何?」
「まさかとは思うが」
マフィオソが一歩後退する。
「次も俺に当てるつもりか?」
チャンスは無表情で頷いた。
「うん」
「俺、また健康になるだけじゃないのか!?」
「たぶんね」
「だったらやめろォォォォ!!」
白銀の世界に。
マフィオソの悲鳴と。
チャンスの心底退屈そうな溜息が。
再び響き渡った。
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