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「ハウススチュワートの『田中』と申します。お坊ちゃまのお帰りを心待ちにしておりました。コートや大きなお荷物がございましたら、こちらで田中がお預かりさせていただきますが、いかが致しましょう?」
なるほど、席につく前にここで預ける事が出来るのか。
よく出来たもんだと感心しながら、功基は「いえ、平気です」と申し出を断った。カーディガンは預けるようなモノではないし、手荷物も小さなショルダーバッグだけだ。
「左様でございますか。かしこまりました。さあさ、長旅でお疲れでしょう! 当家サロンにて、ごゆっくりとお寛ぎくださいませ。和哉、お坊ちゃまをお席までご案内したら、お紅茶のご説明を忘れないように」
「はい。それでは、こちらへどうぞ」
先を促され、田中へ軽く会釈をして和哉の後を追う。
大鏡の横がその『サロン』のようだ。舞台幕のように上部から吊るされたカーテンが割り開かれた先に、大部屋が現れた。
天井にはシャンデリア型の照明が三つ。左手壁側にはソファーを使用した席が並び、右手の壁側には天蓋のようなもので覆われた個室風の席が三席ほど連なっている。それらの間が机と椅子を使用したよく見る一般的な座席であり、客の人数によって、机の位置を移動させているようである。
予約は常に満席というだけあって、座席は全て埋まっていた。当然といったら当然だが、客は女性しかいない。
フロアへ下りて席へ進むまでの間に数名が物珍しげな視線を寄越したのを感じたが、大半は友人や執事との会話に夢中になっているようで、功基はほっと胸を撫で下した。
最悪のパターンとして、『男が来た』とザワつく店内を想像していたからだ。
「こちらがお坊ちゃまのお席になります」
カタリ、と和哉に椅子を引かれ、功基は鞄から腕を抜き「ああ、どうも……」と腰掛けた。
これまで何度もホテルやレストランで似たサービスを受けているが、どうにも慣れない。更にはこの妙な空間のせいか、全く落ち着かない。
通されたのは店内奥に位置する二名がけの席だった。後方には四人グループの女性客、前方には常連なのか、ひとりの女性が壁側のソファー席で優雅にティーカップを傾けている。
「お荷物、頂いてもよろしいでしょうか?」
「へ? あ、ハイ」
差し出された右手に、鞄の紐をかける。と、受け取った和哉がおもむろに床に片膝をつくので、功基は何事かと目を見張った。
どうやら、椅子下に荷物入れがあったらしい。和哉は慣れた様子で籠を引っ張り出すと、その中に鞄を収めて蓋をする。
(言われりゃ自分でやるってのに……)
やっぱり面倒な店だ。同情に似た気持ちで立ち上がった和哉を見遣る。
和哉はやはり無表情のまま軽く上着を整えると、机横に立てかけてあったメニュー表へ手を伸ばし、功基の前に広げて置き直した。
「それでは、簡単にメニューのご説明をさせて頂きます。本日のご希望はお食事でしょうか、ティータイムでしょうか」
「あの、アフタヌーンティーをお願いしたいんですけど」
そう、これが今回功基がこの店に足を運んだ理由である。正確には、ここの『紅茶』が目当てで、恥を忍んで訪れたのだ。
紅茶好きである母の影響か、物心ついた時にはすっかり紅茶の魅力の虜だった。大学に通い初め、平日にも時間が取れるようになってからは、ホテルのラウンジやティーサロンに度々足を運んでいる。
理由は単純。平日の方が、予約が取りやすいからだ。
大抵の場合、アフタヌーンティーセットを注文すると、紅茶のおかわりが自由となる。普段訪れる機会のない店のティーフードもついて来て一石二鳥だと、功基はよくアフタヌーンティーセットを頼んでいた。
ここ『Butler Watch』でも紅茶のおかわりを自由とするアフタヌーンティーセットを提供していると、事前にネットで調査済みである。
「アフタヌーンティーでございますね」
和哉がページを捲る。
「当家サロンではこちらの二種類をご用意しております。サンドイッチやキッシュといったライトミールにスコーン、ケーキを合わせた三段トレイのものと、デザートプレートにお紅茶を合わせたもの。既にお決まりでしょうか?」
「っと、三段トレイの方で」
「かしこまりました。ケーキはこちらのメニューからおひとつお選び頂けますが、いかが致しましょう」
「えーと……じゃあ、フルーツタルトを」
「承りました。お紅茶のページはこちらからになりますが……」
言いながら、和哉がページを更に捲る。
「こちらから記載されているのが当家サロンの調合師が配合した、オリジナルのブレンドティーになります」
「……結構あるんですね」
「大旦那様は新しいモノがお好きな方なので、次々と新しいお紅茶をご所望されるのです」
「ああ、そういう……」
(そりゃ迷惑な大旦那様だな)
「調合師達も研究熱心な者が多いので、頭を抱えつつも楽しそうにやっておりますよ」
ついでのような補足に、功基は曖昧に頷く。こういった界隈ではどう返すのが正解なのか、さっぱりわからない。
和哉はやはり感情の見えない面持ちで、「こちらからが一般的なシングルエステートのお紅茶と、フレーバーティーとなります」と説明を続けた。
「ダージリンはキャッスルトン茶園のものを、アッサムはディコム茶園のものをご用意しております」
「ま、じか」
驚いた。
功基は思わず険しい顔になる。
「……因みに、ダージリンってセカンド・フラッシュ?」
ダージリンには一般的に、春摘みのファースト・フラッシュ、夏摘みのセカンド・フラッシュ、秋摘みのオータムナルが存在する。
和哉の声に微かな戸惑いが交じる。
「はい。今期のものはまだ入ってきておりませんので、昨年のセカンド・フラッシュとなりますが……」
「うん、わかった。じゃあ、ダージリンで」
そこまで伝えてから、功基は慌てて「あ、お願いします」と付け足した。興奮のあまり、敬語がすっかり抜け落ちていた。
気を悪くしただろうかとオーダー用紙に記入する和哉の表情をチラリと盗み見ると、丁度書き終えたのか、視線を上げた邦和とばっちり目があってしまった。