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「本当の理由は何?」
宇宙展の打ち合わせの後、春日野さんは私を呼び止めた。
「雄大が担当を外れた理由」
雄大さんが担当を外れたと伝えてから、打ち合わせ中ずっと険しい顔で私を睨みつけていた。
スケジュールの都合上、という理由に納得していないことはわかっていた。
怒りたいのはこっちよ……。
「申し訳ありませんが、社内の事情ですので——」
「あなたには聞いてないわ」
真由の言葉を、ピシャリと跳ね除けた。
初めて会った時とは別人だな。
真由がムッとして前のめりになり、私はスーツの裾を引っ張った。
「食事は楽しかったですか?」
「え?」
「『雄大』との」
初めて、雄大さんを呼び捨てにした。
負けたくない。
「あなたには——」
「あれが最後です」
「え?」
「次、はありませんから」
『俺が馨を守りたい』と言った雄大さんの不安気な微笑みが思い出される。
「次、は許しません」
もう、あんな顔をさせたくない。
「雄大の自由だわ」
胸で両手を組み、不遜な笑みを浮かべているけれど、こめかみに青筋が見えそうなほどの怒りを感じる。
「そうですね。でも、私が許さなければ、彼はあなたには会いません」
「大した自信ね」
「はい」
目を逸らしては、負け。私は正面から彼女の視線に耐えた。
「いいわ。雄大に直接聞きます」
先に目を逸らしたのは、春日野さん。
勝った、というわけではないけれど、ホッとした。
けれど、これで終わりじゃない。
「素敵なお色ですね」
「え?」
「春日野さんの口紅」
ニヤリ、と品のない笑み。
「ありがとう」
やっぱり、わざとだ——。
「けど、嫌いです」
「そお? 雄大はどうかしらね?」
口紅はワイシャツ襟の下に付いていた。ハッキリと唇の形で。
躓いてぶつかった時に付いたのなら、擦れたようになるはずだし、襟の上にも付くはず。
襟の下に潜るようには付かない。
口紅は、私への宣戦布告——。
「聞けばよかったですね? すみません。気づいた時はそれどころじゃなかったので」
春日野さんの唇がピクッと動いた。
「けど、どうでしょう? 雄大はああいうことは嫌いだと思います」
ふっと、彼女の手に目がいった。そして、ぞっとした。
あの爪で引っ掻かれたら痛そう……。
整えられた眺めの爪に、紫をベースにしたマニキュア。
魔女……?
不謹慎な考えに、笑いを堪える。
今の私はHP満タン。
「一度は好きで付き合っていた女性があんな姑息な真似をするなんて、雄大はショックでしょうし怒ると思います」
春日野さんが魔女なら、私は勇者。魔法で惑わされる前に、剣を振り下ろす。
「春日野さん。雄大が担当を外れたのは、あなたと食事しているところを社の人間に見られたからです」
「え?」
「大きな仕事ですからね。枕営業したんじゃないかって噂になりました」
「食事くらいで……」
「食事だけなら、噂にはならなかったでしょうけど」
言わんとしていることを察したよう。
春日野さんがギュッと手を握った。爪が食い込まないのかと、思った。
「ご存じの通り、雄大は優しいですから。一緒にいる女性が躓けば支えるし、それを疑うようなことはしない。だから——」
私は願いを込めて、春日野さんを見つめた。
「あなたを『いい友人だ』と言った雄大を裏切らないでください」
急所を突かれたように、目を見開き、青ざめた顔。
「雄大は口紅のことは知りませんし、言うつもりもありません」
私は深くお辞儀をして、真由とその場を後にした。
宇宙技術研究所からの帰り道、私と真由は二時間前にいたカフェに戻っていた。
真由は私以上に春日野さんの態度に腹を立てていて、一息つこうということになったのだ。
けれど、『口紅』のことを聞いた真由は、一息どころか、更に怒りを増した。前回のキスのことまで言ってしまったことを、後悔した。
「つーか、部長も何なの? 隙、あり過ぎじゃない?」
真由の言葉は正論。
私が日本酒で悪酔いしたせいもあって『事故』として片付けられてしまったけれど、忘れられることではない。
「言ってやれば良かったのに! もっと怒ってやれば良かったのに!!」
セックスに夢中で言えなかった、とは言えないな……。
あの日の、私の足を舐める雄大さんを思い出して、頬が熱くなる。ホットコーヒーを冷ます振りをして、誤魔化す。
「馨。三度目は許しちゃダメだからね!」
「え?」
「二度あることは三度ある」
「三度目の正直……は?」
「それならそれでいいのよ。けど、万が一、三度目があったら!」
三度目があるとしたら、雄大さんの気持ちが春日野さんに戻った時じゃないのかな。
自分の想像に、気落ちする。
「わかった!?」
「はい」
「あの女の気持ちもわからなくはないわよ? 結婚願望がなかった男が結婚するとなれば、どうして自分じゃダメだったのかは気になるわよね」と言って、真由はアイスティーをすする。
真由の中で春日野さんが『あの女』になっていた。
「うん……」
「馨の事情を知ったら、もっと怒りそうね」
真由に、聞いてもらいたかった。
春日野さんから聞いたこと。
雄大さんの両親のこと。
真由ならきっと『気になるなら聞けばいいじゃない』と言う。
雄大さんから話して欲しい……なんて、面倒くさいよね。
「馨」
「ん?」
「まだ、何か悩んでんの?」
「え?」
「すっきりしない顔、してる」
「うん……」
真由には隠し事は出来ない。只でさえ感がいい上に、長い付き合い。
「私にも言えない?」
「もう少し、足掻いてみる」
「無理、し過ぎないでよ」
「うん」
無理に何もかもを聞きだそうとしない真由の優しさが、有難い。
「馨」
「ん?」
「馨が部長と結婚するって聞いた時、何かあるな、って思ったの」
「……」
真由には、契約のことは言っていない。軽蔑されたくなかった。
「二人が付き合ってるなんて聞いたこと、なかったし」
「うん……」
「けど、部長が言ったのよ」
「……?」
「『俺が馨に惚れて、結婚したいと思った』って」
雄大さんがそんなことを……。
「何か……嬉しかったのよ」
「真由……」
「今度こそ、幸せになるんだよ?」
昊輝と別れた時、真由には心配をかけた。別れた本当の理由も言えず、苦しかった。ただ、仕事に打ち込んで寂しさを紛らわすことしか出来なかった私を、黙って見守ってくれた。
「うん……。ありがとう……」
「さて! じゃ、楽しいお仕事に戻りますか」
真由が、笑って言った。