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乙女ゲームのイベントを期せずしてこなしてしまった林間学校から早数週間。
学園では今日から夏季休暇に入っていた。前世での夏休みと同様、丸々一ヶ月の休みとなる。
ルシンダは先生たちから出された宿題に取り組んだり、魔術に関する書物を読むなどして過ごしていた。
今日も庭の木陰で読書をしていると、頭上から涼やかな声が降ってきた。
「ルシンダ、何を読んでるんだ?」
「あ、お兄様。今は地理の本を読んでいました」
「勉強熱心だな」
「将来、旅に出るためには色々な知識があったほうがいいですから」
「……ルシンダは本当に旅に出るつもりなんだな」
複雑そうな顔でクリスが言う。
「もちろんです。……ところで、何かご用でしたか?」
「用というほどのことでもないんだが……街に新しいカフェができたらしい。よかったら一緒に出かけないか?」
兄からの思わぬ誘いにきょとんとしていると、クリスがくすりと笑って言った。
「ルシンダと僕は学年が違うから、学園ではなかなか会う機会がないだろう? 夏季休暇くらいは、兄妹水入らずで過ごすのもいいかと思って」
たしかに、学年が違うとほとんど接点がないし、屋敷に帰ってからも毎日(主にルシンダが)課題に追われているせいで、食事どき以外で顔を合わせる機会もあまりない。クリスなりに気を遣ってくれているのだろう。
また、クリスもルシンダも冷淡な両親のせいで、この家にあまり居心地の良さを感じていなかった。そのせいで、どこかに出掛けたいという気持ちもあったのかもしれない。
……などと色々理由づけをしてみたものの、ルシンダとしても「街の新しいカフェ」と聞いたら返事は一つしかなかった。
「ぜひ行きたいです!」
普段、街に出かけることもほとんどないので行ってみたいし、「カフェ」と言うのは乙女心をくすぐる魅惑のワードだ。きっと甘くて美味しくてお洒落なスイーツがたくさんあるに違いない。想像しただけで勝手に頬が緩んでしまう。
にこにこと目を輝かせるルシンダを見て、クリスは優しく微笑んだ。
「では明日行ってみよう」
「はい、楽しみにしてますね」
◇◇◇
そして翌日。
ルシンダとクリスは昼食を早めに済ませてから二人で街へと出かけた。今日は初めに店を回って買い物を楽しんだ後、カフェで一息ついてから帰宅する予定だ。
(そういえば、前世でもお兄ちゃんとこんな風にお出かけしたっけ)
クリスと並んで大通りを歩いている途中、前世での楽しかった思い出が頭に浮かんで、ふふっと笑みがこぼれる。
「急にどうしたんだ?」
「お出かけ、楽しいなあと思いまして」
「ああ、そうだな」
大通りには興味を引かれる店が多くて、ルシンダは右を見たり左を見たりと忙しい。
「あっという間に時間が過ぎてしまいますね」
「早く出かけて正解だったな」
「あ、お兄様、あそこの文具店に入ってもいいですか? レターセットが欲しくて……」
「あそこは品揃えもいいし、行ってみよう。誰かに手紙を書くのか?」
「はい、学園の友人のミアに書くつもりです」
「ああ、ルシンダがよく話してくれる子か。僕も挨拶したいから、今度屋敷に招待するといい」
文具店に入ると、クリスが言ったように本当に品揃え豊富で、無地のシンプルなものから女性向けのエレガントな柄の入ったものまで、素敵なレターセットがたくさんある。なかなか選べず、ルシンダは楽しくも悩ましい時間を過ごした。
結局、一つに決められず、薄いグリーンにレース柄のエンボス加工がされたものと、上品なストロベリーの柄が入ったものにした。
(ミアにはストロベリー柄のレターセットのほうがいいかな?)
友達に私的な手紙を書くなんて今世では初めてで、なんだか楽しみなような、くすぐったいような、変な感じがする。
購入したレターセットを入れてもらった紙袋を大事に抱えて、ルシンダとクリスは文具店を後にした。
大通りを半分以上過ぎたところで、またルシンダが声を上げた。
「お兄様! あの雑貨店も見てみたいです。素敵なものがたくさん……!」
「ああ、好きなだけ見るといい」
雑貨店に入ると、そこにはさまざまなアンティーク風の雑貨で溢れていた。
色の付いた石がはめ込まれた鈍く光るゴブレットや、枠に繊細な彫金が施された壁掛けの鏡。そんな独特の雰囲気の品々が無造作に並べられながらも、不思議な調和を生み出していた。
そんな普通の年頃の乙女ならあまり興味を持たなそうな店の中で、ルシンダは恍惚とした表情を浮かべ、ぶつぶつと呟きながら物色している。
「レアアイテムとかアーティファクト感ある……格好いい……」
「気に入ったものはあったか?」
静かにはしゃぐルシンダを満足そうに見つめながら、クリスが尋ねる。
「もう全部がよすぎて……。あ、でも、特にこの懐中時計にときめきました……! 素敵じゃないですか?」
ルシンダが棚に飾られている懐中時計を指さす。どうやら星座がモチーフになっているようで、蓋部分に星座を表す絵が一つ彫られており、全部で十二種類あるようだ。
「そんなに気に入ったのならプレゼントしよう。すまないが、この処女宮の懐中時計を包んでくれないか」
クリスが、ルシンダの誕生月の星座モチーフが描かれた時計を包むよう店員に言う。ルシンダは気づかなかったが、すぐ近くの椅子に腰掛けていたようだ。それまでまるで置物のように微動だにしなかった老店員はクリスの注文を聞いて立ち上がり、所望された懐中時計をゆっくりと箱に納めた。そして、ルシンダをちらりと見ながら言う。
「ご家族お揃いでお求めになる方も多いんですよ」
この老店員は意外とやり手のようだ。案の定、ルシンダがきらきらと目を輝かせてその気になっている。
「お兄様、お揃いで持つなんて素敵ですね……」
ルシンダが上目遣いでそう言うと、クリスは苦笑した。
「では、金牛宮の時計ももらおう」
「……毎度あり」
兄と揃いの懐中時計を購入して店を出たルシンダは、明らかに浮き足立っていた。
頬は緩み、足取りは軽く、今にもスキップをし始めそうな雰囲気だ。
「そんなに気に入ったのか?」
「はい! お揃いの時計なんて、家族っぽくないですか?」
「たしかに。そういえば、ルシンダと揃いのものを持つのは初めてだな」
「ふふ、こんなに素敵なプレゼントをありがとうございます。大切に使いますね」
クリスが浮かれるルシンダの頭を優しく撫でた。
「僕も大事にする。……さあ、そろそろカフェに行こう」