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八木と別れた後、真衣香はすぐに電車に乗った。夜の11時を過ぎているが電車の中はそこそこに混み合っており、見渡すも空席はなかった。
(……ううん、空いてても座れる気分じゃないよ)
小さく首を振って、ドアの前に立ち、スマホを取り出した。
そうして、意を決し坪井に連絡をしたけれど、待っても待っても既読にはならない。
――誰かと一緒にいるのかな。
そんな不安に身が怯んだが、今の勢いを失ってはいけない気がした。
(とりあえず、坪井くんのマンションの最寄りの駅まで行ってから……考えよう、うん)
ちょっとストーカーみたいかな。なんて、浮かんだ疑問を振り払い”連絡はつかないけれど部屋まで押しかける”という自らの選択に対し真衣香は、電車の中でひとりコクコク頷き、勝手に肯定を繰り返した。
そんなことをしながら、何駅かを立ったままで見送っていると……。
窓から見える景色が、見覚えのあるものに変わって行く。あの冷たい夜が真衣香の脳裏に蘇ってきて、思わず震えだしそうな足に力を込めた。
(こ、この駅で……間違いないはず)
と。あの日の記憶を頼りに恐る恐る電車を降りて、早足で改札を抜けた。
見覚えのあるのは東出口と書かれた看板がある、その先にある街並みだ。
(と、とりあえず……出てみようかな)
自分の記憶だけを頼りに坪井の住むマンションを目指すことにした。
歩きながら、次は電話をかけてみた。何度か繰り返しても「電源が入っていないため……」と、綺麗な声だが機械的。そんなお馴染みのアナウンスが流れ、繋がらない。
(誰と、いるのかな……。スマホの電源切るくらい、大切な相手なのかな)
もしくは、電源が切れていることにさえ気が付かない。それほどまでに夢中になれる相手と共に過ごしているのだろうか。
……不安が渦巻いて、息苦しい。
10分ほど歩いていると、やはり記憶は正しかった……と真衣香は胸を撫で下ろす。
目前に見覚えのある5階建てのマンションが見えたからだ。
人間は嫌なことから忘れていくと、いつだったかテレビで見たけれど。真衣香には当てはまっていなかったのか。それとも”嫌”な想い出だけではなかったということか。
どちらにせよ、無事たどり着いた坪井が住むマンション。そのエントランス前にある植え込みに座り込んでみる。もしかしたらもう帰宅しているかもしれないけれど、それならそれで何度か電話をしながら様子を見てみよう。
まだ、帰っていないのなら、ここにいれば見つけることができるかもしれない。
――そう考えて、座り込み。どれくらい経ったのか。
真衣香はかじかんで感覚のない手を握りしめて、はぁ、と息を吐いた。ほんのり暖かくなった手のひらは、次の瞬間にはもう冷たくなっていて。
足先もタイツでの防寒は、もはや無意味となっているのか。冷たいよりも痛いが強い。
その時、カツカツ、と。
二人分の足元が聞こえてきてハッと顔を上げた。
(あ……ま、また変な目で見られちゃった)
坪井が”誰か”と帰ってきたのかと、ビクビク顔を上げたなら別の住人カップルで。実は先程から二組ほどにおかえりなさいの視線を送ってしまっている。
怪しい人物であることも。もし仮に坪井が帰ってきても迷惑だとういうことも。百も承知だが、真衣香もここで退くことはできずにいた。
今、帰ったら。もう二度と頑張れなくなってしまいそうだと予感していたからだ。
不安からか、じわじわと涙が滲んできて、慌ててそれをコートの袖で擦るように拭いた。
弱い心が、もう帰ろうよ。と囁くけれど。
八木が、どれ程の想いで見送ってくれたのかを理解できない真衣香では、もうないと自分自身信じていたい。
寒さでカタカタと歯が鳴りそうなのを、唇を噛んで堪える。深夜の住宅街は、先程通り過ぎて行った住人たちの声が消えてしまい、再び静けさを取り戻した。
見上げた夜空は真ん中に星が広がっている。月明かりも真衣香を励ますように夜の街を照らしてくれているように思えて、ほんの少し心が暖かくなった。