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光のエレベーターが止まると、祐一達は光の壁をすり抜け外へ出た。祐一が辺りを見回すと、そこは少し広めのエレベーターホールといった薄暗い感じの部屋で、木製の小さな扉がポツンと一枚だけある殺風景な所だった。
「さあ着いたぞ、ここがあの世だ。じゃあ爺さん、こいつの事頼むな。俺、時間無いからもう行くからさ」
「はいはい」
「え、死神さん、もう行っちゃうんですか? 僕、あの世の事、なにも分らないんですけど。あの世について、説明とかしてくれないんですか?」
死神は肩を竦めると、鼻で笑い、呆れた顔をした。
「なんで俺がそんな何の徳にもならない事をしなきゃいけないんだよ。死神って言うのは、ボランティアはしないんだよ。だいたい、お前の記憶が戻らないのは、俺のせいじゃねえだろ。お前らをあの世に連れて来るのが俺の役目なんだから、これで俺の仕事はおしまいだよ。あの世の事が知りたいなら、爺さんか役所の人間にでも聞きな。じゃあな」
死神は冷たくそう言うと、光のエレベーターへと乗り込み、地球へと戻って行ってしまった。死神を見送ったお爺さんは、くるりと振り向くと、古ぼけた扉へと近づいて行く。
「ほれ、こっちじゃ。行くぞ」
「あ、はい」
お爺さんはドアノブを握ると、ガチャリとひねった。
「え? なんで触れるんですか?」
「あの世にある物は、霊体でも触れるように出来ておるんじゃよ。まぁ、触れない物も中にはあるが」
お爺さんが扉を開けるとそこには、初めて目にするあの世の世界が広がっていた。
「うわぁ、ここがあの世か」
「どうじゃ、なかなか大したもんじゃろ。ほれ、早速役所へ行くぞ」
扉から出ると、そこはまさに白銀の世界。霧が掛かっているように見えるのだが、なぜか遠くの景色は良く見える。まるで晴れ渡った雲の中といったような、なんとも不思議な世界だ。祐一が周りの景色に見入っていると、後から昇ってきた亀仙人のような老人と若い女が祐一達を追い越していく。
「お父さん、次は守護霊ですか?」
「いや、次はやっと死神になれるんだよ」
「いいですねぇ。私は玄孫の守護霊だから、しばらくは代理ですよ」
祐一が空を見ると、空の向こうは巨大なアーチ型になっていて、薄い色をした木々に囲まれた、白い街並みが見えた。
「え? 何で空の向こうにも建物があるの?」
「ここは、月の内側じゃ。じゃから空の上にも薄っすら向こうの街が見えるんじゃ」
「凄え・・・」祐一は、お爺さんの後を追いながら、初めて見る世界に目をやった。
「あの世というのは、地球のように星の外側に世界が広がっておるのとは違い、星の中が空洞になっていて、星の内側に世界が広がっておるんじゃ。じゃから、外からは全く見えない世界なんじゃよ」
「あの、透き通った壁みたいなのは何ですか?」
祐一は、街と街を遮っているかのように見える半透明な壁を指差した。
「あれは、国の境目じゃ。向こうが韓国のあの世で、その隣は北朝鮮のあの世じゃな」
「あの世も、国によって分かれているんですか?」
祐一達は、大きな氷砂糖のような石が敷き詰められている小径に沿って進んで行く。
「そうじゃ。まぁ、昔はあんな壁は無かったんじゃがな」
「そうなんですか。どうして今はあるんですか?」
小径の脇には、おぼろげな木々達が並んでいる。小鳥は優しく歌っているが、その姿は見えない。
「ん? まぁ、人間の愚かさが生み出したと言うか。そんな事より、人間界と同じで、勝手に他の国の天界との行き来は出来んから、壁を越えない様に気を付けるんじゃぞ」
「人間界? 天界?」
聞き馴染みのない言葉に、祐一は首を傾げた。
「ん? ああ、お前さんには一から説明せんといかんのじゃったな。ここでは、『この世』つまり、生きている人々が暮している地球の事を『人間界』又は『下界』と呼び、『あの世』要するに、今いる月の中の事を『天界』と呼ぶんじゃ。そして、神々が住むと言われるさらに上の世界の事を『天上界』と呼ぶんじゃよ」
「天上界? そこに神様が、いるんですか?」
「そう言われてはおるが、どうなんじゃろうかのう。神様に会ったと言う者は、天界にもおらんからな。たまに、天上界から天界へと使者がやってくるらしいが、上層部の者しか会えんしの。天上界についてはいくつかの仮説はあるが、その殆んどが謎じゃな。ちょっと、もう一度上を見てみい。空の真ん中に、光っている所があるじゃろ」
祐一は、再び顔を上げた。
「あの、小さい太陽みたいなやつですか?」
「そうじゃ、あそこに天界の上層部があるんじゃが、あの中に天上界へと通じる扉があると、言われておるんじゃ」
「へえ・・・」顔を下ろした祐一は、離れていくお爺さんの後を追った「天上界に行った事がある人は、いないんですか?」
「かなりの徳を貯めれば行く事ができるらしいが、とてつもなく沢山の徳が必要らしいからのう。ある程度の徳が貯まると、人間界に降りる者がほとんどじゃし。近頃は天上界へ行こうと、一生懸命徳を貯める者は、めったにいないのう」
「ふーん。さっきから言ってる『徳』て言うのは、何なんですか?」
おぼろげな林を抜けると、小径の周りは草原に変わった。所々に立派な大木が根を張っている。
「徳と言うのはじゃな。まあ、簡単に言うと、人間界で言う『金』みたいな物かのう。詳しい事は役所で教えてくれるはずじゃから、役所の人間から聞きなさい。それと、徳が0になると大変な事になるから、十分注意せにゃならんぞ」
「は、はぁ」祐一は、お爺さんの言ってる意味がいまいちよく分からず、首をひねった。
「あの」何が大変なのか、祐一がお爺さんに尋ねようとすると、二人の向う先に、中世のヨーロッパを思わせるような立派な建物が見えてきた。
「うわぁ、ずいぶん立派な建物ですねぇ」
「あれが役所じゃ」
「だけど、どうして日本の天界なのに、ヨーロッパ風な建物なんですかね? もっと、ゴーンて感じのお寺みたいなのを想像してたのになぁ」
「それは、白銀星《ルシア》の者達がじゃな・・・」
お爺さんはそう言いかけると、役所の前にある磨かれた石が敷かれた広場の端に何かを見つけ、スゥ~と体を前に倒した。サークル状の広場は、様々な花や立派な木々に囲まれている。
「これは珍しいのう」
「何がです?」
祐一は興味をひかれ、お爺さんの後ろに体を倒した。祐一がお爺さんの顔の横から覗き込むと、そこには黄色い一輪の花が咲いていた。
「これって、タンポポじゃないですか。これのどこが珍しいんですか?」
「それはじゃな・・・」
お爺さんはそう言いながら振り返ると、祐一の顔を見て驚いた顔をした。
「のわ! 何で真後ろにおるんじゃ! もっと離れんか!」
怒鳴られた祐一は慌てて体を起こした。
「まったく、危うく接吻するところじゃ。お前は変態か!」
「だって、いきなり振り向くから。僕のせいじゃないですよ。それより、そのタンポポのいったい何が珍しいんですか。教えて下さいよ」
お爺さんは体を起こすと、顔をしかめた。
「まったく。ワシが珍しいと言ったのは、このタンポポが生きた植物じゃからじゃよ」
「はぁ? 生きた植物ぅ?」
祐一は、ボケた老人を見るように、お爺さんの顔を見つめた。
「なんじゃ、その顔は?」
「だって、植物が生きているのは当たり前でしょう。他にも周りにたくさん木とか生えてるじゃないですか」
「やれやれ、周りに生えておる植物達を目を凝らして、よく見てみい」
そう言われた祐一は、周りに生える植物をジィっと観察した。すると、周りの植物達の姿が何となく透けているように見える。祐一が近くに立っていた空っぽになった金魚鉢のような大きな木に触れようとすると、祐一の手は木をすり抜けた。
「どうじゃ、分かったか。天界にある植物は皆、人間界で天寿を全うした植物達の霊魂なんじゃよ」
祐一はすり抜けた手を優しく引き抜くと、自分の手のひらを見つめた。そして手を下ろすと顔を上げ、生気を感じない寂しい景色を眺めた。
「さて、それじゃ、役所へ行くとするかの」
祐一はお爺さんの後を追い、広場を抜け、役所の中へと入って行く。祐一は周りを見回しながら、新婚旅行でイタリアに行った時に訪れたバチカン市国の事を思い出していた。
「昔行ったサンピエトロ寺院によく似てるなぁ」
「えーと、相談窓口はどっちじゃったかな。あ、あったあった、あそこじゃ」
祐一はお爺さんに襟を掴まれると、丸い石柱の並ぶ、石が敷き詰められた通路を引っ張られながら進んで行った。
「ちょ、ちょっと、襟を引っ張らないで下さいよ!」
祐一が「③相談窓口」と書かれた窓口の前に引っ張れて来ると、お爺さんは祐一の襟を離し、役所の男に声をかけた。
「すみません、この人なんじゃが」
お爺さんがそう言いかけると、手元の書類を見ていた役所の男は顔を上げた。役所の男は、ずれているメガネと広いオデコの間にある大きな目でお爺さんの顔を見上げると、事務的な口調で喋り始めた。
「そこの番号札をお取りになって下さい。順番が来ましたら書いてある番号がここに表示されますので、それまでそちらのハンガーでお掛けになってお待ち下さい」
「え? ハンガー?」
祐一は役所の男が手をやる方を見て、あ然とした。そこには、どこにでもある様な木で出来たハンガーが並べられている。その向こうでは、順番を待つ霊体たちが寛いだ様子で石で出来た壁にかかっていた。
「随分と事務的な態度じゃの。じゃから役所という所は。ほれ、番号札取って」
「あ、はい」祐一は、カウンターの脇に置かれた機械から舌のように垂れ出ている紙を取った。
「何番じゃ?」
「えーと、78番です」
「今51番か、まだまだじゃの。よっこいしょ」
お爺さんは当たり前のようにハンガーを手に取り自分の着ていた服に通すと、そのまま器用に自分ごと壁にかけた。その様子を見ていた祐一は、壁にぶら下がり寛ぐお爺さんを見上げ、呆然と浮き尽くした。
「何をアホ面して見とるんじゃ? お前さんも、掛けなさい」
「え? あ、はぁ」
祐一は、しっくりしないハンガーを袖に通すと、ぎこちなくお爺さんの隣に自分の体をかけた。
「あのう、これって、ソファーとかそういうものは無いんですかね?」
「アホか、お前は。下半身が無いのに、ソファーに座れるわけないじゃろが。霊体にとっては、これが一番楽なんじゃよ」
「確かに、楽といえば、楽ですけど。なんだか、洗濯物にでもなった気分ですね」
「それにしても、人間界でもそうじゃったが、役所というのは、どうしてこんなに人を待たせるのかのう」
「なんか本当のあの世って、想像してたのとだいぶ違うなぁ」祐一は周りを見回した。
「ん? どう違うんじゃ」
「三途の川も渡らなかったし、閻魔大王も鬼もいないし。あ! もしかして、この後閻魔様の所に行って裁かれたりするんですか? やっぱり嘘をつくと、舌を抜かれたりするんですかね? 地獄に落とされたりしたら、どうしよう」
「アホか」お爺さんは、呆れた顔をした。
「え? 何がです?」
「地獄に落とされるなんて、ある訳ないじゃろが。そこから昇って、天界に来たんじゃから」
「え? それって、どういう意味ですか?」祐一は眉をひそめ、お爺さんの顔を見つめた。
「地獄というもんはな、人間界にあるもんなんじゃ。辛い想いや苦しい想い、悲しい想いや痛い想いなど、大なり小なり人間界で経験したじゃろ。それがすなわち、地獄なんじゃよ」
「へぇ、なるほど」
「それとは逆に、天国というもんも人間界にあるんじゃよ。嬉しい想いや楽しい想い、美味しい想いや気持ちいい想いも経験したじゃろ。それがいわゆる、天国じゃ」
「なるほど、深いですね」祐一は小刻みに首を揺らした。
「まあ、舌を抜いたりはしないが、閻魔様はおるがな」
「え! ホントですか?」
「あそこの奥に、偉そうに座っとるのがおるじゃろ。あれが閻魔大王じゃ」
お爺さんが指差す方を見ると、窓口の奥に置かれた黒い大きな机で、鬼の様に真っ赤な顔をした閻魔大王が、ドン! ドン! と力強く書類に判を押している。
「へえ、あれが閻魔大王か、さすがに怖そうですね」
「閻魔様というのは、全ての霊のデータを管理する役所のトップなんじゃよ。要するに、天界で一番偉い人ということじゃな。天上界からの指示を受ける事もあるらしいし、とにかく偉い人なんじゃよ」
祐一が、お爺さんの話を興味深く聞いていると、祐一達の元へ黒い肌の見知らぬ女が近づいて来た。
「お寛ぎのところ、すみません。ちょっと、お尋ねしたいのですが」
「別に、寛いでませんけど」祐一は、女の顔を見下ろした。
「なんじゃね?」
「移住の手続きをするのに、2階へ行けと言われたんですが、どこから上がればいいのでしょうか?」
「え? さ、さぁ」祐一は肩を竦めた。
「2階へは、あそこの穴から上がればいいんじゃよ。2階に上がると左手に受付があるはずじゃから、そこで聞いてみなさい」
「わかりました。ありがとうございます」
黒い肌の女は、お爺さんに説明された通り、高い天井に開いていた穴からスゥ~っと2階へと昇って行った。
「え? 階段じゃ無いの?」祐一は、目を丸くした。
「じゃから、足も無いのにどうして階段が必要なんじゃ。そんな物必要なかろう」
「それもそうですね。それにしても、なんで黒人の人って、あんなに肌が真っ黒なんですかね。夜見ると、ちょっと怖いですよね」祐一は、酒を飲んだ帰りに路地で見た黒人の事を思い出した。
「まぁのう。じゃが天界では、黒人は黒い皇帝と呼ばれておるんじゃよ。彼らは元々、誇りが高く勇敢な種族じゃったんじゃよ」
「へえ、そうなんですか。昔から不思議に思ってたんですけど、どうして同じ地球人なのに色々な人種がいるんですかね?」
「さぁのう。生まれた場所が違うからなんじゃないのかねぇ」
「ふーん。あの女の人、やけに日本語が上手だったけど、勉強したんですかね」祐一は、天界にも英会話教室はあるのだろうかと、考えていた。
「アホか、お前は」
「何でですか?」祐一は、少しムッとした。
「天界に、言葉なんて概念があるはずなかろう。こうして二人で喋っているのも、言葉ではなく、テレパシーのようなもので会話しとるんじゃ。意思の疎通というやつかの。じゃから、ここでは人間界のように、言葉の壁というものは存在しないんじゃよ」
「へぇ、便利なもんですね。じゃあ、あそこの案内板に書いてある文字は日本語だけど、ああいうのも万国共通なんですか?」祐一は窓口の上にある掲示板を指差した。
「あれは、ペンなどで書かれたものではなく、念で書かれた文字だから、見る者によって変化するんじゃよ。英語に見えたり、ハングル文字などに見えたりとじゃな・・・」
窓口のほうを見ていた祐一は、奥から書類を持って現れた若く美しい女に気を取られた。祐一はその女の姿を見つめると、お爺さんの話をうわのそらで聞いていた。
「あれぇ? なんだかあの女の人、どこかで見たことあるな」
「人が説明してやっとるのに、ちゃんと聞いとるのか、お前さんは!」
「う~ん。あの人、どこかで見た気がするんだよなぁ。どこでしたっけ?」
「アホか、お前は。そんな事、わしが知るわけないじゃろ。いったい誰の事を言うとるんじゃ?」
「ほら、あの一番の窓口の後ろにいる人。どこで見たんだっけなぁ」
腕を組み、悩む祐一の横で、お爺さんは目を凝らした。
「どれどれ。ああ、あれは何年か前に死んだ、女優の藤島恵子じゃ」
「あー、そうだ。そうそう」祐一は首を縦に揺らした「でもたしか、あの人って亡くなった時70歳越えてましたよね? なんで、あんなに若いんですか? どう見ても20代後半ですよ」
「そりゃ、あの人の中で一番思い入れが強く残っている姿が、あの年代だからじゃろ。ワシもお前さんも、死んだ時と姿が変わらんのは、今の姿が自分だという事を魂がイメージしとるからなんじゃ。死ぬと魂が体から出るが、魂というのは何かに守られていないとすぐに傷ついたりして、消え去ってしまうもんなんじゃ。そうならないように魂は無意識のうちに自分の姿をイメージし、霊体を作りあげ、自分を守るんじゃよ」
「なるほどねぇ。いいなぁ、僕も20代の頃に戻りたいなぁ。あの腹筋が割れてて、元気ビンビンだった頃に」祐一は、ビールの美味さに気付いていなかった若かりし頃の自分の姿を思い浮かべた「今から姿を変える事って、出来ないんですかね?」
「出来なくはないがのう。現に今、一瞬だったがあんた若返ったしな」
「え? ホントに?」祐一は、いそいそと着ている服を捲ると、自分のお腹を確かめた「あれ? いつものポニョポニョお腹ですけど」
「もう、元に戻ったわい。いいか、今ある姿が自然でいられる無理の無い姿なんじゃ。無理に若い姿を作り上げても、それを維持するには大量の念を必要としてしまう。そんな事をしとったら、すぐに魂が疲れきって消滅してしまうぞ。じゃから、そのまま無理をせず、おっさんのままでおればいいんじゃ、おっさんのままで。わかったか?」
「そんな、二回も言わなくたって。自分がジジイだからって、悔しいんだな」祐一はお爺さんから顔を逸らして言った。
「何か、言ったか?」
「いえ、何も。ところで、『念』ていうのは何なんですか?」祐一は、横目でお爺さんの顔を見ながら言った。
「念というのは、魂のエネルギーというか、力の事じゃ。体の無い状態でこれを使い果たしてしまうと、さっきも言ったように、魂が消滅してしまう事になるから気を付けるんじゃぞ」
「はぁ」祐一は、顔を斜めに傾けた。
「さらに凄い事に、この念と徳をうまく融合させて使えばじゃな、なんと、あの有名なスーパーサイヤ人に」
「え! なれるんですか?」期待に胸を膨らませた祐一は、目を輝かせた。
「全く、なれはしないが。色々な力を使えるようにはなるぞ」
「クソジジイめ」期待を裏切られた祐一は、舌打ちをした。
「今のは聞こえたぞ!」
お爺さんは祐一のオデコの前に手を出すと、祐一の眉間にデコピンを喰らわせてきた。
「痛っ! え? 何で痛いの?」祐一はオデコをさすり、目をパチクリさせた。
「どうじゃ? 痛いじゃろ? これが念と徳を融合させた力じゃ。もっと多くの念と徳を使えば、もっともっと大きな力を出す事も出来るのじゃが」
「魂が、消滅してしまうんですよね」祐一はオデコをさすりながら言った。
「それもあるが。念は休めば回復するが、徳は稼がないと無くなってしまう一方じゃからな」
「そう言えば、さっき聞きそびれちゃいましたけど、徳が無くなると、どうなるんですか?」祐一は、まだオデコをさすっていた。
「それはじゃな」
お爺さんがそう言いかけると、壁に掛かっていたスピーカーからチャイムの音が鳴り、場内にアナウンスが流れた。
『78番の番号札でお待ちの方、お待たせしました。3番の相談窓口へ、どうぞ』
「お、呼ばれたの。続きは、また今度じゃな」
「え、あの」
アナウンスに話の腰を折られた祐一は、さすっていた手を首の後ろに回すと、ハンガーを壁から外し、お爺さんの後を追い、窓口へと向かって行った。
「今日は、どういったご用件でしょうか?」
カウンターに身を寄せると、役所の男は今にも飛び出しそうな目で、祐一とお爺さんの顔を交互に見つめた。
「実はこの人、ちゃんと供養されたのに記憶が戻らないんじゃよ」
「記憶が戻らない? 部分的にですか? それとも、全く戻らないんですか?」
「全くです」
役所の男は頭を掻き始めた。
「う~ん、それは珍しいケースですね。では、とりあえず記憶復元装置に掛けてみましょう。すぐに装置を用意しますので、このまましばらくお待ち下さい」
役所の男はそう言うと、装置を取りに奥へと行ってしまった。
「やれやれ、また待たされるのか」
「なんだか、すみません。付き合わせちゃって」
「いやいや、べつにあんたのせいじゃない。気にせんでいいんじゃよ」
しばらくすると、待ちくたびれていた祐一達の元へ、役所の男がヘルメットの様な物を抱えて戻って来た。男が手にしている装置を祐一に手渡そうとすると、男の後を追ってきた女が男の肩をたたいた。
「佐藤さん。閻魔様が、こちらの最新式のものを使えと」
「え、ああ、はい」
男は持っていた装置を女の持ってきた装置と交換した。
「あれは白銀星《ルシア》の・・・。遁魔のやつ、なかなか惨いことをするのう」
「お待たせしました。では、こちらの装置を頭に被って下さい」
「あ、はい」
祐一は、カウンター越しに差し出されたやけに小さい装置を頭に乗せると、頭を左右に振りながら装置に頭をねじ込んだ。
「少し苦しいかもしれませんが、我慢して下さいね」
「え? 苦しいって、サイズの事ですよね?」
「スイッチ、入れまーす」
「ちょ、ちょっと」
役所の男は動揺する祐一を無視するかのように、装置に繋がれたリモコンを手に持つと、有無も言わさずスイッチを入れた。すると頭に被った装置が黄色く光りだし、作動し始める。
「う、うわー!」
装置が激しい音を立て始めると、祐一はプロレスラーにアイアンクロウをされている様な感覚に襲われ、苦しみ始めた。耐えていた祐一が限界を感じると、装置の光はゆっくりと消え、動作が停止した。
「はい、もう外してもらって結構ですよ」
祐一は、動作が止まっても頭を圧迫し続ける装置を引っこ抜き、カウンターの上に置いた。
「うう・・・」
「どうですか? 記憶は戻りましたか?」
「い、いやぁ。別に、変わった感じはしませんけど」
「え? おかしいですね。ちょっと貸して下さい」
役所の男は装置を手に取ると、ずれていたメガネを直し、装置に不具合がないか念入りに調べ始めた。
「おかしいなぁ、どこも壊れてないのになぁ。仕方がない、もう一度やってみましょう」
「えっ! も、もう一度? これ、かなり苦しいんですけど、もう一度って」
「出力が足りないんじゃないかのう。もっと、強くしてみたらどうじゃろか」
「ジジイ、てめえ」祐一は、余計な事をサラッと言い放った、お爺さんの顔を睨んだ。
「う~ん。しかし、これ以上出力を上げると、魂に影響が出る可能性が」役所の男は、頭を掻いた。
「ほら見ろ。余計なこと言うんじゃねぇよ!」
「でもまあ、もう少しだけ出力を上げてみますか」
「て、上げるのかよ!」
役所の男は澄ました顔で装置に付いていたツマミを回すと、どこか楽しげに装置を手渡してきた。
「はい、ではもう一度、装置を被って下さい」
「で、でも、ホントにこれ大丈夫なんですか?」
いまいち装置を信用できずにいる祐一は、手に持った出来れば二度と被りたくはない装置を見つめた。
「大丈夫じゃよ」
「お前が言うのかよ!」祐一は、お爺さんの顔に唾を飛ばした。
「大丈夫ですよ。ちゃんと加減はしてありますから」
「ホントかよ、まったくもう」祐一は、渋々装置を被った。
「では、いきまーす。スイッチオン!」
係りの男が声を弾ませながら再びスイッチを入れると、装置はさっきよりも強い光りを放ち出し、更に激しい音を立て始めた。
「ぐ、ぐわー! ちょ、ちょっと、もう止めてくれ! 無理無理無理無理! うぎゃー!」
祐一は、巨人に頭を握り潰されるかのような激痛に襲われ、さっきよりも大声を出して苦しみ始めた。限界を超え意識が遠くなると、強く輝いていた光がゆっくりと消え始め、激しく音を立てていた装置が静かに止まった。
「はい、もう外してもらっても結構ですよ」
かろうじて意識を保った祐一は、よだれを垂らしながら装置を頭から外した。
「し、死ぬかと思った」
「お前さん、なかなか面白い事を言うのう」
「どうですか? 今度は戻ったでしょ?」
役所の男は、放心状態の祐一を見てニッコリと笑みを浮かべた。
「え、あー、いや。たぶん、戻ってないと、思いますけど」
「本当ですか? おかしいなぁ。では、さらに出力を上げてもう一度」役所の男は、装置のツマミに手を伸ばした。
「え? も、もういいですって! 冗談じゃないってば! いい加減にしてくれよ!」正気に戻った祐一は、差し出された装置を力強く突き返した。
「そうですか、残念ですね。そうしましたら、そうですねぇ。では、上司に相談してみますので、またしばらくこのままお待ち下さい」
役所の男は事務的な口調でそう言うと、残念そうに装置を抱え、奥へと行ってしまった。
「なんだよ、残念ですって。出力なんて上げてないで、最初から上司に相談しろよ!」
「ありゃきっと、ドSじゃな」
「お前もだろ!」
腹を立てた祐一が、お爺さんにブツブツと文句を言っていると、役所の男が上司を連れて戻って来た。
「こちらの方なのですが」
「おい! 閻魔様じゃぞ!」
「え? ええっ!」
背筋を伸ばし驚く祐一の前に、役所の男が連れてきたのは、さっきまで奥の机で書類に判を押していた閻魔大王だった。閻魔大王はゆっくりと緊張する祐一の前に座ると、なぜかお爺さんの方を向き、話し始めた。
「どうも、お待たせしました。私は閻魔代行です。記憶が戻らないと言うのは、本当ですか?」
「え? 代行? あ、あのぉ」
緊張する祐一は、お爺さんのことを見つめる厳つい顔をした閻魔代行に、遠慮気味にそっと声を掛けた。
「代行殿、そちらのご老人は付き添いの方です。記憶が戻らないのは、こちらの方です」
耳打ちされた閻魔大王は片方の眉を上げると、祐一のほうに向き直った。
「あー、こりゃ失敬」
「大ボケじゃの。あんた代行なのか。本物の閻魔大王は、どうしたんじゃ?」
「兄の閻魔大王は、天上界の使者との会議中です」
「あんた弟さんか。どうりで、本物そっくりな訳じゃ」
「よく言われますよ。ちなみに私の名前は、遁魔大王です」
「なんじゃそりゃ、冗談みたいな名前じゃな」
閻魔代行は、ケラケラと笑うお爺さんの顔を見つめると、アゴに手をやり「うーん、マンダム」という感じで立派なヒゲを触った。そして軽く咳払いをすると、その大きな厳つい顔を懐かしいCMを思い出していた祐一のほうへと向けてきた。
「それで、記憶は全く戻りませんか?」
「え? あ、はい」祐一は、あたふたしながら答えた。
「そうですか。それでは、あなたを天界まで連れて来た死神のナンバーと、あなたの整理番号を教えてもらってもよろしいかな」
閻魔代行はカウンターの上にノートパソコンの様な物を置くと、おもむろにそれを開いた。
「え? ええと、死神の番号? 整理番号て?」
祐一は、凄みのある閻魔代行から顔を逸らすと、お爺さんのしょぼい顔を見た。するとお爺さんは、祐一の首元を指差した。
「ほれ、その首に掛かってるやつに書いてあるじゃろうが」
「え? あれ? なんだこれ? いつの間に・・・」
祐一の首には、番号の打ち込まれた認識証の様な物が掛けられていた。
「はようせい!」お爺さんは、急かす様に言った。
「あ、はいはい。えーと、死神の番号が、42535963。整理番号が、4826・・・957です」
慌てた祐一が番号を読み上げると、閻魔代行はキーボードをパコパコと打ち始めた。祐一はカウンターから少し体を離すと、お爺さんの耳元に口を寄せた。
「あれって、パソコンですよね? あの世でも、使ってるんですね」
「まあ似た様な物じゃが、あれはパソコンとは違うぞ。よく見てみい、あそこに『閻魔台帳』と書いてあるじゃろう。あれに全ての魂のデータが入っておるんじゃ」
「へえ、あれが閻魔台帳か。それにしてもお爺さん、色々とよく知ってますね」
「まぁな、伊達に歳は取っておらんわい」
閻魔代行は難しい表情で、閻魔台帳を見つめている。
「うーむ、おかしいな。前世のデータが出てきませんな。しかし、下界に降りる前に守護霊の予約を入れている。しかもその相手が。これは一体どういう事なんだ。ある意味、男のロマンということも。う~ん、ん? あなた、17歳の時に、一度死に掛けてますね?」
「え? あ、はい」祐一は姿勢を正し、頷いた。
「本来なら、ここで寿命が尽きるはずだったのか」
「え! そうなんですか? もしかして、それが原因で記憶が戻らないんですか?」驚いた祐一は、カウンターに身を近づけた。
「いや、寿命が延びた事は問題ではありません。理由もわかっていますし。問題は、なぜ事前に守護霊の予約を入れているのか」
「それって、そんなにおかしな事なんですか?」祐一は眉をひそめ、閻魔代行の顔を見つめた。
「そうですね。下界に降りる前に、守護霊の予約を入れて行くのは一般的には当たり前のことなのですが、あなたの場合、予約を入れた相手が」
「誰なんですか?」祐一はカウンターから身を乗り出した。
「あなたの娘さんです」
「娘? 娘って、由美の事ですか?」
「そうです」閻魔代行は大きな顔を縦に揺らした。
「でも、娘の守護霊になりたいと思う事って、そんなにおかしな事なんですか?」
「そりゃ、おかしいじゃろ。よく考えてみい。普通に生きた場合、人間の寿命というのは大体どのくらいだと思う」
祐一は、お爺さんの顔を見て、首を傾げた。
「だいたい、70歳から80歳くらいですか」
「そうじゃな。お前さんが70歳で死んだとして、その時娘は幾つじゃ?」
「えーと、僕が42歳で由美が17歳だから・・・」祐一は10本しかない指を駆使し、苦手な計算を始めた。
「たぶん、48歳くらいです」
「45歳だと思いますが」
途中で計算するのが面倒になり大雑把に答えた祐一に、役所の男は素早くツッコんでくると、メガネに手をやり勝ち誇ったような顔をした。
「まぁどっちでもいいが、そんな歳になった娘の守護霊になりたいと思うか?」
「別に歳は関係ないでしょう。娘なんだから」祐一はムッとした顔をして、役所の男を横目で見ながら言った。
「そうではなくてじゃな。その歳になっていれば、当然娘さんには子供がおるじゃろ、つまりあんたの孫じゃ。それどころか、下手すりゃ曾孫もおるかもしれん。可愛い孫や、曾孫の守護霊になりたいと思うのが普通じゃとは思わんか?」
「そう言われると、そうかもしれませんけど」
複雑な思いを抱き、カウンターの端を見つめる祐一に、閻魔代行が語りかけてくる。
「そうですね、そう言われても記憶が戻らないのなら、理解するのは難しいでしょう。私が一から説明しましょう」
「よろしくお願いします」祐一は閻魔代行に向かい頭を下げた。
「ではまず、人間界から天界に戻って来た魂は、人間界で貯めた徳の大きさによって、すぐに人間界に戻るか、天界で徳を稼ぐかを決めます。徳というのは、ご存知ですかな?」
「まあ、なんとなく」
「大抵の魂は、守護霊になったり、死神の仕事に就いたり、役所に勤めたりして天界で徳を稼ぎます。何故、皆が徳を稼ぐのかと言うと、人間として生まれ変わる為か、天上界に上がる為にです。天上界に上がるには途方も無い程の徳を貯めねばなりません。ちなみに、一般的な魂が就ける仕事で一番徳を稼げるのが死神です」
「へえ、死神って凄いんですね。ただのパシリじゃないんだ」祐一は、黒いネズミ男の顔を思い出した。
「死神として働き続けたとして、天上界に行ける程の徳を貯めるには約二千年かかると言われています。守護霊の場合はその倍の四千年です」
「そんなに時間がかかるんですか」
「その為、最初は天上界を目指しても、途中で挫折し、人間に生まれ変わる魂が殆どです。しかし、人間界と天界を行ったり来たりしながら『天界ではこの事を「輪廻」と言いますが』天上界に行く為の徳を貯める事が出来ます。『定期貯徳』というものです」
「定期貯徳? 何ですかそれ?」
「定期貯徳とは人間界で言う『定期預金』と同じ様なものです。初めに、一回に貯める徳を設定します。そうすると、死んで天界に帰ってくる度に、決めた徳が貯まっていきます。徳利が高い為、皆この定期貯徳を利用します。輪廻を繰り返しながらでも『定期貯徳』をして徳を貯めていけば、いつかは天上界へと上がる事が出来るのです。ちなみに天上界へと上がることを『解脱』といいます」
「かなりの時間は掛かるが、殆どの魂がこの方法を選ぶのう。実は、わしもやっておるしのう」
「思ったよりも徳が貯まった時は、『普通貯徳』に貯める事をお勧めします。普通貯徳ならば、定期貯徳と違って出し入れは自由です。ただし、定期貯徳よりも徳利はかなり低いですが」
「へぇ、普通貯徳ねぇ、そんなのもあるんだ。それにしても、金の次は徳に縛られるのか」祐一は肩を落とすと、ため息をついた。
閻魔代行は、祐一のことを見つめながら更に続けた「さらに、人間に生まれ変わるのにも多くの徳が必要です。人間界で普通に暮らしていたのでは、それだけの徳はまず貯まりません。天界に来て、すぐに人間界に戻る事も出来ますが、大抵は徳が足りず、蛇や蛙、良くてもスズメやカラスに生まれ変わることになります。さらに徳が少ない場合は、昆虫に生まれ変わる事になります」
「えー、それは嫌だなぁ」祐一は顔をしかめた。
「一度他の物に生まれ変わると、段階を踏まなければ人間になる事は出来ません。人間にならなければ、特別な理由が無い限り、死神が魂を迎えに行くこともありませんので、当然天界にも戻る事は出来ません。ちなみに、人間界で魂が入れる物の中で、最下層の生物は昆虫です」
「昆虫は悲惨じゃぞ。セミなんかに生まれ変わってみい、次の段階に上がるのに、7年以上もかかるんじゃからのう。何の虫に生まれ変わるかまでは、選べんからのう」
「じゃぁ、ゴキブリになっちゃう場合もあるわけか。でも、昆虫になりたがる人なんてまずいないでしょう」祐一は、閻魔代行の顔を見ながら言った。
「そうですね。しかし、徳が無くなった場合は、必然的かつ強制的に、昆虫として生まれ変わる事になります」
「え? そうなんですか?」
「じゃから、徳が無くなると大変な事になると言ったじゃろ」
祐一は、お爺さんと横目で目を合わせると小刻みに頭を揺らした。
「昆虫に生まれ変わり天寿を全うすると、次が魚です。魚からは、さらに段階が細かく分類されます。メダカや鰯などから始まり、ブリ→鯛→マグロ→鮫。次が両生類や爬虫類です。蜘蛛→トカゲ→蛇→ワニ。そして鳥類を経て、哺乳類になります。イルカやクジラ、カモノハシなどから始まり、犬や猫などを経て、サルやチンパンジーなどになった後、やっと人間になります。昆虫から人間になるまでには、最短でも二百年は掛かります」
「に、二百年」祐一は、茫然とした。
「じゃから皆、天界で修行を積んで徳を貯め、人間として生まれ変わろうとするんじゃ」
「そういう事ですね。そして、貯まった徳に応じて、自分が歩みたいと思う人生を選べます。例えば、大金持ちの家に生まれたいとか、野球選手やサッカー選手になりたいとか、歌手になりたいとか。貯めた徳が多ければ多いほど、選べる人生の幅は増えます」
「そういう仕組みになっていたのか」
「しかし、あくまでそうなれる可能性を秘めて生まれ変わる事が出来るだけであって、必ずしも成功するとは限りませんし、寿命なども、この時点ではわかりません。大金持ちの家に生まれたとしても、自分が財産を継いだら破産してしまうかもしれませんし、若くして病気や事故で死んでしまうかもしれません。野球選手になれても努力を怠れば、当然野球選手を続ける事は出来ません。天才的な才能を持って生まれたとしても、その才能を活かせるかどうかは魂の努力次第。つまり、人間界においても、いかに徳を貯める事が出来るかなのです」
「なるほどねぇ。深いなぁ」祐一は体を起こし、腕を組んだ。
「それに、たとえ徳を貯められて才能を開花させる事が出来たとしても、必ずしも幸せになれるとは限りません。自分の才能に驕り、周りの人間をバカにしたり、平気で人に迷惑をかけたりしていれば、徳が貯まるどころか逆に徳を減らす事になります。人間界においての運の良し悪し等は、その後も徳を貯められるかどうかによって、大きく左右されるのです」
「もし、人間界にいるうちに徳を使い切ってしまった場合は、どうなるんですか?」祐一は、組んだ腕を解き、カウンターの上に乗せた。
「人間界で徳を使い果してしまうと、天界には戻って来れんのじゃよ。死ぬと同時に、死神によって魂を昆虫に入れられてしまうんじゃ」
「お爺さんの、おっしゃる通りです。魂によっては、そうはなりたくはないと言い、徳があっても使おうとはせず、あえて苦労する人生を選択する者もいます。こうして、自分の歩むべき人生を決めたら、記憶を封印され、再び人間界へと旅立って行くのです」
「なるほど、だから人間界では人は皆平等ではないのか。元々は、それぞれが自分で選んだ道ということなのか」
「そういう事です。それと、人間界に旅立つ前に、天界に戻って来た時の仕事の予約をする事が出来ます。死神や、役所の仕事を希望する魂が多いですが、死神も役所の仕事も千年先まで予約でいっぱいです。補助霊という高所徳を得られる仕事もありますが、これは一般的な魂では、まず務める事が出来ません」
「補助霊ってなんですか? そんなに大変な仕事なんですか?」
「補助霊とは、守護霊の補助をする霊の事で、人間界で言うと弁護士のようなものです。守護霊のように一人の人間に憑くのではなく、全ての守護霊の補助をしなければなりません。補助霊になるには、何度も輪廻を繰り返し、膨大な知識と経験を身につけなければなりません。守護霊達は自分の守護する者を正しく導く為に、補助霊に徳を払い、その知識を学ぶのです」
「へぇ、さすがに補助霊にはなれそうもないですね」
「ですから、殆どの魂は守護霊の予約を入れて行きます。自分の子孫の守護霊を予約するのが一般的で、曾孫や玄孫などを希望する魂が多いですね。これは、産まれた時から守護霊として憑いていたほうが、より長く多くの徳を稼げる可能性があるからでしょう。稀に天界に親族が多くいて、曾孫や玄孫の予約が取れない場合もありますが、その場合でも、せいぜい孫か玄孫の子の予約をするのが一般的です。このように、自分の子供の守護霊を予約する魂は、まずいないのです」
「じゃあ、生きている間に予約した孫や曾孫が生まれた場合、孫や曾孫の守護霊というのは、自分が死ぬまで誰も憑かないんですか?」
「いいえ、人間界に産まれ出た瞬間、必ず守護霊は憑きます。その場合は、代理の守護霊が憑きます」
「じゃあ、今娘に憑いている守護霊は代理なんですか?」
「そうなりますね。えーと」閻魔代行は、閻魔台帳を見つめた「今あなたの娘さんに憑いているのは、ほう、よかったですね、あなたの曾お祖母さんです。代理の守護霊というのは、予約した者がまだ生まれていない魂や、生前に子供を産む事なく死んでしまった等の理由で、予約した者が生まれなくなり、予約が取り消されてしまった魂がするのですが、見も知らぬ赤の他人がする場合が多いのですよ。身内に憑いてもらえるなんて、運がいいですね。曾お祖母さんは、あなたと守護霊を交代した後、再び人間界に降りる予定になっていますね。どうですか? 娘さんに予約を入れているのが、おかしいと言う我々の言葉の意味を理解してもらえましたか?」閻魔代行は台帳から目を逸らすと、祐一の顔を見つめた。
「ええ、まぁ、なんとなく」祐一は、カウンターに置いた自分の指先を見つめていた。
「しかし、いずれにしろ予約が入っているのは事実ですから、あなたには娘さんの守護霊になってもらうことにしましょう。ところで、お爺さんも守護霊の予約を入れておいたのですか?」閻魔大王はそのいかつい顔をお爺さんのほうへと向けた。
「わしは、孫に予約を入れておきましたが」
「なるほど、なるほど。では、これから守護霊室に行くわけですね?」
「そうじゃが」
「では、こちらの人も一緒に守護霊室に連れて行ってもらっても宜しいですかな?」
「んー、べつに構わんが」
「それでは、えーと、祐一さん。これから、お爺さんと一緒に守護霊室に行って下さい。もし、何かわからない事があったら、こちらのお爺さんに遠慮なく聞いて下さい」
「わかりました」祐一は、素直に答えた。
「ちょ、ちょっと。なんで、わしがそんな事までせにゃならんのじゃ」お爺さんは、カウンターに身を乗り出した。
「嫌なんですか?」
「連れて行くだけならともかく、それはわしの仕事じゃないじゃろ」
閻魔代行は、嫌がるお爺さんの顔の前に、ヌゥ~といかつい顔を近づけた。
「お爺さん、あなたこの人をここへ連れて来る代償として、死神から徳を貰いましたね」
「え? な、なぜそれを」お爺さんは、前屈みにしていた体を起こした。
「決められた仕事以外で代償を求める事は、天界で禁止されているという事を知らない訳ではないですよね?」
「う、う。そ、それはじゃな」お爺さんは、カウンターから身を離した。
「この人の面倒を見てくれますね?」
閻魔代行は近づけたそのいかつい顔で威圧するように、お爺さんの顔をジィっと見つめた。
「は、はい」お爺さんはうつむきながら答えた。
「では、よろしくお願いします」
閻魔代行は閻魔台帳を閉じ脇に抱えると、スタスタと自分の席へと戻って行ってしまった。
「へえ、閻魔さんには足があるんだ」
「まったく、なんでばれたんじゃ。仕方がないのう。ほれ、行くぞ!」
祐一は、不機嫌そうなお爺さんに連れられ、役所の出口へと向かって行った。
「ところで、守護霊室ってどこにあるんですか?」祐一は、広い役所の中を見回した。
「隣の建物の中じゃ! いいから黙って付いて来い! まったく、なんでわしが・・・」
「俺のせいじゃないのに。八つ当たりすんなよ」祐一は、呟くように言った。
「何か、言ったか?」
「い、いいえ」
祐一はお爺さんと共に役所を出ると、隣に建てられていた煤けたビルの中へと入って行った。受付の前に出来た長い列の最後尾に並ぶと、その列の長さを見たお爺さんは、またブツブツと文句を言い始めた。
「なんじゃ、また待たされるのか。なんでもっと段取りよく出来んのじゃ」
「でも、役所と違ってスムーズに人が流れて行きますよ」
受付に並んだ長い列は、工場のベルトコンベアーの様にスムーズに流れていた。
「次の方、番号カードをお見せ下さい」
「ほれ、さっき見たやつじゃ」
「あ、はいはい」
祐一がカードを見せると、受付のお姉さんが祐一の顔をじっと見つめた。
「あなたは、田辺祐一さんですね?」
「え? そうですけど。どこかで、お会いしましたっけ?」
祐一は頭に手をやり、髪をとかした。ロマンスの始まりを期待した祐一に対し、受付のお姉さんは眉一つ動かさず、淡々とした口調で答える。
「あなたの守護霊を務めていた方が面会室でお待ちです。そちらの部屋へお入り下さい」
「へ? 僕の守護霊?」祐一は首を傾げた。
「わしはここにおるから、行ってきなさい」
期待を裏切られた祐一は、面会室と書かれた扉を開けた。ソファーの無い応接室という感じの部屋へ入ると、一人の老人がハンガーにぶら下がっていた。
「おお、やっと来たか!」
「え? もしかして、じいちゃん?」祐一は首を傾げながら、目を凝らした。
「見ればわかるだろ。なんだその顔は? 何か、文句でもあるのか?」
「いや、そうじゃないけど。てっきり、俺の守護霊は、ばあちゃんだと」
「いやいや、実はお前の守護霊は、元々婆さんがやっていたんだがな。その事を伝えたくて、こうして待っていたんだが。自分でも、なんとなく分かっているだろうが、お前17歳の時に死にかけただろう。あの時死なずにすんだのは、実は婆さんがお前の命を助けたからなんだ」
「やっぱり、そうだったんだ」
「やはり、知っていたのか?」
「いや、なんとなくそうじゃないかなって」祐一は、テーブルの上に置かれた白い花瓶に活けられた透き通った花々を見つめた。
「とにかく、婆さんがトチ狂ってお前の命を救ってしまったから、俺が婆さんの代わりに、お前の守護霊をする事になったんだ。俺は婆さんのように、お前の命を救ってやる事は出来なかったが、最後にお前が困った時、棺の窓を閉めてやっただろ。あれで勘弁してくれよな」
「え? あの時扉が閉まったのは、じいちゃんの力だったの?」祐一は顔を上げた。
「そうだ。本当は、守護していた者が死んだ後に、助けたりする事はしちゃいかんのだが、特別に徳を多く支払って許可してもらったんだ。感謝しろよ」
「でも、ばあちゃんは俺の命を救ってくれた後、いったいどこへ行ったの? もしかして天上界とか?」
「そんな訳ないだろうが。昆虫になったに、決まってるだろう」
「え! な、何で?」祖父の言葉を聞いた祐一は動揺した。
「何でって、徳を使い切ってしまったからに決まってるだろ」
「もしかして、俺の命を救ったから徳を使い切っちゃったのか?」祐一は身を乗り出し、祖父の目を見つめた。
「その通りだ。何で、そんな分かり切った事を聞くんだ? お前さっきから何か変だぞ。一体どうしたんだ?」
「いや、実は・・・」
祐一は姿勢を正すと、これまでの経緯を祖父に話した。
「なるほど、そんな事もあるんだな。いいか祐一、守護霊というのは感情的になってはダメなんだ。人間界では、自分の財を使ったり自分の身を削ったりして、人の為に尽くせば徳が増えるのだが、天界ではその逆で、人を救うと徳が減ってしまうんだ。守護霊の役目というのは、守護する者をただ守るのではなく、いかにその者に徳を積ませるかが大事なんだ。守護する者に沢山徳を積ませる事が出来れば、守護霊にも徳が返ってくる。しかし、ただ甘やかして守っているだけでは、守る度に自分の徳を使う事になり、最終的には徳を使い果してしまうんだ。徳を使って守る時は、しっかりとした伏線を張っておく事が大切なんだ」
「伏線?」
「要するにだな、先の先をよく考えて、将来守護する者が沢山の徳を積む事が出来るように導くことが大切なんだぞ。分かるか?」
「うん、なんとなく」
「守護霊が絶対にしてはいけない事が、守護する者の寿命を自分の感情で変えてしまうという行為なんだ。守護する者の寿命というのは、運命によって決まっているんだ。運命というのは、その者が積んだ徳によって日々変化するものだが、その者の運命を勝手に変えるという事は必ずしも、その者の為になるとは限らないのだよ。守護霊が、手を出していい問題ではないという事だ。もし、それをしてしまうと一気に徳を失い、昆虫からやり直さなくてはいけなくなるぞ。分かったか?」
「あ、ああ」
「じゃあ俺はもう行くが、今言った事を肝に銘じて、しっかり頑張れよ」
祖母の話を聞き、ショックを受けた祐一は肩を落とし、うつむいた。
「まあ、そう気を落とすな」
祖父は祐一の肩を叩くと、人間界に戻る為の準備をすると言って、他の部屋へと移って行ってしまった。
祐一は部屋の外に出ると、待っていたお爺さんの元へとゆっくりと戻って行った。
「終わったか? では行くか」
面会室から出てきた祐一の姿に気付いた受付のお姉さんが、祐一に声をかけてくる。
「面会は終わりましたか?」
「あ、はい」
「では、奥の扉から中にお入り下さい。この番号札と同じ番号の書いてある机の前のハンガーへどうぞ」
祐一は、ちょっぴりタイプな受付のお姉さんから番号札を受け取ると、お爺さんと共に薄暗い廊下の奥にある扉へと向って行った。
「入るぞ。ここが守護霊室じゃ」
お爺さんは守護令室への扉を開いた。するとそこには、半透明なゼリーのようなもので出来た、ぶ厚いのか、薄いのかもよくわからない壁があった。
「あれ? 何でこんな所に壁があるんだ?」
「ほれ、入るぞ」
お爺さんは吸い込まれるようにその壁をすり抜けていった。祐一は一瞬躊躇したが、目をつぶり壁の中へと入った。時間を飛び越したかのように瞬間的に壁をすり抜けた祐一は、ゆっくりと瞼を開いた。
「うお! 広い!」
守護霊室は東京ドームを思わせるような広さで、ハンガーにぶら下がった大勢の守護霊達の前には、モニターの様な画面と色々なボタンの付いた机が置かれている。
「ここは、我々の住んでいた街の守護霊室じゃよ」
「え? じゃあ日本中の都市と同じ数だけ、こんな広さの部屋があるんですか? そんなに大きな建物には見えなかったけどなぁ」
「守護霊室は天界とはまた違った次元にあるんじゃよ。入って来た扉は天界と守護霊室を繋ぐ役割を果たしておるんじゃ。まあ、ドラえもんの『どこでもドア』みたいなもんじゃな。わしらの守護する者が同じ街におるからここへ繋がったが、守護する者が他の街に住んでおれば、その街の守護霊室に繋がるんじゃ」
「へえ、凄いなぁ」祐一は顔を上げた。高い天井からは、優しい白い光が広い部屋全体に降り注いでいる。
「よく見てみい。頻繁に席が動いとるじゃろ?」
祐一は顔を下げると、目を凝らした。
「あ、ホントだ!」
「あれは守護する者が動いておるからじゃ。守護する者が動けば、守護霊も一緒に動く。守護しとる者が隣街に行けば、守護霊も隣町の守護霊室に動くんじゃ。まぁ、百聞は一見にしかずじゃ、わしらもぶら下がってみるか」
「いや、でもまだ聞きたいことが」祐一は手を伸ばし、離れようとするお爺さんを引き止めようとした。
「大丈夫じゃよ、机に付いてるキーボードで、わしの席の番号を登録すれば、ボタン一つで会話が出来るようになっておるから」
不安に思う祐一を他所に、お爺さんは自分の番号を探しに離れて行ってしまった。
祐一は仕方なく、ぶら下がる守護霊達の間をすり抜けながら、自分の番号を探し始めた。周りをよく見ると、普通の人々に混じり、武士や兵隊、猿人のような守護霊もいる。女の人は比較的若い人のほうが多いようだ。守護霊達に囲まれ、なかなか自分の番号を見つけられずにいた祐一は、頭をポンッと叩くと天井を見上げ、スゥ~と浮かび上がった。
祐一が上から部屋を見下ろすと、守護霊達の席の上には番号が書かれた札が付いている。点々と散らばっている動物達は守護霊達のペットなのだろうか。祐一は自分の番号が書かれた席を見つけると、その席へと降りて行った。
「すみません、大ばあちゃんですか?」
祐一は、席にぶら下っていた自分よりも若く見える女性に声をかけた。
「おや、祐一。ずいぶんと遅かったでねぇの。何やってたんだい。ずっとこっちさ居て待ってたから、くたびれたは」
祐一は、自分が小学生の頃に亡くなった、どこか面影のある優しかった大ばあちゃんの顔を見つめた。
「何だい? おらの顔、何か変かい?」大ばあちゃんは頬を赤く染めると、どこかぎこちなく笑みを浮かべた。
「いや、何か懐かしくて」
「んだない。したっけ、交代すっぺか」
喋る言葉は昔と変わらない大ばあちゃんは、頭に付けていたアンテナのような物を外し、机の上に置くと、ハンガーを外し、席から離れた。祐一は、大ばあちゃんからハンガーをしっかりと受け取ると、それを袖へと通した。
「祐一、分かってっとは思うけっちょも、守護霊ちゅうのは、よいでねぇかんない。しっかりと由美の事さ導かなきゃダメだかんない」
「うん、わかってる」祐一は席にハンガーを掛けながら答えた。
「ん、そんならええだ。したっけ、おらはもう行かねばなんねえから、しっかりやりなっしよ」
「うん、今まで由美の事を守ってくれて、ホントにありがとう」祐一は、大ばあちゃんの顔を見つめると、なんとなく寂しい気持ちになった。
「いい、いい。おらげのめんこい玄孫なんだから当たり前の事だっぱい。んじゃない」
大ばあちゃんは、昔のように優しく祐一の頭をなでると、スゥ~と浮かび上がり、入って来た扉のほうへと飛び去って行った。
席に着いた祐一が、目の前に置かれた古いパソコンのような機械をどのように動かしたらいいものかと悩んでいると、隣にぶら下がっていた男が祐一に話しかけてきた。
「お! なんや、新入りさんか。この歳で守護霊が交代するっちゅうことは、あんた由美ちゃんのお爺さんか何かか?」
「いえ、父親です。ていうか、何で由美の事を知ってるんですか?」
「そらお前、俺は由美ちゃんのツレの沙耶の守護霊やからな」
「沙耶ちゃんの。失礼しました。いつも由美が、お世話になってます」
祐一は姿勢を正すと、ハンガーにぶら下がったまま深々とお辞儀をした。
「べつに俺は、お世話しとらんがな。そうかぁ、そう言えばしばらく前に、あんた亡くなっとったもんなぁ。まだ若いのになぁ。かわいそうになぁ。俺は、沙耶の母方の祖父の浜太郎いうもんや。宜しくな」浜太郎は、祐一に右手を差し出した。
「僕は祐一です。宜しく」祐一は、差し出された手を握った。
「失礼ですけど、浜太郎さんも僕と同じくらいの歳に見えますが、若くにして、お亡くなりになられたのですか?」祐一は慣れない言葉に舌を噛みそうになったが何とか言いきった。
「そない畏まらんと、浜ちゃんでええがな。俺は40歳の時、癌で死んだんや」
「40歳? ちっ、なんだ俺より年下かよ」祐一は損した気分になり顔の険をほぐした。
「あ? なんて? 何いきなりタメ口になっとんねん! そういう問題やないやろ! 俺のほうが先輩やろが! しばくぞコラ!」浜太郎は祐一を睨み、拳を振り上げてきた。
「す、すみません」
迫力のある関西弁で怒鳴られた祐一は首を竦め、素直にあやまった。
「気い付けやほんま。ビックリしたわ。おい、そないな事より、お前何しとんねん」
「え? 何がですか?」祐一はキョトンとした。
「何がですかやあらへんがな。はよ、これ頭に付けや」
浜太郎は、大婆ちゃんが置いたアンテナのような物を手に取ると、それをダーツのように祐一に向かって投げて来た。投げられたアンテナが避ける間もなく祐一の頭に刺さると、祐一の周りの世界が学校の教室へと変わり、目の前に机に座る由美の後ろ姿が現れた。
「ええとですね、この問題はですね・・・」
教室では教科書を片手にした教師が、黒板によく分からない問題を書き込んでいる。
『え! え? な、なにこれ?』祐一は訳がわからず、うろたえ始めた。
『よしよし。どうや、視界が変わったやろ?』
『あ、沙耶ちゃん。あ、沙耶ちゃんの後ろに』祐一は、沙耶の後ろに浮かぶ浜太郎の姿をあ然と見つめた。
『これでお前も、晴れて守護霊の仲間入りっちゅうこっちゃな』浜太郎は、なれなれしく祐一の肩を叩いた。
祐一は肩を擦りながら目を凝らし、授業が行われている教室の中を見回した。
『これっていったい、どうなってるんですか? 人間界に戻って来たんですか?』
『は? お前、何訳の分からん事言うとんねん』
『いや、実は記憶が・・・』
祐一は、今までの経緯を浜太郎に話した。
『へぇ、そないな事もあるんやなぁ。そういう事なら、俺が色々教えたるから安心しいや』
『それで、これはいったい?』
『ああ、そうか。少し大きめの携帯電話みたいなやつが、首にぶら下がっとるやろ』
祐一は自分の首元に手をやった。
『え? あ、ホントだ! また、いつの間に』
『それを開いて「天界」って書いてあるボタンを押してみいや』
祐一は、自分の首に掛けられていた携帯電話の様な物を開き「天界」と書かれた白いボタンを押した。すると、一瞬にして周りの景色が守護霊室へと戻った。
「あれ? 戻った」
「要するに、そういうこっちゃ」
「え? 何が? これって、どんな仕組みになってるんですか?」祐一は、目をパチクリさせた。
「そんな事、知らんがな] 浜太郎は面倒くさそうな顔をする。
「知らんがなって」祐一は、眉間にシワを寄せた。
「何や? 何メンチ切っとんねん! 何か、かばちがあるんか?」浜太郎は祐一の顔を見ると、なぜか突然怒り出した。
「いや、広島弁になってるし」祐一は、浜太郎から目を逸らした。
「何か、言うたか?」
「いやいや」
「とにかく、そういう事なんやから理解せえや! ぐだぐだ言うとると、しばきあげるど!」浜太郎は、また拳を振り上げた。
「す、すみません」
面倒くさそうに答える浜太郎にビビッた祐一は、肩を竦めると横目使いで浜太郎と目を合わせない様に気を付けた。
「ええか、とにかくその機械で、人間界と守護霊室に切り替わるんや。その機械は『守護霊専用携帯異次元切替装置』通称『切替君』ちゅうんや」
「切替君? ダサ・・・」
「しゃあないやろ、閻魔さんがそう名付けたんやから。まぁ、俺らは『携帯』って呼んどるけどな。目の前にある機械が切替君の親機で、この首に掛かった携帯と連動しとるんや」
祐一は浜太郎の説明を聞きながら、首に掛けられた興味深い携帯をいじり始めた。
「この『罰』てボタンはなんですか?」
「それは、守護しとる者に罰を当てるボタンや。『勘』のボタンは、勘を働かせる。『救う』は文字通り、救うボタンや」
「へぇ」
「むやみに押したらあかんで」
思わずボタンを押しそうになった祐一は、慌てて手を引っ込めた。
「ボタンを押すと、それに必要な徳の数が表示されるから、それでええなら『実行』徳を払いたくなければ『取消』のボタンを押せばええんや。自分が持っている徳の量は、右上に表示されとるから、それを見ながら、よう考えてせなあかんで。その時々で、うまく徳を使って、守護しとる者がちゃんと徳を積めるように導いてやるのが、俺ら守護霊の役目やからな」
「なるほど、なるほど」
浜太郎は、祐一のモニターの画面を覗き込んできた。
「ショボ・・・」
ムッとした祐一は、浜太郎のモニターを覗き込んだ。
「んな・・・」
祐一が口をとがらせうつむくと、浜太郎は嫌味な笑みを浮かべ祐一の顔を見下ろした。
「ええか、守護しとる者が良い行いをして徳を積めば、同じ数だけ俺らの徳も増えよるが、悪い事して徳を減らせば、俺らの徳も減る。まあ、一蓮托生ちゅうやつやな」
「へ、へえ・・・」祐一は、祖母の事を思い浮かべた。
「どないした?」
「いや。この、『放棄』て書いてあるボタンは何ですか?」
「それは、守護霊を放棄する場合に使うボタンや。他の者と守護霊を交代する時や、守護霊を辞めたい時は、そのボタンを押せばええんや」
「守護霊を辞めたいって、そんな事あるんですか?」
「守護しとる者が全く徳を積まんと、悪さばっかりして徳を減らし続けたら、俺らもたまらんからな。自分の手に負えん言うて、守護霊を放棄する者も中にはおるんや」
「なるほど」
「こっちにおる時は、目の前の画面で人間界の様子を見る事が出来る。その画面に、由美ちゃんの背中が映っとるやろ」
「はい」祐一は、画面を確認した「この右下にも小さく映ってますけど、これは?」
「それは、未来の映像や。約10分後の未来が、そこに映し出されとんねん。何もない時は、そうやって普通に映っとるけど、危険が迫ってきたりすると、画面が赤く点滅するんや。画面が点滅し始めたら、未来の映像を確認して、どう対処するかを決めたらええんや」
「人間界にいる時も、この画像見れるんですか?」祐一は、ノートに落書きしている由美の姿を見て眉をひそめた。
「向こうにおる時に危険が迫った時は、携帯のアラームが鳴りよるから、鳴ったらすぐこっちに戻ってきたらええねん。携帯の画面やと小っこ過ぎて、よう分からんからな」
「でも10分て、ずいぶん短くないですか?」
「ん、そうか? 俺はもう何度も輪廻を繰り返しとるからなぁ。10分でも充分対処できるけどなぁ」
「そうですか、いいですね。僕は、もっと前から教えてほしいなぁ」祐一は、目の前に映る未来の映像を見つめた。教師に注意されて、背筋を伸ばしている由美の姿が映し出されている。
「それは無理やて。運命ちゅうんはコロコロ変わりよるからな。枝分かれしとる先の先まで見せられても俺ら一介の守護霊じゃパニックになってまう。運命は役所の運命管理センターで全て管理されとるしな」
「ふーん。ところで、浜ちゃんの前世って、何だったんですか?」
「ん? 俺の前世か? 俺の前世は、幕末の頃の武蔵国の漁師や」
歴史の苦手な祐一は、首を傾げた「武蔵国って、どこですか?」
「今の、横浜やな」
「へぇ、前世は関西の人じゃなかったんですね」
「そうや。ちょうど江戸地震で壊れた家が、やっと直った頃に、海に黒船がやって来てなぁ。よく、捕った魚とビスケットなんかを交換してもらったもんや」
「へぇ。前世では長生きしたんですか?」
「いや、二十歳そこそこで死んでもうた」
「若いですね、なんで死んだんですか?」
「あれは確か、井伊の赤鬼と間部の青鬼が勅許も得んと勝手な事をしよった時や。久良岐郡の海っぺりを幼い娘を連れて歩いとったら、尊王攘夷と間違われてな。腹立ったから、棒持って抵抗したったら、娘と一緒に切り捨てられてもうたんや」
「ふーん」祐一は、浜太郎の言ってる事が、半分以上理解出来ていなかった。
「じゃあ、前世では娘さんと一緒に天界に昇ってきたんですね」
浜太郎は祐一から目を逸らすと、寂しげな表情を浮かべ、うつむいた。
「いや、娘は死んだ事を理解できひんかったみたいで、浮遊霊になってもうた」
「え、じゃあ娘さんは今、どうなってるんですか?」
「それが、わからへんねん。あん時、俺が大人しく捕まっとったら、千代は殺されんでも済んだんかもしれへんのにな・・・」
浜太郎は思い悩んだ顔をして、遠くを見つめた。祐一が静かに浜太郎の横顔を見つめていると、浜太郎はその様子に気付いた。
「まぁ、それはともかくとしてやな。もしアラームが鳴りよったら、知恵を絞って考えるこっちゃな」
「はぁ、頑張ります」
「画面に映ってる人間の後ろに、それぞれに憑いてる守護霊が見えるやろ」
「ええ」
「自分の周りと、よう見比べてみいや」
祐一は、画面と周りの様子を見比べた。周りに浮かぶ存在感の無い守護霊達は、画像に映ってるのと同じ位置にいる。
「こっちにいる皆は、何だか体が透けてますね」祐一は目を細めた。
「体が透けて見えるんは、守護霊が人間界に行ってるからや」
「そういえば、浜ちゃんのオデコにも白く光るものが付いてますけど、それって何なんですか?」祐一が、目を細めたまま浜太郎のオデコを見つめると、浜太郎は額に手を当てた。
「ん? これか? さぁなぁ。何なんやろなぁ。そない言うけど、自分のデコにも付いとんで」
「え? ホントですか?」祐一は、オデコをさすりながら周りの守護霊達を見た。
「他の人達には付いてないですよね。なんでだろ?」
「そないな事より、話の続きや。今は、由美ちゃんと沙耶が授業中やから教室に一緒におるやろ。せやから、俺もあんたの隣におるけど、二人が離れたら俺らも離れてまうからな。でも安心しいや、そうなった時でも連絡が取れる方法があるんや」
「番号を登録すればいいんですよね」
「なんや、知っとったんか」
「それだけは。浜ちゃんの番号は、何番ですか?」祐一が、目の前に置かれていたキーボードで番号を打ち込もうとすると、浜太郎は犬を追い払うかのように、祐一の手を払った。
「いちいち番号を登録するのは、面倒やがな。そこにある『自動登録』のボタン押してみい」
「これですか?」祐一は、キーボードの端にある『自動登録』と書いてあるボタンを押した。すると、目の前にある画面の端に、自動的に文字が書き込まれ始める。
「見てみい、画面に名前がぎょうさん出てきたやろ」
「あ、ホントだ」祐一は画面に書き込まれていく名前を確認していった「浜ちゃんの名字『海野』って言うんですか。海野浜太郎って、サザエさんの海賊版じゃあるまいし」
「何、笑っとんねん!」
「す、すみません!」
浜太郎に拳を振りかざされ、睨みつけられた祐一は、肩を竦ませ、亀のように首を引っ込めた。
「さっきっから、何ビビッとんねん。お前、ほんまへタレやな。ええか、離れとっても、話したい相手の名前にタッチして通話ボタンを押せば、いつでもどこでも会話する事が出来るんや。複数の人と会話したければ、さらに他の名前にタッチすれば、何人とでも会話ができるからな。ちなみに、通話料はタダや」
「何かこれ、知らない名前が、いっぱいあるんですけど」
「自動登録にしたから、由美ちゃんに係わりのある人間の守護霊の名前が、全部登録されたんや。名前にタッチして『検索』ボタンを押せば、由美ちゃんとどんな係わりを持つ人間の守護霊なんかが事細かに出てきよるから、知りたいんやったら調べたらええんや」
「この『未来』て書かれたところに書いてある名前は何ですか?」祐一は、モニターの画面を指差した。
「それは由美ちゃんが、これから出逢う相手の守護霊の名前や。相手との相性や性格なんかも検索すれば出てきよるから、それを見ていい相手でもおったら、事前に相手の守護霊と連絡を取り合って、運命的な出会いを演出したる事も出来るんや。まあ、それには結構徳が掛かるけどな。由美ちゃんが、毎月あんたの墓参りにでも来てくれれば、徳がぎょうさん貯まるから、そしたらそんな運命的な出会いを演出してやるのもええかもな」
「墓参りすると、徳が貯まるんですか?」
「そうや、ちゃんと先祖に感謝しとるっちゅう事やからな。そういう心を守護しとるもんに持たせることが出来れば、徳はどんどん増えていくんや」
その時、浜太郎の前にいた守護霊の機械からコンビニの入口で鳴るようなチャイムの音が鳴り始めた。
「何ですか、この音? 何か起こるんですかね?」祐一は顔を上げると、音の出ている所を探した。
「今の音は、誰かが墓参りに来た時の音やな」
祐一が音の鳴るほうを見ていると、二つ前にいる薄っすらと見えていた守護霊の体の色が、突然濃くなった。
「お、帰ってきたな。誰かが墓参りに来ると、その様子は画面に映し出されるからな」浜太郎はそう言うと、色の濃くなった守護霊に声をかけた。
「いやぁ、羨ましいですな。お宅、しょっちゅう誰かが墓参りに来とるやないですか」
前にぶら下がっていた守護霊は、浜太郎の言葉を聞いて軽く会釈をすると嬉しそうに画面を確認する。しかし、映し出された画面を見ると、まるで外れた宝くじでも見るかの様な顔をして肩を落とした。
「何だ、またこいつか」
「どないしたんですか?」
「いやぁ、これ私の孫なんですがね、毎月のように墓参りに来てくれるのはいいんですが、その度に私の墓に向って、何か願い事をして行くんですよ。まったく、そういうのは神社に行ってしろってんだよ!」
「ああ、そりゃあきまへんな。それじゃ、せっかく墓参りに来てもらっても、大した徳はないですな」
「でしょう。困ったもんですよ。このバカタレが! もっと先祖に感謝しろ!」
画面に向って唾を飛ばす守護霊と浜太郎の会話を聞いていた祐一は不思議に思い、浜太郎の横顔を見た。
「どうして何の意味もないんですか? 墓参りすると徳が貯まるんじゃないんですか?」
「それは純粋に先祖に感謝の気持ちを持って墓参りに来た場合や。この場合、墓参りに来てるのは自分の願いを先祖に叶えて欲しいからやろ。そういう邪まな気持ちで墓参りしても、徳は大して貯まらへんねや」浜太郎は、蠅でも追い払うかのように顔の前で手を振った。
「へえ、そういうものなんですか」祐一は小刻みに首を縦に揺らした。確かに今の便利な世の中があるのは過去である様々なご先祖様たちが苦労して築き上げてきてくれたお陰だ。
浜太郎は、目の前の守護霊の色がまた薄くなると、祐一のほうに顔を向けた。
「で、お前。定期貯徳はどうするんや?」
「え、定期貯徳? う~ん」悩んだ祐一は、モニターを見つめながら腕を組んだ。
「その徳の量やと、大きい積立は無理やで。もう少し徳が貯まってからにしたほうがええんちゃうか」
「これって、後からでも大丈夫なんですか?」
「後から決めても、べつに問題ないで」
「ふ~ん。じゃあ、後で考えます」
「そうか。ほんならこれで大体の事は分かったやろ。ほな、そろそろ向こうへ行こか」
祐一は浜太郎と目を合わせると、軽く首をひねった。
「このまま守護霊室にいたら、まずいんですか?」
「べつにまずくはあらへんけど、この画面やったら前しか見えへんから、周りの状況が把握できへんし、皆向こうに行って守護しとるから、周りと会話するのも、こっちにおるといちいち面倒やからな。お前、こっちにおりたいんか?」
「いや、そいう訳じゃないですけど、何でかなって思って」祐一はモニターを見つめた。
「ほな、向こうに行こうや」そう言いながら、浜太郎は携帯を手にした。
「あ、はい」祐一は携帯の「下界」のボタンを押すと、浜太郎と共に人間界へと移動した。