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先生はくしゃみ一つすると、足を組み替えた。前に来た方の靴下は、ワンポイントマークがすねの内側についている。しかも、色が反対側と比べてあきらかに薄い。つまり、靴下は裏返しだ。しかし、健太はそのことをいちいち指摘したことはない。
「でも、そのうち『貴族だけずるい』ってことになって、国のことを決める会議、つまり国会は、貴族がやる貴族院とは別に、大衆の代表が集まる衆議院が出来上がった。つまり、貴族とふつうの人……これを平民っていうんだけど……は平等になったんだね」
健太はノートに、「貴族・平民」と書いた。
「ただ、衆議院の議員はお金持ちの中から選ばれたんだ。投票する人も、高い税金を払っている人に限られた」
健太は「平民」のあとに(金持ち)と書き加えた。
「その時代の人には、もしかするとそれだけでも、自由と平等の裾野が広がった気がしたかもしれないよ。ところがね、そのうち『金持ちだけずるい』って声が上がるようになって、お金持ちとオレみたいな貧乏人が平等に投票できるようになったんだ」
藤田先生はそこで口元に縦に手を添え、いきなり声を小さくした。
「大声じゃいえないけど、この塾時給低いからね」
「ちゃんと聴こえてるぞ」
仕切り板の向こうから、しわがれた塾長の声がした。
「健太君、今日は『時給ってなあに』って聞かないでくれよな」藤田先生は上半身を丸めて靴下を少しさげ、痩せたスネをボリボリ掻いた「とにかく、投票は国に払う税金の額と関係なくできるようになったんだ」
「じゃあ、普通の人が大金持ちと同じように選挙できることになったんだね」
「そういうこと」
健太はノートに、「大金持ち・普通の人」と書いた。
「でもな、まだその頃は男の人だけに選挙権があったんだ」
「へえ、何で?」
「それは、まあ、お父さんが家の代表として選挙に行ったと思えばいい。まだ男女平等を言う人は少なかったからね」
「えー」
健太の頭に、父母の喧嘩のシーンが浮かんできた。
先生のボールペンは順調に波打っている。
「でもそのうち『男だけずるい』ってことで、男女平等が叫ばれる時代になった。選挙は男の人だけじゃなく、女の人も行けるようになったんだ」
健太はノートに、「男・女」と書いた。
「でも、ウチの両親はどっちも選挙行ってないよ」と健太は言ったが、藤田先生は聞いていないようだった。教科書に目を落とし、一人でうなずいている。