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『朝鮮人は皆殺しだ!』
『反日民族共は国へ帰れ!」
『日本にレイシストは要らない!』
『民族差別反対!在日に人権を!』
先日、市民団体同士────ヘイトスピーチ団体とカウンター団体の衝突があった新大久保近郊。
廃棄物として道端に追いやられた、暴言やスローガンの書かれたプラカードの残骸を尻目に、俺は今日も通学していた。
どうせならいっそのこと、休校になれば良かったのに。というのも、衝突による乱闘は複数箇所で発生し、 俺の通うウリハッキョ(朝鮮学校)のすぐ近くにも及んだからだ。
休校になれば、あの「オッサン二人」の顔を見ずに済む。授業で変な「洗脳」を掛けられずに済む。そして、何よりも────自分らしい一日を過ごせる。
「ぶっちゃけ、サボりたいんだぜ…………」
そう呟いて、見上げる空。何処までも澄み渡った、 青くて美しい空。
日本から見える空が綺麗なら、朝鮮から見える空もきっと綺麗だ。だけど、祖国を「深く」愛する日本人と朝鮮人は、そんなことは絶対に思わないだろう。
全く、つまらない奴等だと思う。空を見上げる暇よりも、目の前の「敵対民族」を傷付ける暇の方を、大事にするんだから。そしてそいつらのせいで、普通に生きたくても生きられない、俺みたいな奴が出てきて。
────鳴呼、まさしく地獄かな。
そんなことを考えて、少しばかり憂鬱になっていると、俺と同じく空を見上げる奴がもう一人。それも、 俺の知ってる奴。
「菊!」
「…………ああ、ヨンスさん」
名前を呼ぶとすぐに気付いてくれて、忽ち此方を振り向いた、チングの大学生──菊。
「空を見上げて、どうしたんだぜ?」
「その…………空が羨ましくなってしまって」
「…………ああ」
何となくだが、分かった。菊も、俺と一緒みたいだ。
どれだけこの地が憎悪で荒んでも、空では鳥が戯れるように飛び、雲が気ままに浮かび────そりゃあ、羨ましくもなる。
「こんなに空は綺麗なのに…………つくづく人間って、醜いですよね」
「…………そうだな」
「実は昨日、例のいざこざを見かけてしまったんですよ。本当、おぞましい光景でした」
再び、空を見上げる菊。晴天にも関わらず、その目は憂いに満ち、昏く悲しげだった。
俺は────そんな菊の手を握った。
「…………ヨンスさん?」
「菊!今日は大学、サボるんだぜ!」
「…………ええっ!?」
「俺も学校サボるんだぜ!来るんだぜ!」
「ちょ、ま…………待ってくださ、わぁあ!!」
俺は繋いだ菊の手を引っ張り、学校とは逆の道へと足を進めた。
*
そんなこんなで着いた先は、隅田川沿いにある汐入公園。其処の芝生に、俺と菊は腰を下ろした。
「まぁ…………今日くらいはサボタージュしても、良しとします。偶々講義が二つしかない日ですし、それも大した内容のものじゃないので…………」
「へへ、それなら良かったんだぜ!」
「良くないですよ。特に貴方が困るでしょうに……」
「多少困っても別に良いんだぜ。そもそも仕方無しで通ってるからな、彼処には」
そう言って、俺はごろりと芝生の上で仰向けに寝転がった。さっき見た空よりも、もっともっと広く大きな空が、目の前に広がる。
まだ朝だから、鼻腔から吸い込む空気は、少しばかり冷たい。だけど、それが清々しくて。
「菊も、横になるんだぜ」
「……私もですか?」
「ああ」
躊躇しつつも、俺と同じ体勢で横になる菊。上空を飛ぶ旅客機が、真っ直ぐな白い線を空に描く。
「……一度だけでも、この国を出たい」
暫くして、ぽつりと菊が呟いた。
「束の間だけでも……日本じゃない何処かで、生きてみたいです」
「それは……どうしてなんだぜ?」
「異民族に悪意を向けて、暴力を振るってまで…………祖国というものを愛そうとするこの社会に、すっかり疲れてしまって」
「…………」
「ヨンスさんも……一度は出て行きたいですよね、こんな国」
菊は此方を向いて、俺にそう訊ねた。
確かに……この国は差別や偏見の温床だ。如何せん、日本人は島国育ちの民族故に、盾である海を越えてやって来た外国人は、すなわち「敵」なわけで。その中でも、取り分け中韓は未だ反日感情が甚だしいから、 尚更だろう。
しかし、海外──取り分けヨーロッパ圏は、未だにアジア人への差別が根強い。それは人種の坩堝である、アメリカでさえもだ。
俺は答えた。
「出て行ったところで……幸せになれるとは限らないんだぜ。何処に行っても、苛められる時は苛められるんだぜ」
「…………それもそうですね。じゃあ、無人島ならどうでしょう」
「お前、サバイバル出来るバイタリティあるんだぜ?」
「…………無いです。冗談です」
ふぅ、と溜め息をつき、再び空を仰ぐ菊。それを見ていた俺も、同じように視線を空に戻した。
*
「あれ?ヨンスヤじゃねぇかよ!」
突如掛けられた、聞き覚えのある声。やや億劫に身を起こすと、其処にいたのはウリハッキョのクラスメートだった。
「ジョンミナ、お前もサボり?」
「ちげぇよ!ってかお前、そのつもりで其処にいたのかよ!」
ツッコミを入れながら此方にやって来る、クラスメートのジョンミン。よく見ると、制服ではなく私服を纏っている。
「どうして、お前が此処に…………?」
「休校になったんだよ!殺害予告が届いて!」
「…………チンチャ?」
まさかの殺害予告。つまりこれって…………ラッキーなのか?いや、勿論全然良くはないが。
「殺害予告って、一体どんな…………」
「先生曰く、ファックスで送られてきたとよ………… 『此処にいる反日因子を全て抹殺する。奴等は我が国を腐らせる黴菌だ。美しい日本を未来永劫守るためにも、汚物は消毒だ!』って。こういう脅し文句を考えるのだけは一人前だよなぁ、ネトウヨって」
「…………」
「実際そんな蛮行、やる可能性が無いわけではないとはいえ、そうそう出来もしねぇ癖によ……それに大半の奴が、日本を壊そうだなんて微塵も思ってねぇし」
全く、失礼極まりねぇ野郎だぜ────そうぼやき ながら、ジョンミンは俺の隣に座った。
そんな彼を、不思議そうに見つめる菊。
「…………お友達の方ですか?」
「ああ、俺のクラスメートで、ジョンミンっていうんだぜ。ほら!日本語で自己紹介!」
「は、初めまして!チェ・ジョンミンです」
ジョンミンが日本語で挨拶をすると、菊も深々とお辞儀をし、挨拶し返した。
「此方こそ初めまして。ヨンスさんの友人の、本田菊です」
「菊、さん…………あの、失礼ですがお幾つで?それ と、日本人ですか?」
「はい。れっきとした日本人で、20歳の大学生です」
「と、年上!てっきり俺やヨンスヤより年下かと…………」
「…………よく言われます」
「てかヨンスヤ、お前日本人のチングがいたのかよ! すげぇな!」
「…………そうか?」
「そうだよ!中々日本人とは仲良くなれねぇもんだからさ、在日って…………」
*
「殺害予告…………ですか」
「はい。それが今朝学校のファックスに届いて、急遽休校になったんです」
いつになく真面目な表情で、ジョンミンは菊に話していた。こいつのそういう顔見るの、久しぶりかも。
「実は過去にも同じような感じで、爆破予告が来たことがあって…………その時は、実際予告通りに爆発物持った奴が侵入したんですよね。まぁ、すぐに警察呼んでそいつは捕まって、事なきを得ましたけど」
「うわぁ…………大変ですね、朝鮮学校も…………」
「はは、もう慣れっこですよ。元よりこの国の嫌われ者ですからね、俺達朝鮮人は」
「そんな……悲しいこと言わないでください。少なくとも私は、民族の違いを理由に、人を嫌ったりなんかしませんよ」
「…………有り難う御座います」
笑みを浮かべて、礼を言うジョンミン。彼もまた、 俺と同じなのだ。普段は気さくで剽軽だけど──── 在日コリアンとしての苦悩を抱えながら、この国を生きている。
「しっかし…………まさか学校を『サボっている』つもり のヨンスヤに会うとは思わなかったぜ」
「俺が家を出てすぐ後に、休校の措置が取られたんだな…………つくづく、タイミングが悪いんだぜ」
「ところで菊さんも、大学院はお休みで……?」
「いや、ヨンスさんに連れられて、サボることに……」
「悪っ!!お前悪っ!!」
「だってぇ〜……」
そう返すや否や、「だってじゃねぇよ!お仕置きだっ!」と、ジョンミンに忽ち羽交い締めにされる俺。
「タンマ、タンマ!苦しいんだぜ!」と喚く俺を他所に、菊は手待ちのスマホを手に取り、「……あ」とひと言。
「どうしたんだぜ?」
「どうしましたか?」
「今日受ける予定の二つの講義……休講だ……」
「…………」
「…………」
「…………まぁ、結果オーライなんだぜ!良かったんだぜ、菊!」
俺が笑顔でそう言うと、二人は呆れ顔。ジョンミンからは「良かねぇよこのパボ!」と、一発軽い拳骨を食らった。
でも、サボりを咎められる理由が無くなった……というか、そもそもサボりじゃなくなったんだから、別に良いんじゃないか、と思う(それでも、俺のは理由が物騒過ぎるが)。
*
それからジョンミンは、これから浅草まで向かうと言い、「じゃあまた!菊さんと仲良く!」と手を降って、その場を後にした。
再び、菊と二人きりになる。
「これからどうします?私達」
「……さぁな、どうするか」
また、徐ろに頭を上に向ける。其処にあるのは、相変らず青く澄み渡った、何処までも広くて美しい空。
「今日は此処で空を眺めて……1日をのんびり過ごすのも、悪くないかもなんだぜ」
俺はそう言って、再び仰向けに寝転がった。菊も、 同じように横になる。
「今日が良い天気で、良かったですね」
刹那、ふわりと吹く風。それは周りの木々を揺らし、俺達二人の頬を、優しく撫でた。
「チンチャ、しんどいんだぜ……この社会は」
「…………ええ」
「だからさ……どんな奴等も、一度は空を見上げるべ きなんだぜ。そしたら、この世の何もかもが、どうでもよくなる筈なんだぜ」
「…………そうですね」
二人並んで、見上げる果てしなき青。
この社会が崩壊しても、この国が消滅しても、この星の人類が絶滅しても、この色だけは未来永劫変わらないのだろうな、と────そんなことを考えた。