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こっちの涙腺も死にそ やっぱ主さんの小説好きです
とあるカフェでの会話だった。
ただたわいもない話をしてるだけだった。
だけど、ひとつの言葉で崩れてしまった。
言うべきじゃなかった、俺もスパイ出来るかもな、なんて。
いつもはそんな言葉にツッコミを入れてくれるあいつは、ただ静かに言った。
「止めておいた方がいい、たらいには出来ないよ」
「本職の人にはそう見えんの?でも雲雀も中々変装とか上手いよ、女装は無理だと思うけど」
「タッパって低く出来んのかな」
「そういう意味で言ったんじゃない」
「どういう意味?」
「奏斗、雲雀。この話もうやめよ」
「え、僕もしかして悪い事聞いちゃった?」
「そうじゃ、ないけど」
「諜報員は、身体を売るのも厭わない仕事ですから」
四季凪はそう言ったあと、カップの中に入っているコーヒーを数秒見つめ、飲み干した。
苦い味が喉を通っていく、昔の記憶みたいに。
諜報員としての時代が、恨む程嫌なわけではなかった。
家の為にしていた事だったから誇りに思っていたし、スパイとして仕事をしていなければ、セラフにも会っていなかったから。
だけど正直、私に合っていると言えばそうでもなかった。
自分でもわかるくらいのお人好しな性格があったから、他人の情報を盗んでターゲットを
殺すという事が嫌だった。
別に自分の手で殺していた訳でもない、それらはセラフが全てやってくれていたから。
だけどいつの日か精神的苦痛が多くなって、結局逃げ出した。
身体を売るのも、相手を騙すのも、相手を傷付ける事も慣れている。
だから、思い出したくない。
口を滑らせてしまった、空気を悪くしてしまった。
「すみません、今のは聞かなかった事にしてください」
「アキラ」
「私、先に戻りますね」
今の私は、上手く笑えているのだろうか
あの頃みたいに、この人達を上手く騙せているのかな
鏡が無いから分からない。
でもきっと、あの頃より笑うのが下手になっているかもしれない。
逃げ出すみたいにカウンターに珈琲代を置いて、扉に手を掛けたけれど、その腕を暖かい手が引き留めるように引っ張った。
「たらい?」
「ごめん、アキラの事傷つけた」
後ろを振り返り、顔を見つめる。
そう言った彼の表情は、申し訳なさそうな表情だった。
いつもにっぱりと笑っているのが印象的な彼に、あまり見ないような表情。
なんで謝るの、貴方が悪いことじゃないのに。
「___なんで、謝るんですか」
「今のアキラ、泣きそうになっとるから」
そう言って彼は私の頬を優しく撫でた。
いつの間にか目の前がぼんやりとしている、眼鏡を掛けているのにたらいの顔が歪んでいた。
ああ、きっと今ここにいたらダメだ。
ぼろぼろとダムが崩壊して水が溢れ流れるみたいに、自分の気持ちが崩れていく。
お前らは優しいから、すぐ気にかけてくれる。
でも、今はそんな自分が嫌だ。
自分でなんとかしなきゃいけないのに、結局他人の気持ちに浸って慰めてもらおうとしてるのが、気持ち悪い、嫌だ。
「優しくしないで」
ごめん、そう言って手を払って逃げ出した。
走って、沢山走って、息が切れていた。
いつの間にか居た場所は自分が構えた事務所だった。
家に帰ろうと思ったのに、無意識に此方に来てしまったようだ。
逃げ込むように建物内に入る。
諜報員をやめて、初めて自分の手で手に入れた事務所。
セラフと一緒に活動している場所。
あいつらと一緒に話せる場所。
沢山の思い出が詰まった、私の大切な場所。
「なんで、思い出しちゃうんだろうなぁ」
いつの間にかその場に立ったまま、我慢していたものを吐き出すように涙を流した。
一人じゃ滅多に泣かないのに、こういう時だけは我慢ならない。
眼鏡を外して乱雑に目元をごしごしと拭くけれど、止まりはしなかった。
人の為にやれる事なら何でもした。
身体を触られるのも、腹に穴が開くことも、殴られるのも。
なのに帰ってくる言葉は次の依頼の話。
愛されることなんて無かったし、誰かを愛しても裏切られるだけだった。
汚い自分が嫌いだ、頭の悪い自分が嫌いだ。
逃げてしまう自分が大っ嫌いだ。
「こんな気持ちになるって知ってたら、生まれてこなかったのに」
なんでこの世界に生まれてきたんだろう。
そんなの簡単だ、すぐに分かる。
親が愛し合ったから生まれた、親の愛情であの仕事をしていた。
ただのエゴとして、使われていただけの話。
奏斗みたいにポジティブだったら、たらいみたいにいつでも笑えたら、セラ夫みたいに、沢山努力が出来たら。
私も、少しは役に立ったのかな。
「凪ちゃんはいつも役に立ってるよ」
自分よりも熱い体温を感じる。
暖かくて、優しい香水の香りがする。
いつの間にか腹に腕を回されて、逃げられないように固定されていた。
嘘だよ、そんなの
貴方は優しいから、いつもそう言ってくれる。
役に立ったことなんて一度もない。
「あるよ、凪ちゃんがあの日ああやって俺を説得してくれなかったら、今ここに居ない」
それは、私が貴方と一緒が良かったから、逃げ出したかったから。
本当は、きっとセラ夫を苦しめたと思う。
考えさせて、無理やり手を引いてしまったような、そんな感覚だった。
嘘だよ、それも、全部嘘。
私の為だから、そうした。セラフはただ私の考えに乗ってくれただけなんだよ。
貴方はいつも私のことを気にかけてくれてた、それだけなんだよ。
「違う、なんでそんなこと言うの」
君が居るから、俺はここに居られるんだよ。
優しい声で、そう言われた。
苦しかった、息の仕方も忘れて、はくはくと少しでも酸素を取り込むみたいに口を開け閉めした。
足もガクガクと震えて、正直立っていられなかった。
がくりと力が抜けて床にへたれそうになった時、セラフは軽々と抱き寄せてソファに運んでくれた。
セラフの足の上に座るように抱きしめられた。
背中を撫でてくれる手が暖かい、首筋に少し汗が伝っている。
走ってきてくれたの、どうして?分からない。
「そりゃあなぎちのことが心配でしたので」
聞こえているかのようにセラ夫は笑いながらそう言った。
きっと、私じゃなくても貴方は落ち込んでいる人が居たら、走ってでも慰めてくれるんだろうな。
セラフ・ダズルガーデンという男は優しくて、何でも出来る。だけどその何でも出来るというのは、彼が努力したからこそ色んな事が出来る。セラ夫が努力して、沢山練習して諦めなかったから出来ること。
彼の弾くヴァイオリンみたいに。
私はセラ夫みたいに、努力が出来ない。
だから、どうしても劣っている。
「凪ちゃん、ねぇ、なぎち聞いて」
顔を見せたくなかった。
今きっと、顔面崩壊しているから。
涙でべとべとで、メイクも絶対崩れてる。
「凪ちゃんは俺に無いもの沢山持ってるよ。例えばさ、俺は 初対面の人とかと話すの苦手じゃんか、でも凪ちゃんは率先して知らない人とも仲良くなろうとしてるでしょ?そういうのって普通は出来ないんだよ。凪ちゃんだから出来ることなんだよ」
彼の温かい言葉が、じわじわと心を暖めてくれそうだった。
やめろよ慰めるの、もっと泣いてしまう。
お前のそういう言葉がどれだけの人に響いてるか、分かってんのか。
「それに、努力出来ない人は諜報員なんて仕事こなせないよ」
君がいつも頑張ってたから俺は任務に集中出来てたんだよ。
君が裏からサポートしてくれてるから出来てることなんだよ。
「だから何も出来ないとか、劣ってるとか言わないで。凪ちゃんが居ないと俺の相方は誰がやってくれるの」
もう、いいよ。
分かったから、それ以上は言わないで。
貴方がどう思ってるか、もうちゃんと伝わったよ
心臓がぎゅって痛くなるくらい、伝わったから。
「もう逃げないでよ、傍に居させて」
お前、そんな事言うなら逃がさないからな
ずっと傍に居させるぞいいのか。
どれだけ辛い任務が入っても、嫌な事があっても、 私の傍に居ることになるんだぞ。
「うん、いいよ」
凪ちゃんがもういいって言っても傍に居るよ。
凪ちゃんは知らないだろうけど、俺が落ち込んでる時とか辛いことがあった時、君が俺の事を慰めてくれてるんだよ。
助けられてるのは寧ろ俺の方だからさ、これからはもっと俺に頼ってよ。
耐えれなかった、これ以上は我慢ならなかった。
縋るように抱きしめ、泣いた。
セラフの服が濡れるとか、そんなの考えられないくらい心臓が苦しかった。
辛いとか悲しいとか、そういう苦しさじゃない。
嬉しくて、泣いてしまっている。
もう少し貴方に甘えていいのかな、奏斗とか雲雀にも、甘えていいのかな。
私、もう少し楽にしていいのかな
「楽にしてよ、もっと沢山甘えてきて」
甘やかしてあげたいからさ
そう笑うあなたに敵う事は無いんだろう。
でもそれでいい、セラ夫がもう嫌だと言うまで甘えさせてもらう事にする。
だってそっちの方が、今みたいに笑ってくれそうだから。
今だけは、貴方を独り占めさせて。