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芙月みひろ
92
#王子
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その夜、営業部では雨宮主任の歓迎会が行われていた。白石さんは「陽一さんの看病」を理由に、開始30分で戦線を離脱していった。
(……白石さんの愛の重さ、もはや地面にめり込むっていうか、地球の裏側まで最短ルートで開通しそうっすね。……春川先輩、生きてるかな……)
俺は、主任のしごきでボロボロになった身体にビールを流し込んだ。宴もたけなわ、アルコールの力で気が大きくなった木島が、隣の席の雨宮主任に絡み始めた。
「いやぁ雨宮主任、美人なのに相変わらず隙がねえなぁ。女はもう少し『かわいげ』がないと。……そういや、旦那の浮気で離婚したんだって? 元旦那、俺の同期なんだよ。あいつ、ボヤいてたぜ、『たった数回で家を追い出された』ってな。浮気なんて男の甲斐性だろ。息子のためにも目をつぶってやりゃあ良かったのに」
周囲の空気が一瞬で凍りついた。下卑た笑いを浮かべる木島に対し、俺は反射的に腰を浮かせた。
(……ふざけんな。この人は、どれだけの覚悟で子供を一人で守ってると思ってるんだ……!)
モデルたちと浮名を流し続けたカメラマンの父。時には見知らぬ女が家にまで乗り込んできて、そのたびに母が夜中に一人、声を殺して泣いていた。 「甲斐性」なんて言葉が、どれだけの犠牲の上に成り立つ独りよがりなものか、俺は嫌というほど知っていた。
言いかえそうとした瞬間。主任は、手にしたウーロン茶のグラスを静かにテーブルに置いた。
「木島。私の元旦那から何を聞いたか知らないけど、家庭の問題は数年前に解決済みなので心配は無用よ。それよりも――」
「今期の目標達成率、70%だったらしいわね。……他人の家庭を心配する余裕があるのなら、まずは自分の無様な数字のリカバリープランを練るのが先決じゃないかしら? プロとして」
「なっ……! 俺の方が1年先輩なんだぞ……!」
「仕事に年齢は関係ないわ。……それとも、論理的な指摘に反論できないから、感情論に逃げるつもり?」
木島は顔を真っ赤にして黙り込んだ。助けなんて必要なかった。彼女は、自分自身の言葉という剣だけで、無礼な攻撃を微塵切りにしてみせたのだ。