『逃げるは恥だが役に立つパロディ』~めめこじ編~
「家事代行は恋の始まりでした」
昼過ぎ。
俺はいつも通り、ソファの上でゴロゴロしながら動画を漁ってた。
たまに冷蔵庫、たまにトイレ。ほぼ往復運動のプロ。いや、自称・充電中のアーティストってことで。
そんな悠々自適(ニート)生活を送ってる俺に、オカンが急に話しかけてきた。
「康二、あんたアイドルとか興味なかったわよね?」
「え? うん。まったく好きちゃうけど……」
スマホ見ながら、返事だけはちゃんとする息子・向井康二(無職・27歳)。
てか、なんで今その話なん。ジャニーズとかK-POPとか、マジで通ってへん。知ってるの、せいぜいSM〇Pレベル。
オカンは、そんな俺をジッと見つめて、ニヤッと笑った。
「あんたにぴったりの仕事、お母さん見つけてきたから」
「は? ちょ、待って、展開早ない?」
聞けば、“家事代行”やと。芸能人の一人暮らしの家に行って、掃除・洗濯・料理をやる仕事らしい。
「てか、なんで俺が芸能人の家で掃除せなあかんの?」
「逆よ。アイドルに興味ないあんたやから、ちょうどええの。変に緊張もせんし、気ぃも使わんでしょ?」
「それ褒めてる? けなしてる? どっち?」
「褒めてる褒めてる(棒読み)」
全然信用ならんトーン。
いや、たしかに俺、掃除とか料理とかは得意やけど……それって家庭内限定ちゃうん?
「明日10時ね。初日から遅刻とか恥ずかしいから」
「あ、もう決定してるやつなんや……」
なんやろな、オカンの押しの強さって絶対政治家向きやと思うわ。
気付けば封筒とスケジュール表が目の前にドンと置かれてて、なんかもう断る雰囲気ゼロやった。
「……わかったよ。シャワー浴びとくわ」
オカンが満足げにリビングを去っていったあと、ソファに沈み込みながら思う。
俺、明日から家政夫。しかも相手は芸能人。
どうなるんこれ……てか、どんな人なんやろ。
……ま、どーせ俺には関係ないわ。仕事やし。
そう思ってた、このときは。
まさか、その「芸能人」が、俺の人生を全部ひっくり返すような“あいつ”とは知らんまま――。
翌朝。
久しぶりに目覚ましかけて起きた俺は、慣れないシャツに袖通して、バスに揺られてた。
「はぁ~……めんど……」
小声でぼやきながら、地図アプリとにらめっこする俺。
目的地は、都心の高級住宅街。オカンが言ってた通り、“そこそこ有名な若手芸能人”の家らしい。
芸能人いうても色々おるやん?
めっちゃイケイケのやつとか、変に気取ってるやつとか……最悪、神経質なやつやったらどうしよ。
とか考えてるうちに、住宅街に到着。
周りはでっかい家ばっかや。もはや城。
「……え、これ、どこ押すん」
一軒、目印の住所にたどり着いた家は、白い壁にオートロック付きの門。
インターホンも未来感あふれるタッチパネル式。近未来か。
深呼吸して、ピッと押す。
――ピンポーン。
「……」
しーん。
誰も出ぇへん。え、これ、やらかした? 場所間違えた?
めっちゃ汗かいてきた。いや、違う、たぶん中で忙しいだけや。芸能人やしな(自己暗示)。
と、そのとき。
ガチャッと、玄関のドアがわずかに開く音がした。
でもそこから、誰も出てこん。
え、怖。ホラーか。
仕方ないから、俺はそっと声をかけた。
「す、すみませーん! 今日から家事代行に来た、向井康二です~!」
――返事は、ない。
……ま、まぁ、俺は仕事しに来たわけやしな。家ん中入ってええってことやろ(ポジティブ)。
そう自分に言い聞かせながら、恐る恐る玄関に足を踏み入れる。
そこに広がってたんは――
ピッカピカの床。おしゃれすぎる家具。でっかいソファ。天井、めっちゃ高い。
海外ドラマかここ。
「すご……芸能人ってホンマにこんなとこ住んでんねや」
ポツリと独り言つぶやきながら、エプロンを取り出して、着ける。
よっしゃ。まずは掃除からやな。
雑巾片手に、俺は広すぎるリビングを見回す。
掃除機終わって、窓ふき終わって、キッチンの拭き掃除もバッチリ。
「……完璧やん、俺」
自画自賛しながら、エプロンのポケットからメモ帳取り出してチェック項目を一つひとつ消していく。初仕事にしてはええ感じ。てか、依頼主さん、全然出てこんけど……寝てるんかな。
静まり返った家の中。時計の針が、10時半を指してた。
「さすがにちょっと顔出してもええよな?」
リビングからそろりと廊下に出て、足音たてんように歩く。
ドアが何枚か並んでて、その奥の一つから、微かに音がした。
……シャワー??
え、寝坊とかそういうパターン? まぁ芸能人やし、昨日までドラマとかライブとかやってたんかもしれんし。俺も元夜型やから文句は言えん。
そしたら、タイミング良く、ドアの向こうから「カチャ」と音がして、開いた。
出てきたのは――
背、高っ。
肌、白っ。
髪、濡れててサラッサラ。
顔、……え? あのRENやん。
俺、知ってる。
いや、めっちゃ興味はないけどオカンがよくテレビ見てて「最近の子は目が綺麗やねぇ」って言ってたやつや。
あの“REN”や。
バラエティにも出て、歌って踊って演技もできる、今いちばん売れてるアイドル。
そのRENが、タオルで頭拭きながら、無表情でこっち見てきた。
「……誰?」
声、低っ……!
「えっ、あっ、えっと、今日から来た家事代行の……向井康二です。えっと、その……よろしくお願いします?」
めちゃくちゃ頭下げた。何これ、完全に俺が怪しい人みたいやん。
てか、言い方もうちょいあったやろ俺。小学校の自己紹介か。
RENは少し目を細めたあと、ため息をついた。
「そういえば……マネージャーから言われてた。今日から人入れるって」
そう言って、素足のままリビングへ向かって歩き出す。
こっちはちょっと硬直してるってのに、全然こっち見もせん。
「部屋、きれいになってる。ありがと。続きあるなら、適当にやっていいよ」
サラッと礼だけ言って、ソファにドサッと座るREN。
スマホを片手に何かチェックし始めた。たぶん、次の仕事のスケジュールとか……。
すごい。あんな完璧人間みたいな人、ほんまにおるんやな……
いや、芸能人ってほんまに“別世界の人”やと思ってたけど、目の前におるやん。
でもなんやろ、あの感じ――人懐っこいタイプでも、壁作ってるわけでもなくて、
むしろちょっと“距離感のバグってる人”。
……なんか、気になる。
「……じゃ、洗濯物回しますね~」
そんな言葉で、ごまかすように作業に戻った俺。
リビングのソファに座ったまま、RENさんはスマホをいじってる。
けど、なんか……こっちをチラチラ見てんねん。
え、なに。なんか失敗した?
俺、なんか地雷踏んだ??(震え)
もやもやしながら掃除機のコンセントを片付けてたら、RENさんがぽつりと呟いた。
「……一応、聞いとくけど」
「はいっ!」
反射でめちゃ声デカく返事してもうた。
RENさん、微妙にびくっとしてる。あ、すんません……(小声)
「お前さ、俺のこと……知ってる?」
「え、あっ……」
その瞬間、俺の頭ん中では――
【緊急脳内会議開催!!!】
議長:向井康二(無職)
参加者A:正直者康二
参加者B:保身派康二
参加者C:ノリで乗り切ろうとする康二
議長「はい! 本日の議題、RENさんをどれぐらい知ってるって言うか!」
正直者康二「いや、顔は知ってるけど、ファンとかそんなんちゃうから、正直に言おう!」
保身派康二「でもちょっと知ってるって言ったら、『ほんとは好きなんちゃうか?』って疑われる可能性あるやん……ここは“全然知りません”で押し切ろ!」
ノリ康二「え~い、ここは『むしろ興味ないです☆』くらい言ったらウケるんちゃう?」
議長「うるさい!!! 落ち着け!!!」
議長「……ここは素直に行く。ファンちゃうけど顔は知ってる、それだけ伝える!」
満場一致。
現実世界に戻って、俺は慎重に口開いた。
「……顔は見たことあります。テレビとかで。でも、正直そんな、めっちゃ詳しくは……ないです」
言い終わったあと、ちょっとだけ沈黙。
RENさんは、スマホをテーブルに置いて、深くもたれかかる。
それから、ぼそっと話し始めた。
「前に来てたスタッフ……俺のファンだったんだよね」
えっ。
「最初は普通だったんだけど、だんだん私物触られたり、勝手に写真撮られたり……それで、マネージャーが止めに入ってクビになった」
……うわ。
聞いてるだけで胃が痛い。
芸能人って、そんな身近なとこでも気抜かれへんのか。
「だから、次は絶対、俺に興味ない人がいいって……母さんに頼んだ」
「お母さんに……?」
「うん。家事代行サービスに知り合いがいるって聞いて、そこ経由で。『息子さん、芸能人とか興味ないタイプらしいよ』って言われて、任せた」
──え、
ちょっと待って。
それってつまり、
俺、アイドルに興味ないから選ばれたってこと?
再び脳内会議開始。
議長「議題! 俺の存在意義!!」
自己肯定感高い康二「選ばれし存在やん!!すごない!?」
冷静康二「いや、要は“安全パイ”ってことやで?」
被害妄想康二「俺、存在が“空気”枠なん……?」
議長「とりあえず、落ち着こか」
現実世界。
RENさんはこっちをじっと見てる。
その目が、すごく真剣で、でもどこか疲れてて。
……あぁ、なんか、ちょっとだけ分かる気がした。
この人、めっちゃしんどかったんやな。信用できる人探すだけでも、疲れるくらいに。
俺は思わず、ぎこちない笑顔で頭かいた。
「えっと……まぁ、そんなゴシップとか、まったく興味ないんで。安心してください。俺、マジでアイドルとかわからんっす」
「……うん。よろしく」
そう言ったRENさんの声は、さっきよりも少しだけ柔らかかった。
でも、まだ心のシャッターは降りたまんま。
こっちは“家政夫”、あっちは“雇い主”。
距離は縮まる気配ゼロ。
この壁、いつ崩れるんやろなぁ……。
そんなことを思いながら、俺は黙って洗濯機を回しに行った。
洗濯機の音が静かになったころ、俺は洗濯物を干して、リビングへ戻った。
リビングではRENさんが、さっきと変わらずソファに座ったまま、スマホをいじってた。
「終わりました」
短く報告すると、RENさんはちらっとだけ顔を上げた。
「……ご苦労さん」
それだけ言って、テーブルの上から白い封筒をひょいと取る。
「これ、今日の分」
差し出された封筒。
受け取ると、ちょっとずっしりしてた。
「えっ、こんな、ちゃんともらっていいんですか……?」
なんか、こんな豪邸の掃除して、おまけに超有名アイドルのプライベート空間に入り込んで、それで現金まできっちり……
いまだにバイト感覚が抜けきらん俺には、ちょっと現実感なかった。
RENさんは特に気にした様子もなく、淡々と続けた。
「……今日の家事、別に悪くなかったと思う。俺、めっちゃ細かいとこ気にするタイプなんだけど」
「……はぁ、あ、ありがとうございます」
「でも、これはあくまで“試用期間”みたいなもんだから」
ぴしっと言い切る声に、少しだけ身が引き締まる。
「次、俺が『また来てほしい』と思ったら、マネージャー経由で連絡する。……思わなかったら、連絡しない」
RENさんは、そう言ってまっすぐ俺を見た。
その目には、優しさも、期待も、まだない。
ただ“公平に見る”って決めてる人間の、冷静なまなざしだった。
「……わかりました」
俺も、できるだけ真面目な声で答えた。
「今日はありがとう」
短くそう言われ、自然と一礼してから、俺はリビングをあとにした。
封筒をポケットにしまいながら、マンションのエントランスを出る。
ビル風が、シャツをはためかせた。
──試用期間。
合格か、不合格か。
それを決めるのはRENさんや。
「……なんか、バイトの面接より緊張するやん」
独りごとが、風に流れていった。
――――――――
マンションを出たあと、電車に揺られて小一時間。
夕方前、俺は久しぶりに実家の玄関をくぐった。
「ただいま~」
「おかえりー、康二~!」
リビングから元気な声。
オカンはエプロン姿で、なんか料理中らしい。
いい匂い漂ってる。なんか、唐揚げっぽい。
「どうやった? 初仕事!」
「……まぁまぁ?」
靴を脱ぎながら答えたら、オカンがひょいっと顔だけ出してきた。
「何その微妙な顔。ちゃんとやったん?」
「やったっちゅうねん!」
慌てて抗議すると、オカンはくすっと笑ってキッチンに戻った。
リビングのソファに座ると、自然と体がどっと重くなる。
慣れない緊張のせいか、思った以上に疲れてた。
「なぁ、オカン」
「なに?」
「なんで俺が……あの、RENさんとこ、行くことになったん?」
何気なく聞いたつもりやったけど、オカンは手を止めて、ちょっと真面目な顔になった。
「アイドルに興味ない子、って条件で探してたんやて。あんた、昔から興味ないって言うてたし」
「まぁ……そやけど」
「それに、あんた昔から家の手伝い嫌がらんかったしな。細かいとこ気ぃつくし、安心して任せられるって思ったんよ」
オカンは、唐揚げをひっくり返しながら、あっさりと言った。
「でも、ええか? 相手は有名な人や。あんた、変な気起こしたらあかんで? わかってると思うけど」
「わかっとるわ!!」
思わず声を張ったら、オカンはまたくすくす笑った。
「信用してるから、あんたに頼んだんやで」
その一言が、胸にすとんと落ちた。
オカンなりに、ちゃんと考えて俺に任せてくれたんやな。
ただの“ニート脱出作戦”ってわけやない。
「……任せとき。俺、変なことせん。ちゃんと、家事だけやってくるわ」
「うん、よろしい!」
オカンの満面の笑み見たら、ちょっとだけ肩の力が抜けた。
そうや、俺はただ、ちゃんと“家事代理人”でおればええんや。
ややこしいこと考えんと、目の前のこと、きっちりやるだけ。
「ほな、唐揚げ揚がるから手ぇ洗いー!」
「はーい」
立ち上がって、洗面所に向かいながら、ポケットの中の封筒をぎゅっと握った。
──試用期間。
次、呼ばれるかどうかはわからんけど。
俺は、ちゃんとやる。
それだけや。
―――――――――
Side目黒
スマホを適当にいじりながら、ふと顔を上げた。
リビングの端。
観葉植物の葉っぱが、きれいに拭かれているのに気づいた。
──あれ?
目を細めて周りを見回す。
棚の上、テレビボード、スピーカー周り。
普段、自分でもあまり触らない細かいところに、うっすら積もっていたはずの埃が――ない。
一つ一つ、そっと手でなぞってみる。
指先に、汚れがつかない。
(……ちゃんと、拭いてる)
俺の家は、基本的に家事代行に頼ってる。
でも、ここまで細かく手をかけてもらったこと、正直あまりなかった。
雑に済まされることも多かった。
『どうせ男の一人暮らしだから、気にしないだろう』
そんな空気を感じることも、何度もあった。
だけど、今日――
このリビングには、手を抜かれた気配が、まるでない。
立ち上がり、キッチンへ向かう。
シンクの中は水滴ひとつなく、磨かれて、ほんのり光っていた。
床に座り込んで、洗濯カゴをのぞく。
たたまれた洗濯物が、きれいに積み上げられてる。
一枚一枚、サイズを揃えて、角をぴっちり合わせて。
Tシャツ、タオル、パーカー、全部、誰が見ても「きれい」と思える畳み方だった。
無意識に手が伸びる。
たたまれた黒いTシャツをひとつ持ち上げてみる。
ピシッと、形が整っていて、適当に折っただけじゃないことが伝わる。
──機械みたいにきれい、じゃない。
──人間の手で、でも、雑じゃなく。
不思議な感覚が胸に広がる。
(……アイドルに興味がないって、言ってたな)
ふと、あいつの言葉を思い出した。
テレビで顔を見たことはあっても、ファンとか、特別な感情はない。
ただ、“家事代行”として、当たり前の仕事を当たり前にやる。
そんな態度だった。
(……だから、か)
ここに、変な期待も、下心もない。
ただ、目の前の“仕事”として向き合っている。
……それだけなのに。
それだけだから、かもしれない。
すごく、静かに、心がほぐれるような感覚があった。
封筒に今日の日当を入れたのも、その感覚に従っただけだった。
試用期間。
次、呼ぶか呼ばないかは、自分が決める。
でも、今、このきれいになった部屋を見ながら、俺はもう、半分答えを出していたのかもしれない。
ただ、それを簡単に口にするわけにはいかない。
俺は、慎重にしか、人を信用できない。
だから――
テーブルに戻って、スマホを握った。
どんなタイミングで、どんな言葉で、またあいつを呼ぼうか。
それを考えるふりをして、俺はスマホを見つめ続けた。
―――――――――
Side康二
「行ってきまーす!」
そう言って家を出た瞬間、オカンが「靴、左右逆やで!」って突っ込んできて、あやうくまた現場に事故るとこやった。
靴、ちゃんと履き直して電車に飛び乗る。
──二度目。
あのRENさんの家へ行くのは、今回が2回目や。
でも1回目より、緊張してるかもしれへん。
初回は、ある意味“初対面の勢い”で乗り切れた。
けど今回は違う。
「試用期間」のあとや。
つまり、「合格したってことやんな……?」
小さな疑問と、ほんのちょっとの嬉しさを胸に、マンションのエントランスへ足を踏み入れる。
オートロック越しに、管理人さんが「どうぞ」と開けてくれるのも、ちょっと慣れてきた。
でも、エレベーターに乗るときには、やっぱり指先が冷たくなる。
(今日も、ちゃんとできるかな……)
昨日の夜、洗剤の分量とか、畳み方の動画とか見返しておいた。
地味に予習してる自分に笑ったけど、それくらいには気合い入ってる。
ドアの前に立つと、インターホンを押す指に力が入る。
──ピンポーン。
「……はい」
低くて落ち着いた声が、モニター越しに響いた。
変わらない。むしろ、それがちょっと安心する。
「あっ、向井です。今日、よろしくお願いします」
「開いてる。入って」
ブツッと通信が切れて、すぐにオートロックの音が鳴る。
(相変わらず、無駄がないな……)
ドアを開けて、靴を脱ぐ。
ほんのり漂う、前回と同じ柔軟剤の香り。
「……失礼します」
リビングに向かって声をかけると、ソファの奥に見慣れた姿がいた。
黒のルームウェアに、無造作な髪。
スマホを持ったまま、RENさんがちらりとこっちを見る。
「おはよう」
「お、おはようございますっ」
ちょっと噛んでもうた。あかん。落ち着け、俺。
「昨日の夜、洗濯物たたみながら、考えてた」
RENさんがぽつりと言う。
「……あれ、アイロンまでかけてた?」
「はいっ。しわ気になったんで」
そう言うと、RENさんは「ふーん」とだけ返して、またスマホに目を落とした。
(たぶん、褒めてくれた……んやんな?)
こっちが勝手にドキドキしてるのに、向こうは淡々としてるの、なんかずるい。
「リスト、そこにあるから。前回と同じ感じでお願い」
RENさんが、テーブルの上を指さす。
A4の紙に印刷された家事リスト。
掃除場所、洗濯、ゴミ出しのルール。
細かく書かれてるけど、前回と比べて――少しだけ追加されてる項目があった。
(……これって、信頼され始めてるってことやろか)
ちょっとだけ胸が熱くなりながら、俺は「了解です!」と元気に答えて、掃除機を手に取った。
ふと、RENさんがまた視線をあげてこっちを見る。
「……頼んだよ」
その一言が、前よりも少し柔らかかった気がして、俺は思わずにやけそうになるのを必死でこらえた。
掃除機をかけながら、ふと視線を上げる。
ソファに座ったRENさんが、なにげなく雑誌をめくってた。
部屋に流れる、やたら静かな空気。
なんとなく、間がもたなくて、つい口が滑った。
「……あの、RENさんのこと、めめって呼んでいいですか?」
言った瞬間、手が止まる。
掃除機の音が止まったせいで、部屋の中に変な沈黙が落ちた。
(……あ、やば)
RENさんが雑誌から顔を上げる。
じっと、こっちを見てる。
──その瞬間、脳内で、超特急の緊急会議が始まった。
【脳内康二会議・臨時開催】
議長「えー!緊急事態です!康二くんがノリで一線超えた発言をしてしまいました!」
秘書「発言内容、『めめって呼んでいいですか?』……です!」
弁護士「軽率すぎる!社会人失格!即刻訂正を要求!」
親友役「いや、でもさ、めっちゃ空気重かったやん?なんか明るくしたかったんちゃうん?」
冷静役「だからって、“めめ”はあかんやろ。“RENさん”って呼んどきゃよかったんや!」
議長「今の問題は!このあとRENさんがどう反応するかです!」
パニック役「もしかして、クビとか!?俺、今日で終了!?!?」
前向き役「でもさ……もし、笑って許してくれたら、ちょっと距離縮まるかもやん……?」
全員「うわあああああああああああ」
──脳内、大混乱。
現実の俺はというと、掃除機の取っ手を握ったまま、ただ立ち尽くしてた。
目の前のRENさんは、表情を変えずにこっちを見てる。
沈黙、数秒。
この数秒が、えぐいくらい長く感じる。
(た、たすけて……!誰か巻き戻しボタン押して……!!)
心の中で叫びながら、ただRENさんの返事を待った。
数秒の沈黙を破ったのは、意外にも――柔らかな音だった。
「……クスッ」
低く、小さな笑い声。
顔を上げると、RENさんが、目尻をほんの少しだけ緩めて、笑ってた。
(えっ……笑った……!?)
あまりに貴重な光景に、康二は一瞬で固まった。
そのまま、RENさんは雑誌を膝に置いて、ポツリと口を開く。
「いいよ」
ぽん、と軽く投げるみたいな、力の抜けた返事。
それだけなのに、康二の胸に、ぱーっと明るい光が差し込んだ気がした。
「ほんまに!? やったーーー!!」
思わず掃除機を放り出しそうになる勢いで、両手で小さくガッツポーズ。
「めめ、めめ、めめって呼ぶで俺!!あかんって言ってももう遅いで!」
ガチガチだった緊張が一気にほどけた俺は、まるで小型犬のようにテンションが跳ね上がっていた。
ソファの前でぴょこぴょこ動きながら、まるで“名前をもらった喜び”で爆発してる。
そんな様子を眺めながら、めめは口元を小さく上げた。
……が。
「……あっ」
自分の声のボリュームに気づいた。
「ちょっ……す、すみませんっっ!俺、今めっちゃ調子乗ってましたよね!?はぁあ……最悪や……“謎のテンションで台無し”って、あとでオカンに報告しよ……」
ぶつぶつ言いながら頭を抱えてしゃがみ込む康二。
掃除機のノズル持ったまま、小さく体育座りみたいになってる。
「調子に乗ったら、すぐこれや。ああ~……マジでこの脳みそリセットしたい……なんかのスイッチ押して……なかったことに――」
「……うるさくなければ、いいよ」
不意に、静かな声が降ってきた。
顔を上げると、RENさん――いや、めめがまた雑誌を持ちながら、ちらりとこっちを見ていた。
「そのくらいなら、別にいい」
淡々と、でもどこかやさしさのにじむ口調。
(うわ……フォローされた……!)
康二の胸に、またもじわっと温かい何かが広がる。
「……あの、ほんま、ありがとうございます」
「……騒ぎすぎないように」
ポツリとつけ加えるめめの言葉に、康二は「はいっ」と元気よく返事した。
掃除機のスイッチを入れ直して、ふたたび作業に戻る。
ただ――その心の中では、もう一つの小さな会議が開かれていた。
『めめと俺の距離、今、ちょっとだけ縮まった説』
議長「異議なし!!」
全員「満場一致ーーー!!!」
掃除機の音の下で、ひとり密かにニヤつく康二。
その背中を、めめは気づかぬふりをして、また静かにページをめくった。
――――――――
♪「ラララ〜洗剤入れて〜、すすぎは〜2回〜〜」
陽気な鼻歌が、静かな部屋に軽やかに響いていた。
康二はすっかり仕事に慣れた様子で、洗濯物を干し終えたあと、軽やかに掃除機をかけていた。
最近、この家に来るのが少し楽しみになってきた。
口数は少ないけど、何かとちゃんと見てくれてる“めめ”に褒められたり、「またお願い」と頼まれたりするのが、地味にうれしい。
(今日は静かやなぁ……)
そう思ってふと時計を見る。
目黒――いや、“めめ”は朝から「仕事」とだけ言って出かけていた。
いつものキャップに黒マスク、オーラを消すような無地の服装。けれどどこか漂う「ただ者じゃない感」は隠しきれてなかった。
(今ごろ、なんの仕事してんのやろ)
そういえばと、ふと思い出す。
『出かける間、テレビでも見てていいから』
朝、出がけにめめがぽつりとそう言ったのだった。
「……じゃあ、お言葉に甘えて……」
少しだけ手を止めて、俺はソファに腰を下ろした。
テレビのリモコンを手に取り、ピッと電源を入れる。
その瞬間――
。
『──今、音楽シーンの最前線を走るトップアーティスト、RENの最新ライブ映像です!』
鮮やかな照明。きらめくステージ。
中央に立つのは、漆黒の衣装に身を包んだ長身の男。
その顔を見た瞬間、俺の動きが止まった。
(……え)
画面の中で、観客の歓声を浴びながら踊るその人は――めめだった。
いや、“REN”だった。
マイクを握る手、キレのある動き、鋭くカメラを貫く視線。
普段の無表情で無口な彼からは想像もつかない、プロの輝き。
その姿に、俺は息を呑んだ。
さっきまで、この部屋にいた“めめ”と、
今、テレビの中で華やかに輝いている“REN”が、同じ人物だなんて――
信じられなかった。
『無口でミステリアスな雰囲気も魅力の一つですが、実は努力家で共演者からの信頼も厚いんですよね』
『最近はドラマでも主演クラスばっかり。次世代の絶対的エースって言われてます!』
アナウンサーのコメントが続くなか、俺は呆然と画面を見つめ続けた。
(……これが、“アイドル”か)
そういえば、自分はアイドルに興味がないから、と紹介されたのだ。
だからこそ、めめ=RENとは教えられていなかった。
けれど、今初めて知る“めめ”のもうひとつの顔。
それは、まるで知らない誰かのようで――
どこか、少し、眩しかった。
(せやけど……やっぱり、“めめ”は“めめ”やな)
一緒に部屋を片付けて、たまに小さな声で指示を出してくれる“めめ”。
ほとんど感情を表に出さないけど、たまに見せる、ふっとした微笑み。
テレビに映るRENとはまるで違う。
けど、それもこれも、ぜんぶひっくるめて――あの人なんやなって、妙に腑に落ちた。
「さ、仕事戻ろ」
続きはプロフィール欄にあるBOOTHのURLへ。完全版やちょっとだけクスっと笑えるおまけ小説も投稿中☆
続きはnoteで作者名『木結』(雪だるまのアイコン)で検索して下さい。
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