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りす
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2026/9/3(木) 22:42
本編について、大幅に加筆・修正しました。
全く違う展開になっている部分もありますので、ご注意ください。
白色の国の王宮は、紺碧の海を見下ろす白亜の岬に築かれていた。回廊を支える円柱はどれも磨き抜かれた大理石で、潮風が渡るたびに、潮の香りと庭に咲く柑橘の花の匂いがかすかに入り混じる。
今日は、この宮殿にとって特別な一日だった。第一王子・柔太朗が、十歳の誕生日を迎える日。
白色の国では、十歳は「大人の入り口」とされている。子どもとして扱われる最後の年が終わり、この日を境に、宮廷の一員としての役目を負い始める。だから今日の祝宴は、単なる誕生日の祝いではない。国じゅうの貴族、周辺国からの使節、名だたる職人たちまでもが招かれ、広間には焚かれた香の煙と、楽師たちの奏でる旋律が満ちていた。
柔太朗はその中心で、白絹の衣に身を包み、静かに座っていた。表情に乱れはない。だが、先ほど神殿の巫女が広間の中央で読み上げた言葉が、まだ耳の奥に残っている。
「――すべてを奪い、すべてを与える運命の人と、この方は出会うでしょう」
占いなど、信じたことはなかった。生まれる前から決められた相手がいるだなんて、まるで自分の心すら誰かに預けているようで、柔太朗は好きになれない。
(占いで決められた相手なんて、嫌だ)
顔には出さず、胸の内でだけそう呟く。それが今日という日に対する、柔太朗のささやかな抵抗だった。
そんな柔太朗の思考を破ったのは、広間の入り口で起きたどよめきだった。
赤色の国からの使節団が到着したのだ。真紅の外套を纏った一団の中に、ひときわ小柄な人影がある。まだあどけなさの残る少年が一人、周囲の大人たちに交じって歩いていた。
赤色の国の第一王子、舜太。
まだ九つだというのに、物怖じする様子は微塵もない。案内の家臣を置き去りにするように、するすると人混みを縫って歩いてくる。
「あ、君が柔太朗?」
気づけば、すぐ目の前に立っていた。挨拶の作法も、儀礼の順序も、まるで頭にない。ただまっすぐに、興味津々といった様子で柔太朗を見上げている。
「――そうだけど」
そう答えた瞬間、柔太朗の背筋を、名状しがたい何かが駆け抜けた。
耳の奥で、先ほどの巫女の声が、ふいに甦る。
――すべてを奪い、すべてを与える運命の人と、この方は出会うでしょう。
まさか。
柔太朗はその考えを、すぐさま自分の中で打ち消した。占いなど信じていない。今の胸騒ぎも、見慣れない客に驚いただけのことだ。そう言い聞かせながらも、視線だけは、なぜかしばらく舜太から離せずにいた。
「めっちゃきれいな格好やな! 今日、誕生日なんやろ? おめでとう!」
弾けるような笑顔だった。太陽そのもののような明るさに、柔太朗は思わず言葉に詰まる。
その背後から、慌てた様子の少年が追いついてきた。舜太よりいくつか年上らしく、赤い衣の裾を乱しながら駆けてくる。
「舜太様! 勝手に前に出たらあかんて、何度言うたら――」
「太智、ええやん、別に。柔太朗、こいつ太智。俺の家来兼、口うるさいお目付け役」
「口うるさいは余計や」
太智と呼ばれた少年は、苦笑しながらも小さく頭を下げた。舜太よりも落ち着いた物腰だが、その目の奥には隠しきれない親しみがある。二人の間にある空気は、まるで本当の兄弟のようだった。
柔太朗は、その光景を少し眩しく思った。
祝宴はその日の夕刻まで続いた。舜太は最後まで柔太朗のそばを離れず、行儀作法を叱る太智の声を笑って受け流しながら、あちこちに目を輝かせていた。
赤色の国の使節団は、正式な取り決めにより、五日間ほど白色の国に滞在することになっていた。
――その五日間が、柔太朗の日常を、少しずつ変えていくことになる。
翌日の昼下がり。柔太朗が誰にも告げず、いつものように離宮の奥にある工房に籠っていたところへ、ひょっこりと顔を出したのは舜太だった。
「こんなとこにおったんか! 太智と一緒に捜しとってん」
工房には、彫りかけの装飾品や、細工用の道具が所狭しと並んでいる。国の宝物庫に納める意匠の下絵を、こっそり自分の手で試しているのだ。王族が職人のような真似をするなど、はしたないと眉をひそめる大人も少なくない。だから柔太朗は、ここに人を入れたことがほとんどなかった。
「見るなら、静かにしてて」
そう言いながらも、追い出す気にはなれなかった。舜太は言われた通り、目を輝かせたまま、柔太朗の手元をじっと覗き込んでいる。
「すごいな……。こんな細かいの、どうやって彫るん?」
問いかけの一つひとつに、素直な驚きが滲んでいた。世辞でも、儀礼でもない。ただ純粋に、面白がっている。柔太朗はそれが、少しくすぐったかった。
そこへ、たまたま通りかかった年配の廷臣が、工房を覗いて眉をひそめた。
「柔太朗様。第一王子ともあろうお方が、このような職人の真似事を……。舜太殿下の御前で、みっとものうございますよ」
いつもなら、柔太朗は何も言わずに手を止めていた。けれど今日は、その前に舜太が口を挟んだ。
「めっちゃかっこええやん、これ。おっちゃんこそ、こんな細かいん作れるん? 作れへんやろ」
悪気のない、まっすぐな物言いだった。廷臣は言葉に詰まり、そそくさと去っていく。舜太はそれを気にする様子もなく、また柔太朗の手元に視線を戻した。
「柔太朗、続き見せてや」
柔太朗は、誰かに庇われたのが初めてで、何と答えていいか分からなかった。ただ、胸の奥が少しだけ、温かくなるのを感じていた。
それから毎日、舜太は工房へ通ってきた。港の市場まで連れ出され、見たこともない色硝子の玉を見つけては「これ使えへんの?」と目を輝かせる舜太に、柔太朗はいつしか、素の表情を見せるようになっていた。太智は少し離れた場所から、そんな二人を見守っている。時折「舜太様、そろそろお戻りを」と声をかけながらも、無理に割って入ることはしなかった。
そしてその間、柔太朗は夜ごと、一人で工房に戻っていた。舜太が寝静まったあと――もちろん本人は知らない――小さな細工を、こっそり進めていたのだ。
使節団の滞在も、残すところあと一日となった夜のことだった。
柔太朗はこっそりと広間を抜け出し、岬の先端にある小さな露台へ向かった。ここは柔太朗だけが知っている、静かな場所だった。海に沈んでいく夕陽と、代わりに昇り始める月を、いつもここから眺めている。
案の定、その背中を追いかけてきた足音があった。
「一人でどこ行くん?」
「……たまに、一人になりたい時があるんだよ」
「あ、ごめん。邪魔なら――」
「いいよ。もう見つかったし」
柔太朗は苦笑して、露台の縁に腰を下ろした。舜太も隣に座る。少し離れた回廊の陰から、太智がこちらを見ているのに気づいたが、何も言わず、静かに見守っているだけだった。
明日の朝には、この船団は港を出ていく。もう二度と会えないかもしれない。そう思うと、柔太朗は落ち着かない気持ちになった。
占いなど信じていない。運命が二人を結びつけるというのなら、放っておいてもいつかまた会えるはずだ。けれど柔太朗は、そんな「運命任せ」が我慢ならなかった。もしこの先も繋がっていたいと願うなら、それは占いの力ではなく、自分自身の手で確かめたい。
そのために、形にできるものが欲しかった。
水平線の向こうに沈んでいく太陽と、東の空に昇り始めた月。柔太朗はその両方を見つめながら、懐からそっと、小さな包みを取り出した。
「これ、渡したかったんだ」
開いた布の中には、二つの小さな細工物があった。ひとつは太陽を模した金の意匠。もうひとつは、銀細工の月。
「柔太朗が作ったん? すごいな、こんな細かいの……! いつの間に」
「暇な時に、少しずつ」
柔太朗は二つを掌に乗せたまま、しばらく黙っていた。渡す方は、もう決めていた。それでも、いざとなると言葉が追いつかない。
白色の国の民は、月を国の守り神として仰いでいる。夜ごと形を変えながらも、決して消えることのない月を。一方、赤色の国の民が敬うのは太陽だと、舜太自身が誇らしげに話してくれたのを覚えていた。
――ならば。
柔太朗は銀の月を摘まみ上げると、舜太の手にそっと乗せた。
「これは、舜太が持ってて」
「え、ええの? じゃあ、太陽のほうは?」
「これは、僕が持っておく」
舜太は不思議そうに首を傾げた。
「なんで逆にせえへんの? 柔太朗は月の国の王子で、俺は太陽の国の王子やのに」
柔太朗は、少しだけ迷ってから答えた。
「だから、逆なんだよ」
「?」
「舜太の国に太陽があるなら、僕がそれを持っていたい。舜太がどこにいても、僕の手の中に、舜太のかけらがあるように。……その代わり、僕の国の月は、舜太が持っていて。僕がどこにいても、舜太のそばに、僕のかけらがあるように」
言い終えてから、柔太朗は自分の言葉の気恥ずかしさに、耳の先まで熱くなるのを感じた。こんな風に自分の気持ちを誰かに明かしたのは、初めてだった。舜太は目を丸くしたまま、しばらく黙っている。
「さっき、巫女が言ってたこと。すべてを奪って、すべてを与える相手がいるって」
「ああ、あれな」
「僕は、占いなんて信じてない。運命だからって、勝手に決められるのは嫌だから」
「そうやな。占いとかようわからんし」
「――だから、これは運命じゃなくて、約束にしたい」
柔太朗は舜太の方を向いた。夕陽の名残と月の光が入り混じって、その横顔をやわらかく照らしている。
「本当に運命なら、大人になったとき、それを返しに来て。占いのせいじゃなくて、自分の意志で戻ってきたって、証明してみせて」
舜太は一瞬、目を丸くした。それから、いつもの弾けるような笑みを浮かべる。
「ええで。約束な」
差し出された小指に、柔太朗はそっと自分の指を絡めた。子どもらしい、ただそれだけの仕草。けれどそこには、二人にしか分からない、確かな重みがあった。
遠くで、太智が「そろそろお時間です」と声をかける。舜太は名残惜しそうに立ち上がりながらも、月の意匠を握りしめた手を、決して緩めなかった。
「柔太朗、また会おうな! 絶対やで!」
手を振りながら遠ざかっていく背中を、柔太朗は露台に一人残り、見送った。
翌朝、赤色の国の使節団を乗せた船団が、静かに港を出ていった。柔太朗は塔の上からそれを見送りながら、掌の金の意匠を握りしめた。
まだ、ほのかに温かい。
運命なんて、信じない。
それでも柔太朗は、その日初めて、自分から誰かとの約束を、心の底から守りたいと思った。