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「……誕生日なのに、来たの?」
「うん、誕生日なのに来たの」
狭いワンルーム。人をダメにするクッションにポツンと座る彼が、俺に微笑む。その意味するところは、なんとなく察している。なぜ?なんて野暮な問いかけは、喉の奥でつかえて出てこなかった。
彼はゆらりと立ち上がり、俺が腰掛けていたベッドの隣に座り込む。端正な顔が近づき、俺は抗うこともなく、そのキスを受け入れた。
唇が重なるたび、熱が伝わり、俺の頭の中は思考停止と焦燥でごちゃごちゃになっていく。
……これ、キスしたら絶対そのままコースだよな
ふと、冷めた理性が顔を出す。シャワーはまだだし、今日は一日歩き回って汗をかいた。何より俺はもう30だ。加齢とか、年齢なりの匂いとか、気にならないわけがない。
「……ん、ちょっと待って。トイレ」
「え……早く帰ってきてね」
「だから、俺はお前の上司だ。なんでタメ口なんだよ」
冗談めかして笑うと、彼は天使のような笑顔で「ごめんなさぁ~い」とあざとく見上げてきた。……本当に、どう育てたら男の子がこんなに可愛く育つんだよ。一度お母さんの顔を見てみたいわ。
「……どうすんだよ、これ」
トイレに逃げ込み、便座に腰を下ろしてようやく現実に引き戻される。
先の情事だの匂いだの以前に、もっと考えることがあるだろう。相手は部下。自分はバツイチ、子持ち。おまけに養育費諸々のせいで生活は火の車だ。対して、あいつは社内中のファンに狙われるようなモテ男。
「……なんで、俺なの?」
思わず口に出た本音の独り言に、返事が返ってきた。
「……エロいからです」
隙間越しに聞こえた声に、慌ててドアを閉める。……いや、閉めたところで手遅れだろ。何やってんだ俺は。
「芳本課長、これって俺、逃げられてます? それとも本当にうん○ですか?」
「バカ、うん○の匂いなんかするわけないだろ」
「はい、薔薇の芳香剤の匂いがします」
「……本当にうん○だったらどうするつもりだったんだよ」
あほらしくなって、ニヤつきながらドアを開けると、そこには座り込んで待っていたりゅうせいの姿があった。
「……誕生日にうん○の話をするとは思いませんでした」
「お前が言い出したんだろ?」
クスクスと笑いながら彼の頭を撫でると、「手、洗いました?!」と声を裏返しながら慌てて髪を整え始めた。
大丈夫だ、りゅうせい。トイレで悩み事をしてただけだから、何一つついていない。それに潔癖の俺にとって、トイレも部屋の一つだ。完璧に清掃してある。
♢♢♢
「……で、その後どうしたんすか?」
「コンビニにケーキ買いに行って、2人で食べて、そのまま駅まで送った」
「えっ?! マジで?! それだけ?!」
「だからさ、なんでお前らは上司に対してタメ口なんだよ。本当にお前といい、りゅうせいといい……」
目の前で驚いているのは、韓流アイドル顔負けの鋭い目元をしたイケメン、いつきだ。2ヶ月前に異動してきたばかりなのに、名前が同じという理由だけでやけに懐いてくる、へんてこな部下である。
「てへっ、すみませぇ~ん」
「まぁ……実は助かってるんだけどな。俺、そんなに友達も多くないし、こんな恥ずかしい話できるの、お前くらいしかいないし」
「芳本課長、ちがいます! 2人でいるときは『いっちゃん』って呼ぶって約束したじゃないすか! 本当にすぐ忘れるんだから」
「いや、距離の詰め方が早すぎない?!そんな約束、初耳なんだけど」
「え……本当に?!」
きゅるきゅるした瞳でそんな顔をされたら、可愛すぎて敵わない。プリ○ュアも真っ青のあざとさだ。
「……それは置いといて。正直どう思う? りゅうせいのやつ、本気かな?」
「えー、でも理由が『エロいから』って言われてるんすよね?正直、一回ヤりたかっただけっていう説も……」
「だよなぁ……。でも、誕生日にわざわざ来るってのが引っかかってて。それに職場も一緒だし、上司だぜ? 普通手ぇ出さないだろ」
「ええ、出しますね。いつきくんなら俺でも」
「……は?」
「あ、すみません。一旦壁作って、いつき『さん』の方が良かったっすか?」
「呼び方で引っ掛かかってんじゃねえよ。いや、そこもおかしいんだけど」
あまりの真顔に、思わず吹き出してしまった。本当になんなんだ、この同期コンビは。二人して俺を翻弄しやがって。
「もう何でもいいよ。……それより、お前ら仲良くないの?同期だろ」
「前は良かったんすよ。でも最近、りゅうせいが冷たくて」
「ライバル視でもされてるんじゃない?」
「あ~、それはあるかもっすね」
「まあ、二人とも仕事ができるからな」
「え、今褒められました?! めっちゃ嬉しい! りゅうせいに自慢しよ。……でも、俺が課長の話をするときだけ、りゅうせい、めちゃくちゃ冷たい目するんすよねぇ」
……待て。それ、本気確定じゃないか。
ただのワンチャン狙いの相手に対して、そんな剥き出しのライバル心なんて見せるはずがない。
「……なぁ、いっちゃん。お前、鈍感にも程があるぞ」
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