聖女の賜物たるグラタードの魔法の矛が縮み始め、ユカリとベルニージュは指も爪もかけることのできない石突の床にすがりつく。伸びていた時と同じ時間をかけて地上へと戻る。地上に降りたつ前にユカリとベルニージュは聖火の伽藍の方へと飛び移る。
勇ましくも敗れ去ったグラタードの体は、丁重にと言い聞かせたグリュエーに任せて地上に運んでもらった。焚書官たちも瘴気による昏倒から解放する。
一番偉い人は一番高い所にいるはずだ、というユカリの素朴な予想は的中した。
強い魔法を帯びた二人の少女は蓋の開いた窓から巨大な広間へ飛び込む。
立ち並ぶ石碑は新しくも異様で、居並ぶ聖人像は古くも見慣れたものだ。明々と燃える松明は太陽のように輝かしく、広間を昼間のように照らしている。両脇に下への螺旋階段。聖火台を除けばここが最上階のようだ。
「ユカリさま! ベルニージュさま!」と母の姿を見出して安心した迷子のように叫んだのは部屋の中央に力なく座っている魔法少女だった。
つまりそれはレモニカだ。そのそばには一人の魔術師らしき男が立っていて、広間の奥の帳の向こうには巨大な影がある。
「おや、ラミスカさんじゃないですか。お久しぶりですね。はるばるミーチオンからこんな所まで何の御用ですか?」と男は言った。
ユカリはその顔に見覚えがなかったが、その声には聞き覚えがあった。
「チェスタ? その顔どうしたの? 元に戻す方法、分かったの?」
失われていたチェスタの頭の上半分がある。それはルキーナこと実母エイカの体を消滅させた現象、謎の闇によって失われたものだ、とユカリたちは推測していた。チェスタが元に戻す方法を知っているならば、実は生きていた母と産まれる前に消え去った胎内の弟か妹を救い、再会するためのよすがになるはずだ。
しかしユカリは奇妙な感覚を覚える。確かに存在するはずのチェスタの顔を上手く認識できない。目の前で見ていながら、その特徴を言い表せないような不思議な感覚だ。
「ああ、これはただの幻ですよ。そういう魔術です。鉄仮面がないので何かと不自由でして」と言ってチェスタは頭の中に手を突っ込む。まるで夏の陽炎か沙漠の蜃気楼のように朧な幻像であり、実体あるチェスタの手は貫通してしまった。「まあ、貴女と違って色々な顔を作れますけどね、ユカリさん」
このチェスタを騙すことがラミスカとユカリを二人に分けた始まりだった。そして今はもう必要がない。はったりは無しだ。
黒髪で、背が高く、空想に馳せ、野原を駆けた、狩人の家に育った娘ユカリは挑発的に、これ見よがしに、不敵な【笑みを浮かべる】。その体は縮み、可憐ながらも大袈裟な桃色と紫の衣を纏う。救済機構に生家を焼かれた狩人の娘は、魔法少女となって救済機構の聖火の元へと現れたのだった。
チェスタはただ鼻で笑って応える。
「そうそう、私の元部下たちも肉体を失う被害に遭ったそうですね。残念です。あの闇について何か分かったなら教えていただけませんか?」
ユカリは首を横に振る。「何か知っていたなら教えてあげたかったところだけど、私たちも何も分かってない。ただ目の前で焚書官たちが消えていくのを見ていることしかできなかった」
「そうですか。つくづく残念です。まあ、あちらはサイス君が上手くやっているようなので、私は気長にいきますよ、これまで通りこれからも」と言ってチェスタは朗らかに笑う。
「チェスタの知っていることは教えてもらえないの?」とユカリは念のために尋ねる。
「残念ながらあの暗闇については私も何も分かっていません。それにしても、なぜ知りたがるんです? 貴女の知人も誰か被害にあったのですか? それとも貴女自身が? あるいはまさか私の元部下を救うために?」
分かっていて言ってそうだが、チェスタという男は分かっていなくてもそのように話す。
「まあ、知っておいて損はないでしょ? 私たちだって危うく消え去るところだったんだから」とユカリは無難に答えた。
「こらあ! 最たる教敵と何を呑気に喋ってるの!」と帳の向こうの女が言った。「仕事しろ、仕事! 冬はやってくるが薪はやってこないぞ!」
「猊下の御心のままに」と呟いたチェスタが素早く詠唱すると、絨毯から湧き出すように火炎が燃え上がり、打ち寄せるさざ波が奔流となってユカリとベルニージュに押し寄せる。
しかしすんでのところでベルニージュの炎が逆に丸呑みにしようとチェスタの魔術に打ち寄せ、ついには相食みあって消滅した。古くから人の営みのそばにあった普遍の炎であれば、火勢が合わさってより大きな炎になってしまうところだが、ベルニージュとチェスタという来歴の違う二つの魔法の炎は互いを侵食し、打ち消し合ったのだ。
広間の中央の魔法少女は光と熱に怯え、悲鳴をあげて由緒も知らない聖人像のそばへと逃げる。
「へえ、丁度互角か」と帳から聞こえてくる。「魔導書何冊分? なかなかどうして悪くない」
「お褒めにあずかりまして大変光栄にございます」とチェスタは頬を緩めて言う。
「何を言ってんだ。君を褒めたんじゃないよ。さあさあ、そんなことより互角の相手にどう戦う?」と姿を隠す聖女が煽る。
ユカリが杖の先の紫水晶をチェスタに向ける。「ベル。力を貸すよ」
「何の心境の変化?」とベルは言う。
「相手が違う。我が家を焼かれた恨みを晴らしていないからね」とユカリは冗談めかして言う。
とはいえ、義父が生きていたと知っても、実行したのがサイスだったとしても、思い出の詰まった家を焼くように命じたチェスタへのわだかまりは燠火のように燻っている。
「少し待って」と言い、ベルニージュは呪文に新たな押韻を付け加え、力を秘めた意味は複雑化される。「頼んだ!」
「グリュエーも! 全力でいくよ!」とユカリが叫ぶと、窓から止め処なく強風が吹き荒び、魔法少女の杖からも有りっ丈の空気が押し寄せる。
ベルニージュの呪文によって、その指先に喚び起こされたのは世界の敵対者たる古の偉大な炎。貫くような光と押し潰すような熱は二つの風を巻き込んで暴風となり、チェスタを魔法もろとも呑み込んで広間の反対側まで吹き飛ばした。聖女を隠していた帳は炎を浴びて、瞬く間に灰となり、救済機構の頂に立つ第七聖女の姿を露わにした。
多くの僧侶の夜闇の如き衣と違って、濃霧から織り上げたような汚れなき純白の衣を纏っている。黄昏の如き金糸の刺繍で施された繊細かつ格調高い文様が、蛇やつる草に似て絡みつくように覆うように全身に配されている。二人とグリュエーと三冊もの魔導書が巻き起こした暴虐的な炎は、しかし聖女の衣を焦がすことさえできなかったのだ。
朝陽を浴びた新雪のように艶めく白磁の肌、雨夜の稲妻の如く輝く黄金の髪、ユカリに年頃の近い美しい少女ではあるが、それだけならばユカリやベルニージュ、そしてレモニカの目を強く引きつけることはなかっただろう。
今まで隠されていたその姿かたちはレモニカによく似ているのだった。魔法少女ユカリやシャリューレが傍にいる時に顕現する真実の姿にそっくりだ。しかしレモニカの呪いが生み出すような、区別のつかない全く同じ姿ではない。それはあくまでも似姿だ。言葉には言い表しにくい目鼻の形や表情、全体の雰囲気が似通っていた。それゆえに否応なく血の繋がりを想起させる。
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