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第33話:地獄のコラボ配信(前半戦)〜借りてきた猫と、十万の監視の目〜
「……胃が、痛ぇ。マジで穴開く5秒前だ……」
限界みそラーメンの空き箱で構築されたダンボールタワーに囲まれた帯広の四畳半で、俺は特売の粉末胃薬を水で一気に流し込んでいた。
時刻は午後七時五十五分。
あと五分。たった五分で、俺の人生(主に社会的な命と来年の確定申告)を懸けた大一番、VTuber界の頂点・星乃宮アリス様との公式コラボ配信がスタートしてしまう。
俺の目の前には、先日三十万円(もちろん経費)をはたいて購入した七色に光る無駄にハイスペックなゲーミングPCと、新調したデュアルモニター。
その右側の画面には、現在待機中の星乃宮アリスの配信枠(YouTube)が表示されているのだが……そこに刻まれた数字を見て、俺の動悸は限界を突破しようとしていた。
『待機:45,200人』
「……よんまん、ごせん。配信始まってもねえのに、俺のチャンネルの最大同接より多いじゃねえか。バカかよ。鳥取県の人口の何割だこれ」
震える手でマウスを握りしめ、カタカタと鳴る歯の根を必死に噛み締める。
相手は登録者百万人超え、企業勢トップの巨大事務所『スタプロ』を牽引する絶対的エース。
そのファン層は『アリス騎士団』と呼ばれ、姫にすり寄る有象無象の男VTuberを、これまで何十人も炎上という名の業火で焼き払い、インターネットの海に沈めてきた最強最悪の武闘派集団である。
もし今日、俺が少しでも失言をすれば。
もし少しでも「姫に馴れ馴れしい態度」をとったり、キモい振る舞いを見せたりすれば。
俺のチャンネルは一瞬で低評価と通報の嵐に包まれ、収益化は即座に剥奪。来年の莫大な税金と国民健康保険料の支払いが不可能になり、俺は確定で帯広のドカ雪の中でダンボールハウス行き(物理的凍死)となる。
「いいか俺。絶対にでしゃばるな。ただひたすら壁と同化し、相槌だけを打つマシーンになれ。俺の役割は、アリス様の美しさを際立たせるための引き立て役……ただの『薄汚い背景(テクスチャ)』だ」
そう自分に強く言い聞かせた瞬間、時計の針が午後八時ちょうどを指した。
『こんばんアリス〜!✨ みんなの心に舞い降りた天使、星乃宮アリスだよっ! 今日もみんないっぱい集まってくれてありがとう〜!』
スピーカーから、鼓膜を瞬時に浄化するような、あの「完璧な営業用ソプラノボイス」が響き渡った。
数日前の深夜通話で聞いた、アイコスをふかしながら「マジで息詰まるわ、あのクソメガネ」とマネージャーに毒づいていた限界社会人の声とは、一ミリも結びつかない。プロって恐ろしい。
『うおおおおおおお!』
『アリスちゃん可愛いよおおお!!』
『今日も天使! 待ってた!』
『スパチャ:50,000円(姫、今日も世界一可愛いよ!)』
『スパチャ:10,000円(声聞けただけで今日の残業の疲れ飛んだ!)』
配信が開始された瞬間、コメント欄が滝のような速度で流れ始め、同接数は瞬く間に『10万人』を突破した。
一回の配信で十万人が見ている。東京ドーム二個分の人間が、今、この画面の向こう側から俺の挙手の一投足に注目しているのだ。
『さてさて! 今日はね、前からずーっとお話ししてみたかった、とっても素敵なゲストさんをお呼びしてます! ルシフェルさ〜ん!』
「ヒッ……!!」
アリスの天使のような呼び込みに、俺の心臓が喉から飛び出しそうになった。
俺は裏返りそうになる声を必死に押し殺し、三十万のPCに繋がれたマイクに顔を近づけた。
「あ、は、初めましてっ! ル、ルシフェル……で、ございますっ……!」
『…………』
『…………』
『……誰?』
『は? おっさんの声?』
『え、なんで男? しかも声震えてない?』
『誰この底辺。なんでうちのアリスちゃんに近づいたの?』
『マネージャー何やってんの? なんでこんな得体の知れない男とサシコラボさせてんの』
『騎士団、抜刀の準備を』
アリスの枠のコメント欄が、一瞬の静寂の後、明らかに「殺意」と「敵意」を孕んだものへと変わった。
ヒエッ……! 怖い! 画面越しなのに、十万本の槍の穂先を向けられているような殺気がビンビンに伝わってくる!
俺の背筋に、滝のような冷や汗が流れ落ちる。
「あ、あのっ、本日はこのような素晴らしい神聖な場に、私のような、しがない四十歳の個人事業主(元無職)をお招きいただき、誠に光栄の極みでございます! 本日は星乃宮様のお邪魔にならぬよう、部屋の隅に置かれた観葉植物……いえ、ただの石ころになったつもりで尽力いたします!」
俺は、かつてブラック企業のクレーム対応で培った「絶対服従の土下座ボイス」をフルスロットルで展開した。画面の向こうで物理的に土下座の姿勢をとる。
すると、アリスのファンたちよりも早く、俺の配信をいつも見ている「常連リスナー」たちが、チャット欄に大量に湧き出してきた。
『借りてきた猫wwww』
『おっさんガチガチで草』
『いつもの「底辺舐めんな」のイキリはどうしたwww』
『声震えすぎだろww』
『三十万のゲーミングPCと七色に光るキーボード使って、やることがトップアイドルへの土下座と接待ww』
『納税と炎上のプレッシャーに完全に負けた男』
『チワワフェル』
『鈴木さん(ケースワーカー)見てますか! あなたの担当していた男は今、十万人の前でプライドを捨てて命乞いをしてますよ!』
「うるせええええええ!!(心の中で)」
俺のチャンネルのリスナーどもめ! 状況を考えろ!
ここで俺がいつものように「底辺舐めんな!」とイキり散らしたら、十万人のアリス騎士団の逆鱗に触れて、俺のチャンネルごとキャンプファイヤーにされるんだぞ!
来年の税金、いや、来月の家賃すら払えなくなる恐怖が、俺のちっぽけなプライドを完璧に粉砕していた。
『あははっ! ルシフェルさん、そんなに緊張しないでくださいよ〜! 普段の配信みたいに、リラックスしてお話ししましょう?』
アリスが、実に楽しそうに甘い声でフォローを入れてくる。
(……この女、俺がガチビビリしてるの分かってて、裏で絶対面白がってやがる……!)
やめろ! お前が俺に優しくすればするほど、コメント欄の騎士団のヘイトゲージが溜まっていくんだよ!
『アリスちゃんが気を使ってる……』
『このおっさん、姫を困らせるな。さっさと帰れよ』
『で、このルシフェルって奴、結局何者なの?』
『ああ、前にアリスちゃんが名前出してた、税金とケースワーカーにキレてた底辺か』
「そ、その通りでございます! 私はただ、日本の厳しい社会システムと税制に怯えながら、細々と150円の限界みそラーメンのレビューをしているだけの、無害な小動物です! どうか皆様の清らかな視界の隅に、ホコリか何かだと思っていただければ……!」
俺のあまりの卑屈さと小物っぷりに、殺気立っていたアリス騎士団たちも、次第に毒気を抜かれていくのを感じた。
『なんか……可哀想になってきたな』
『ここまで完全に怯えきってる男V、初めて見たわ』
『おっさん、声泣きそうじゃんww 苛めるのが可哀想になってきた』
『うちの姫が完全に猛獣(チワワ)使いになってる』
よし、いいぞ。
このまま「無害で哀れなおじさん」というポジションを確立すれば、炎上は回避できる。あとはアリス様の雑談に、当たり障りのない相槌を打って一時間をやり過ごせば、俺の完全勝利(社会的な生存)だ。
そう安堵しかけた、その時だった。
『もう、ルシフェルさんったら謙遜しすぎです!』
アリスが、少しだけ声を潜め、意味深なトーンで切り出してきたのだ。
『実は私、ルシフェルさんのこと、すっごく尊敬してるんです。だって、あんなにリアルで、泥臭くて、魂からの叫びをリスナーさんにぶつけられる人、今のVTuber界隈にいませんから』
「え……?」
『だから今日は、アリスのリスナーさんたちにも、ルシフェルさんの「本当の面白さ」を知ってほしいんです!』
おい。
待て、アリス。お前、まさか……俺の「あのネタ」を十万人の前で引き出す気か?
『ルシフェルさん。最近、一番「怖いもの」って、なんですか? 普通のVTuberなら「炎上」とか「アンチ」って答えるところですけど……ルシフェルさんは、違いますよね?』
アリスの天使のような声に隠された、深夜通話で見せた「限界社会人のドSなイタズラ心」を、俺は確かに感じ取った。
『ルシフェルの常連リスナー:キターーーーー!!』
『言え! おっさん!!』
『魂の叫びを聞かせてやれ!』
『十万人の前でアレを言え!!』
俺のリスナーたちが、狂ったようにチャット欄で煽り立てる。
十万人のアリス騎士団が、「なんだなんだ?」と画面に注目しているのが痛いほど伝わってくる。
「……っ」
俺は、震える手でマウスを握りしめた。
炎上は怖い。アリス騎士団は恐ろしい。
だが、四十年間底辺で生き抜き、やっとの思いで手に入れた「個人事業主」としての矜持(という名の恐怖)が、俺の口を勝手に動かしていた。
「……しょう」
『え?』
「俺が……今、一番怖いのは……!!」
俺は、三十万円の経費PCのマイクに向かって、魂の底から絶叫した。
「消費税(一千万円の壁)だァァァァァァァァッ!!!」
十万人のリスナーが唖然とする中、俺の口から堰を切ったように言葉が溢れ出す。
「お前ら分かってんのか!? 登録者が増えてスパチャが飛んで、年間の課税売上高が一千万円を超えたら、免税事業者から課税事業者に強制クラスチェンジさせられるんだぞ!? 炎上なんか数ヶ月で鎮火するが、税務署は俺が死ぬまで取り立てに来るんだよォォォ!!」
十万人の監視の目が注がれる中。
四十歳の底辺おじさんによる、資本主義と税制に対する『魂の叫び(税金への恐怖)』の幕が、ついに切って落とされたのだった。
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ゆうき あきや
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コメント
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第33話、読み終わったわ……!いやもう、帯広の四畳半で胃薬流し込むオッシ―から始まって、採用面接かよってくらいの土下座ボイスにニヤニヤが止まらなかったんだけどw 「消費税(一千万円の壁)だァァァ!!」で全部持ってかれたわ。十万人の前で魂の叫びをぶちまけるルシフェルさん、カッコよすぎるし笑い死にしそうになった。アリス姫の限界社会人裏の顔も好きだし、この顔合わせコラボ、もっと見たい……!