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ひまなつは、まだぐったりと眠るいるまを抱えたまま、自室のベッドに腰を下ろした。
腕の中の体は熱っぽく汗ばんでいて、力なく預けられている重みが切なく感じる。
目元には乾いた涙の跡が残り、薄暗い照明の下でもはっきりわかるほどにクマが浮かんでいた。
「……無理してんだろ」
誰に聞かせるでもなく、小さな声で呟いた。
ひまなつは背中に手を添え、一定のリズムでとん、とん、と優しく叩く。
そのリズムに合わせるように、自然と口から子守唄がこぼれた。小さい頃、母が歌ってくれた覚えのある旋律。
ひまなつ自身、歌なんて柄じゃないと思いながらも、不思議といるまを前にすると自然に口ずさめてしまう。
腕の中のいるまは眉間の皺をほどき、暴れることもなく、深い呼吸へと落ち着いていった。
悪夢に苛まれる気配はなく、ただ安心しきったようにひまなつの胸元に顔を埋めて眠っている。
「よしよし……もう大丈夫だからな」
囁く声に応えるように、いるまの唇がかすかに動いた。寝言か、それともただの無意識の反応かは分からない。
けれどその姿を見て、ひまなつの胸はじんわりと温かさで満たされていった。
「俺が守るから、安心して寝てろ」
その一言を落としながら、ひまなつはいるまの髪を撫で、しばらくその温もりを腕に抱え続けた。
やがて、いるまがわずかに身じろぎした。
瞼を震わせ、薄っすらと目を開ける。
「……あれ?」
掠れた声で呟いたいるまは、自分がひまなつの胸に抱かれていることに気づき、目を丸くした。
「おはよ、いるま」
ひまなつは穏やかに笑って声をかける。
「お、俺……なんで……」
混乱したように言葉を探すいるまに、ひまなつは肩を軽く抱き直しながら答えた。
「魘されてみたいだな。すげー苦しそうだったから、こうしてたら落ち着いて寝れたんだよ」
「……俺、また……?」
いるまは自分の記憶が曖昧なことに気づき、悔しそうに唇を噛んだ。
「気にすんな。お前は悪くねえ」
そう言ってひまなつは、少し照れくさそうに笑いながらもいるまの額に軽くキスを落とした。
「……っ!」
思わぬ仕草にいるまは顔を真っ赤にし、慌ててひまなつの胸から離れようとする。
だが、ひまなつは逃がす気はないとばかりに、ぐっと腕を回してそのまま抱きとめた。
「もうちょっとだけ、こうさせろ」
ひまなつの低い声が耳元に落ちる。
いるまは抵抗しきれず、小さく「……わかったよ」と呟いて、再びひまなつの胸に顔を隠した。
ひまなつの胸に顔を隠したまま、いるまはしばらく黙っていた。
けれど、呼吸の合間に小さな声でぽつりと零す。
「……俺……みことのこと、殴っちまった」
ひまなつは撫でていた手を止め、少し目を細めた。
「……あの時か。魘されて、わけわかんなくなってたんだろ?」
「でも……俺、守られてたのに……手ぇ出しちまったんだ」
いるまの声は震えていた。普段なら絶対に弱音を吐かない彼が、今は子どものように小さくなっている。
「……怖かった。殴った時の感触、まだ残ってて……俺、最低だ」
ひまなつはその言葉を遮るように、いるまの頬を両手で包んだ。
「お前は最低なんかじゃねえ」
真っ直ぐな声でそう告げると、ひまなつはいるまの瞳を覗き込む。
「魘されて苦しんでただけだろ。みことだって分かってるよ」
「でも……っ」
「でもじゃねぇ。……それに、俺が隣にいたら、みことじゃなくて俺が受け止められたんだ。だから、次からは俺に任せろ」
そう言って、ひまなつはいるまの頬に唇を触れさせた。
一瞬、いるまの瞳が大きく揺れ、言葉を失う。
「お前はずっと頑張ってきた。でも今は、俺に甘えていいんだよ」
囁くように言って、ひまなつは再び強く抱きしめた。
いるまは堪えきれなくなったように腕をひまなつの背に回し、顔を押し付けた。
「……俺……お前の隣なら……」
かすかな声が胸元で震える。
「……あぁ。隣にいろ。俺が守る」
ひまなつはいるまの髪に唇を落としながら、何度も優しく背を撫で続けた。
その温もりに包まれながら、いるまの強張っていた心は少しずつ解けていった。
ひまなつの腕の中で落ち着きを取り戻した頃、扉が静かに開いた。
そこには、すちに連れられたみことが立っていた。
「……起きてる?」
みことの声は小さく、それでも確かに届いた。
ひまなつは目を合わせて「大丈夫だ」と頷く。いるまは気まずそうに目を逸らした。
みことはその隣にそっと腰を下ろし、いるまを見つめた。
しばらく黙っていたが、やがて小さな笑みを浮かべて口を開く。
「いるまくんの力、俺には……ひ弱で、痛みなんて感じなかった」
その言葉に、いるまの目が大きく見開かれる。
「……でも、あの時、確かに殴った……」
「うん。でも、全然痛くなかったよ。それより……」
みことは視線を伏せ、ほんの少しだけ肩を震わせる。
「いるまくんが苦しそうだったから、そっちの方が痛かった」
ひまなつが横で静かに息を吐く。
いるまは強く唇を噛み、拳を握った。
けれど、その拳をみことが両手で包み込んだ。
「俺ね、殴られたことより……いるまくんが泣いてたことの方が、胸が痛かった」
「……みこと……」
涙が堪えきれず、いるまの目から零れ落ちる。
みことはいるまの拳を包んだまま、じっと目を覗き込んだ。
「……なつ兄ちゃんの傍、怖くないんでしょ?」
唐突な問いかけに、いるまは目を逸らした。
一瞬だけ返事に詰まったが、結局は誤魔化せないように小さく頷く。
「……ん…そうだな」
困ったように眉を寄せて、それでも声はかすかに震えていた。
ひまなつは驚いたように瞬き、次いで柔らかい笑みを浮かべた。
「……そっか。じゃあ、俺はこれからも、いるまが怖くならないようにしてやるよ」
冗談めかしたような軽い口調なのに、その言葉には揺るぎない真剣さがあった。
みことは安心したように小さく笑みを浮かべると、再びいるまの手を握りしめる。
「いるまくんが安心できるのは、良いことだよ」
いるまは視線を落とし、頬がほんのり赤くなった。
「……お前ら、ほんと……ずるいな」
そう呟いた声は弱く、けれどどこか救われたようでもあった。 やがて観念したように深く息を吐く。
「……はぁ。なんかもう、考えるの疲れた」
その言葉と同時に、いるまは不意にひまなつの肩へ身体を預けた。
力強く見える腕も、今は頼りなげで重さがない。
「お、おい……」
驚きつつも、ひまなつは支えるように腕を回した。
その温もりに触れた瞬間、いるまは小さく目を閉じて吐き出す。
「……なんでだろな。お前の傍だと、力抜けんだわ」
その声は普段の強気さが嘘のように柔らかい。
みことはその姿を見て、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「いるまくん……そういう顔も、すごくいいと思う」
そっと笑みを添えると、いるまは照れ隠しのように顔を逸らした。
「バカ……あんま見んな」
けれどその声は弱く、肩に寄りかかったまま離れようとはしなかった。
ひまなつの腕に寄りかかりながら、いるまの肩越しにみことが小さく息をつく。
「……今まで、俺のこと守ってくれてありがとう」
その声は落ち着いていて、いつもの無表情とは違う、少し震えるような優しさを帯びていた。
みことの視線は迷わずいるまの目を捉え、その手はそっといるまの胸に触れる。
「俺も……いるまくんを守りたい。でも、力が足りないから、兄ちゃん達も協力してもらう」
言い終えると、みことはそっといるまの頬に、そして額に口付けをした。
その軽く温かい感触に、いるまは目を見開き、驚きの色を隠せない。
「……なんで、キスすんの?」
思わず声を漏らすいるま。
みことは淡々と、でも確かな意味を込めて答える。
「…お父さんのところで、いるまくんとこさめちゃんに再会した時……怖がってる俺に、2人がおまじないでキスしてくれて安心したから…」
その言葉に、いるまの胸はじんわりと温かくなる。
言葉少なに抱きしめ返すことしかできない自分を少しもどかしく思いながらも、みことの表情とその行動が、自分に対する信頼と優しさだと理解した。
みことは満足そうに微笑み、ほんの少しだけ目を細めた。
いるまも、その温もりと真っ直ぐな気持ちに応えるように、みことをそっと抱きしめ返すのだった。