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#海辺の町
#異能力
それから静香の生活は劇的に変化した。
うっそうとした森の中にある別邸ではなく、本邸にある征一郎の寝室の隣、日当たりの良い、柔らかな陽光が差し込む一室が静香の新しい居場所となった。
征一郎から贈られた美しい着物におしゃれな袴、流行りの編み上げブーツ、髪飾り。
専属女中は3人に。
本邸の書籍は読み放題。
庭の散策は自由、生け花も刺繍も思うがままに。
ただし、屋敷の敷地外へ出ることだけは禁止だ。
食事は1日3食、征一郎と一緒に同じ料理を。
さらに。
「……これは多すぎます」
テーブルの上に並べられた色とりどりの菓子を前に、静香は困惑の声を上げた。
最高級の砂糖をふんだんに使った金平糖、モダンな帝都で流行りだしたというチョコレート、そして宝石のように輝く生菓子。
「菊乃が報告していた『贅沢三昧の強欲な女』とは、随分と勝手が違うな」
書類に目を通していた征一郎がふっと口角を上げる。
その眼差しは、以前のような冷たい視線ではなかった。
急に優しくしたって、真珠は満月の日にしかできないのに。
だが、真珠さえできれば、自由を勝ち取るための交渉の材料になるかもしれない。
「何が食べたい?」
「いえ、特には」
いつも姉優先で食べる物が決まり、姉が気に入らなかった物が私の口に入っていた。
着物も姉が着なくなったおさがり、日用品も。
だから、自分のために用意されたものだということだけで贅沢だ。
「ドレスを着たことはあるか?」
「……いいえ」
静香の戸惑う声に、征一郎は満足そうに頷く。
征一郎が部屋の隅に控えていた女中に合図を送ると、大きな姿見と山のように積まれた絹織物、そして見慣れない「型紙」を手にした仕立屋たちが次々と入ってきた。
「静香に似合う最高級のドレスを頼む」
「私のような者にドレスなど」
ドレスは夜会に出るような、華やかな人が着るものだ。
姉の麗華のように美しい女性しか似合わないことくらいわかっている。
「着物も似合うが、洋装はより個性を際立たせる」
終わったら呼べと征一郎が出て行った瞬間、手際よく袴の紐が解かれ、着物の合わせは緩められた。
幾重にも重なっていた布の重みが消え薄い肌着一枚になった瞬間、冷ややかな空気が静香の白い肌を撫でる。
「なんて細い腰」
「きめ細い肌にサテン生地がお似合いですわ」
差し出された布地に触れた静香は、滑らかで軽い生地に驚いた。
重い帯で締め付けられる日常とは違う、自由でどこか心許ない新しい感触だ。
背中から胸元へ、そして腰から足首へ。
銀色のテープが肌に触れるたび、静香はビクンと肩を揺らす。
「愛されておいでで、素敵ですわね」
「そう……でしょうか」
あの人が愛しているのは特殊真珠だろう。
「こちらの『勿忘草色』のシルクは、嵯峨様がお選びになったのですよ」
「これほど繊細な色味を指定される殿方は、滅多にいらっしゃいませんよ」
仕立て屋たちが、うっとりとした手つきで淡い青色の布を静香の肩に当てる。
鏡の中に映る自分は、信じられないほど顔色が明るく華やいで見えた。
姉の麗華ならもっと鮮やかな、誰の目にも留まるような緋色や黄金色を選んだだろう。
だが征一郎が選んだのは、静かでありながらも芯の強さを感じさせる、清潔感と上品な優しさを兼ね備えた色。
「私にこの色を……?」
なぜ仕立て屋にまかせずに、わざわざ選んだの?
書類上の夫で、冷徹な実業家。
そんな男が自分のために色を選んだという事実に、静香の胸の奥がざわつく。
「シルク特有の乱反射で、淡い水色から銀色に変化するのですよ」
「ドレープを作ると影の部分に深い青が溜まって、明るい部分の透き通るような青がまた映えるのです」
仕立て屋は慣れた手つきでスッとドレープを作り、鏡越しに静香に見せる。
「綺麗……」
静香が思わず呟くと、仕立て屋の二人は嬉しそうに微笑んだ。
「初恋相手と結婚できるなんて素敵ですわね」
「……初恋?」
あぁ、そういうことか。
征一郎はどこかの夜会で姉に一目惚れし、身辺調査しているうちに特殊真珠にたどり着いたのだ。
特殊真珠は秘匿。
使用人でも知っているのはごく僅かだが、お金を積まれた誰かがしゃべったのだろう。
初恋相手と結婚できると思ったら、パッとしない妹をおしつけられ、別邸に追いやった。
征一郎からすれば、当然かもしれない。
私にはなんの非もないけれど。
一目惚れした姉ではない以上、あの人にとって私は真珠を出すための道具に過ぎない。
それならば、その役割を完璧に演じて、いつか隙を見て逃げ出そう。