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「……わかりました」
上司の無機質な言葉に、俺は淡々と答えた。胸に広がる高揚感を抑えきれない。
* * *
標的の名前は田中誠。45歳。中堅企業のサラリーマン。特に目立った経歴もない平凡な男。どうやら我が組織が進めている極秘プロジェクトの情報を偶然手に入れてしまったらしい。情報漏洩を防ぐための排除――それが上層部から下された指示だった。
準備は周到に行われた。標的の生活パターンの調査、潜入経路の確認、そして万が一の場合の処理方法まで。全てがマニュアル化されており、まるで工場で製品を作るかのように効率的に進められた。罪悪感?そんなものはない。ただ目の前の任務をこなすだけだ。
実行日が決まったのは一週間後だった。夜10時過ぎ、田中が一人暮らしのアパートに帰宅する時間。俺は黒いスーツに身を包み、事前に入手した合鍵を握りしめた。緊張はなかった。むしろ、やっと自分の力を発揮できるという期待で胸が躍っていた。
ドアを開けると、テレビの音が聞こえてきた。田中はリビングでくつろいでいるようだ。足音を忍ばせて廊下を進み、キッチンに身を隠す。この位置なら死角になる。標的がこちらに気づく前に仕留められる。
「……さて」
俺は小さく呟いた。胸ポケットから小型ナイフを取り出し、刃先を確認する。鋭利な光沢が蛍光灯の明かりを反射している。
息を潜め、タイミングを見計らう。リビングからのテレビの音が途切れ、田中が席を立つ気配があった。トイレだろうか。いいタイミングだ。
音もなくリビングへ滑り込む。田中はちょうどトイレから出てきたところだった。驚愕に目を見開くその表情は、まるで映画のワンシーンのようだった。
「な……だれ……」
田中の声がかすれる。恐怖に引きつった顔が徐々に青ざめていくのが分かった。だがもう遅い。
「静かにしろ」
短く言い放ちながら、俺は素早く距離を詰めた。ナイフを突き出す動きは自分でも惚れ惚れするほど洗練されていた。
鋭い刃が肉に沈む感触が手に伝わる。温かい液体がじわりと染み出し始めた。
「あ……あ…」
田中がか細い悲鳴を上げた。目には理解できない混乱の色が浮かんでいる。
次の瞬間、彼は床に崩れ落ちた。俺は無感情にそれを見下ろす。仕事は完了だ。
返り血を最小限に抑える訓練も受けていた。服はほとんど汚れていない。証拠隠滅の手順に移る必要がある。
まず窓を開けて空気を入れ替える。指紋を拭き取り、自分の痕跡を徹底的に消していく。まるで犯罪捜査ドラマのような作業だが、俺にとっては日常業務の一部にすぎない。
全ての証拠を消し終え、最後にもう一度現場を確認する。完璧だ。誰が見てもただの強盗事件にしか見えないだろう。
ドアを開け、外に出る。月明かりの下で深呼吸すると、解放感と達成感が体を満たした。初めての人殺し。想像していた以上に簡単だった。
スマホを取り出し、上司に連絡を入れる。
「完了しました」
短い報告に対する返答も簡潔だった。「よくやった」
それで終わりだ。何の感情も交わされない。俺たちにとって殺人は単なる仕事にすぎないのだ。
帰り道、コンビニで缶コーヒーを買った。甘すぎるカフェオレの味が口の中に広がる。その甘さに酔いながら、俺は思った。
きっと明日からは今までとは違う世界が待っている。
人を殺す感覚を覚えてしまった今、もう以前のような穏やかな暮らしはできない。だがそれでいい。これが俺の選んだ道なのだから。