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飛沫が止まる 。この状況に美蘭はどうする事もできなかった。
覚悟を決めたつもりではいたのだ。いたのだが、それでも神に裏切られた気がしてならなかった。いや、こうして自分の知らない夫の関係がわかったのだから、神にはむしろ好かれているのかもしれないが。それでも、偽物で良いから、知らぬままでいたかったと、そう思えてしまっていた。
それでも、美蘭の瞳はその女の名を捉えていた。美蘭のスマホのレンズも、それを捉えていた。
「……美蘭? お前何して……」
気づけば押していた、スマートフォンのシャッター。浴室の扉の開く音。晃一の声。それらは全てが同時に、重なって鳴った。
走馬燈を目にしている気分だった。彼も美蘭も、瞬時に青褪めた。
「……撮った、のか?」
確信があるのであろうに、無意味な問いを美蘭へ投げかけた。
開き放たれた浴室の熱気のせいか。それとも、この場の興奮的静寂のせいか。それとも、高月玲奈とかいう女のせいか。
美蘭の顔は熱を持ち、その中央、二つの気孔から抜けるように溢れていた。そこへ手を当て、ついたものを確か見ることで、ようやくわかった。血だ。
これは美蘭の想定した何のせいでもなかった。誰のせいでもなかった。そう思いたかった。が、事実として、美蘭はぶたれたのであった。愛するその人にぶたれたのであった。
鼓膜を突き抜け、脳を焼き付けるそれは、既に声ですら無かった。
混沌としたそれを美蘭は感じ取れなかった。それだと言うのに、明らかに微かなものであるはずの、彼についた水分が他と触れた時になる、びしゃびちゃというものだけは聞こえていた。聞こえる感覚があった。
もはや、何が起こり、何が起こるのかとかいう事はわからぬ。何もわからぬ。
痛みすらわからぬ。
胸の虚ろが、この世全てを呑み込んでしまったかのようであった。
一つ僅かに残ったものは。不思議な事に、普段は感覚として弱いように思える指先で。そこが荒ぶるそれに抗い、ただ大切に。強く必死に、スマートフォンを触れていた。
しかし、美蘭は負けた。結局はそれは無駄になった。
埃を噛み、歯をぎしる。見事に壊されたスマートフォン。その電源はもう――点くことはない。