テラーノベル
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『昨日は悪かった。僕らは一度、距離を置こう。本当に悪かった。頭を冷やしてくる。会社の同僚に宛があるから、今日からはそこに住まわせてもらうよ。
しばらく。いや、もう君は共通口座に金を入れなくて良い。そして、僕はそこから今後、一銭たりともそれを使わない。ただいつも通り、給料が入ったら、手取りの八割をそこへ入れる。
これは絶対だ。もし俺がそれを破ったならば、離婚して慰謝料を取り上げると良い。
――最後にこれだけ。愛している。』
目が覚めると、枕の横にそんな置き手紙があった。これではまるで、悲劇のヒロインのようではないか。涙すら出ない。ただ朝の日差しが、いつもより少しだけ強く感じられる。そんな気がしている。
途中までは一人称が『僕』で統一されているのに、つい感情的になってくると『俺』になってしまっているのは、大学を中退してまで私との関係に責任を持ち、心の追いつく前に社会へ出たせいなのだろうか。
湧き出た自己嫌悪。けれども、それを考えられるほど、もうきっと強くは無い。
「マズっ……」
試しに自分で入れてしまったコーヒーに、思わずそう言葉が零れた。一人で、それもこのマグカップのみ。このダイニングテーブルは今の私には広すぎた。マスターならば、もっと美味しく淹れられるのだろうか。いや、そうだろうが、きっと今はどれも美味しくは思えないだろう。
この光景があの日に似ていたからか。濁った口から出た名前は、彼のものではなかった。
「冬馬君……」
誰でも良い。誰でも良いから横にいてほしい。 私は狂ってしまったのだ。積み上げてきたものが全部崩れて。それでもう、捨てられそうだ。これから死ぬまで、あとどれほどの時間が私を待ち望んでいるのだろう。
絶望が無限にあるように、永遠か有限に思えた。つまるところ、私は終わりを覚えたのだ。
そう……全ては崩れて。
絶望が肩まで浸り、窒息がすぐそこまで来た、その刹那。
青空を眺め、その眩しさに私は目を瞑った。するとどうだろう。あの日の血か、私の肌か。それとあ の空が混じり、輝いた。エメラルドが光る。
唯一残された、逆転の一手が脳裏を過った。これまでの、積み上げてきたもの。それはまだ、崩れてはいない。もし、崩れていたとして、それは彼へ落ち、その身を潰す。そうだ。きっとそうだ。
壊されたのは赤のスマートフォン。だが、私にはまだあと一つある。
『……もしもし、しのちゃん。確かあなたは記者をしているのよね!?』
『ええ、はいそうですが。先輩、どうかしたんですか』
『大手企業の人事部が、なんと浮気に家庭内暴力。……こんなスクープに興味はないかしら?』
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