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昼休み、教室。ざわめきの中心に、またあいつがいた。
遥が、蓮司と笑っていた。
いつもより、よく喋っていた気がした。
蓮司の手が、遥の腰に触れたとき、
誰かが囃し立てて、遥が笑いながら肩を寄せた。
──演技だ、とわかっている。
だが、あいつの口元が歪む角度には、
どこか、ほんの一瞬だけ、本音みたいな“諦め”が混ざっていた。
それが逆に、
日下部の胸を、鈍く締めつけた。
「おまえ、まだ……そうやってやってんのかよ」
誰にも聞こえないように、呟いた。
けど、遠くにいる遥は、まるでそれを聞いたかのように、
一瞬だけこちらを見た気がした。
──屋上。
昼下がりの、ぼんやりとした曇天。
風だけが冷たくて、コンクリートの空気が無意味に広がっていた。
遥が、背を向けて立っていた。
フェンスのそばで、手すりに指をかけている。
その背中を見て、日下部はしばらく黙っていた。
──どこまで行ってしまう気だよ。
問いかけのような独り言を、胸の奥で呟いたあと、
足音を立てずに近づいて、数メートルの距離で止まった。
「……楽しそうだったな」
思わず出た声が、乾いていた。
蓮司のことを指しているとは、言わなかった。
遥は、振り返らなかった。
ただ風の中で、髪だけが揺れた。
「……そう見えた?」
「見えたっていうか……そう見せてた、だろ」
「じゃあ、正解」
遥の声は、笑っていた。
けれど、笑っていない目をしていた。
「やりやすいんだよ。あいつ、何も考えてないし、……優しいし」
「優しいって、そういうことか?」
「そういうこと」
即答だった。
「殴らないし、怒鳴らないし、“壊れてる”とか言ってこない。 必要とされたぶん、ちゃんとやって、“ありがと”って言われるだけ。……シンプルでいいだろ?」
その言い方があまりにも乾いていて、
日下部は一瞬、言葉を探せなくなった。
「……それ、本当に“やりたいこと”なのかよ」
「は? “やりたい”とかじゃないし」
遥が振り返った。
その顔に浮かんでいたのは、皮肉でも怒りでもなく、
ただ、なにも期待していない者の静けさだった。
「“やりたくない”こと、やらなきゃ生きてけないなら──
いっそ、自分からやった方が、マシなんだよ」
「それで、あいつに抱かれてるってか?」
その言葉は、思ったよりも刺々しく出た。
遥の目が、少しだけ細くなった。
「おまえさ、なんでそんな怒ってんの?」
「別に怒って──」
「怒ってるよ。だって、“蓮司は違う”って思ってたんだろ?」
日下部は、返せなかった。
遥は、薄く笑った。
「安心しろよ。……おまえより、優しいから」
その言葉が、突き刺さった。
だけど、すぐに引き抜かれた。
遥が、それ以上、踏み込んでこなかったからだ。
「……じゃあ、おまえはそれでいいのかよ?」
「さあ? でも──」
風が吹いた。
遥が目を伏せる。
「おまえみたいな奴に、“壊れてるの気づいた”みたいな顔されるより、
あいつみたいに、壊れてるってことすら気にしない奴といた方が、ラクなんだよ」
日下部の拳が、わずかに震えた。
けど、何もできなかった。
遥は、またフェンスのほうを見た。
「……じゃ、もう行くわ」
そう言って、何も残さずに去っていった。
日下部は、ただその背中を見ていた。
そして自分の中にある、どうしようもない感情──
“怒りなのか、悔しさなのか、罪悪感なのかもわからない何か”を、
どう処理すればいいのか、分からずにいた。
──蓮司は、何も壊そうとしない。
だから、壊れてることにも気づかない。
それが、遥には──“優しさ”に見えるのか。
……でも俺は。
俺は、気づいてしまった。
そしてそれが──取り返しのつかないことだとも、知っている。