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意識は、ゆっくりと浮上していった。
深い水の底から引き上げられるように、アルトは、長い眠りの果てに目を開ける。
白いはずの天井は、ひび割れ、黒くくすんでいた。機械音は途切れ途切れで、まるで息絶えかけた心臓のように弱々しい。
「……ここは……」
喉が焼けるように痛む。声はかすれ、自分のものとは思えないほど遠かった。
ゆっくりと身体を起こす。カプセルの内側には、霜の跡が残り、時間の重さだけが沈殿している。
「……誰か……」
答える者はいない。
あるはずの声も、気配も、すべてが消えていた。
アルトは震える指で腕輪に触れる。無意識の癖。思考を繋ぎ止めるための、小さな儀式。
「……シオン……?」
その名は、あまりにも静かに空気へ溶けた。
返事はない。ただ、崩れた機材がわずかに軋む音だけが、現実を突きつける。
やがてアルトは、足元のおぼつかないまま立ち上がった。ここに留まる理由は、もうどこにもない。
扉を押し開けると、冷たい空気が流れ込む。
――死んだ世界の匂いがした。
地上に出た瞬間、アルトは息を呑んだ。
「……なんだ、これは……」
視界いっぱいに広がるのは、緑。
だがそれは、記憶にある穏やかな自然ではなかった。脈打つようにうねり、光を飲み込み、異様なほどに生きている。
風が吹く。
ざわり、と植物たちが揺れたその瞬間。
“視線”を感じた。
「……誰か、いるのか」
アルトの声に応えるように、茂みの奥で、何かが動く。
ゆっくりと現れたのは、“人の形”だった。
だが、違う。
肌は葉のように淡く、髪は蔓のように揺れ、瞳はどこか透明で、生き物でありながら、生き物ではない。
「……人間?」
それは、小さく首をかしげた。
「あなた、起きたのね」
柔らかな声。けれどその響きは、人間のそれとは僅かに異なっていた。
アルトは一歩、後ずさる。
「……何だ、お前は」
警戒が滲む声。その奥にある恐れを、自分でも隠しきれない。
しかし、その存在は怯えなかった。
ただ、静かにアルトを見つめている。
「怖がらなくていいよ」
一歩、近づく。
「私は、フィリア」
光が差し込む。
その瞬間、彼女の髪が淡く色を変えた。まるで、朝露に触れた花のように。
アルトは言葉を失う。
美しい、と思った。
だが同時、理解できないものへの拒絶が、胸を締め付ける。
「……人間は、どこだ」
絞り出すような問い。
フィリアは少しだけ目を伏せて、それから微笑んだ。
「いないよ」
その言葉はあまりにも優しくて、だからこそ、残酷だった。
沈黙が落ちる。
風だけが、二人の間を通り過ぎていく。
アルトは拳を握りしめた。
「……そうか」
短く、呟く。
それ以上の言葉は、出てこなかった。
するとフィリアは、そっと手を伸ばす。
「ねえ」
その指先は、ひんやりとしているはずなのに、どこか温かかった。
「ひとりは、寂しいでしょ」
アルトの呼吸が、わずかに乱れる。
その言葉は、あまりにも真っ直ぐで、彼の中に閉じ込めていた何かを、揺らそうとする。
「……俺は……」
否定しようとした。
けれど、言葉は途中で途切れる。
代わりに出たのは、かすかな吐息だった。
フィリアは微笑み、アルトの手をとった。
「大丈夫。私がいる」
その声は、太陽のように温かくて、優しかった。
アルトは、目を逸らした。
触れてはいけないものに触れた気がしたからだ。
だからこそ、彼はその手を、振り払った。