盲目王子の策略から逃げ切るのは、至難の業かもしれない

グレイアスは夜会の直前、ノアにこう言った。

「夜会では、想定外の出来事が起こる。ちょ、マジでぇぇっ！？って思うことなんて軽く起こる。だから、絶対に気を抜くな。いかなる場合でも、冷静に対処しろ。……キノコ料理が食べたいなら、な？」

最後の”な？”には、凄みがあった。

深く考えずにノアは、元気に返事をしつつも内心、グレイアス先生の「ちょ、マジでぇぇっ！？」という言葉のチョイスが面白いなどと不届きなことを考えていた。

そんな呑気だった過去の自分を、ノアは全力で馬鹿！と罵りたい。

（本当に言った通りになるなんて……）

振り向く勇気がないノアは、その場から動けない。

一方アシェルは、この予期せぬ人物に驚くことなく、ノアの腰を抱いて優雅に振り返る。ノアは、強制的にロキと対面する形となってしまった。

正面から見たロキは、隠し事をしていた自分に怒り、呆れているのだろうと思いきや、ただただ意地悪く微笑んでいるだけだった。

それだけでも驚きなのだが、それよりもっと驚くことがあった。

「え？ええっ？？本当にロキ院長ですか！？……いや、違う。こんなに院長は綺麗な人じゃな……痛っ」

ノアがつい思ったままを口にした途端、ゲンコツをお見舞いされた。

あまりの痛みに涙目になったノアは、この女性が間違いなくロキであることを確信する。

「ったく、言うに事欠いてそれかい？」

腕を組んで憤慨するロキに、ノアは物言いたげにジト目で睨む。

だって……だって、今、目の前にいるロキは全く別人なのだ。

身体の線がくっきりと出る青紫色のベルベット生地のドレスを見事に着こなしているロキは、どう見たって妖艶な美魔女でしかない。

普段のロキは、よれよれの院長服が定番のスタイルだ。しかも白髪だと思っていたロキの髪は、銀髪でこれもまた驚きだ。

そんな魔法を使ったとしか思えない変身っぷりを見て、驚愕するなという方が無理がある。

などと頭の中では言葉が溢れて溢れて止まらないノアを無視して、ロキはアシェルに視線を移す。

「ったく、アシェルの坊や。あんたよくも面倒な招待状送ってくれたね」

「はははっ……不躾な頼みではありましたが、本日はご出席いただけて光栄です」

苦虫を口一杯に詰め込んだような表情をしているロキとは対照的に、アシェルは物怖じすることなくにこやかに対応している。

ロキの後ろで騎士服ではなく貴族服をまとっているワイアットにも、びっくりだし、少し離れた場所にいるお偉いさんが青ざめているのも「なんで？」って感じだし、ローガンとクリスティーナが狂犬と出会ってしまったかのようにすたこら逃げていくのも意味不明。

とにかくに不可思議な現状が起こりまくっているせいで、ノアはポカンとすることしかできない。

そんな間抜け面のノアを見て、アシェルはとろけるように甘く笑う。まるで心から愛している婚約者に向けるような柔らかなものだ。

元王宮魔術師のロキは、王族の内情を良く知っている。アシェルの表情を目にしただけで、どれほどノアを想っているのか痛いほど伝わったが、諸手を上げて二人の婚約を祝う気はない。

なにせロキは、とっくの昔にノアが誘拐されたことを知っているし、割の良い仕事が仮初の婚約者を演じることだというのも知っている。

かつて王宮魔術師の頂点に君臨していたロキは、魔法のスペシャリスト。大事な孤児院の子供たちすべてに”護りの魔法”を与えている。有事の際にはそれが発動し、身の危険から守ってくれる優れもの。

ただし、そう簡単には発動しない。無傷で誘拐された程度ではうんともすんとも言わない。

ロキは愛情深いが、溺愛はしない。厳しい環境でも雑草のように生き抜いて欲しいと願うロキは、獅子が我が子を千尋の谷に落とすスタイルを貫いている。

それこそがロキの愛情なのだが、当の本人が子供達に語る気が無いので、ロキはずっと鬼ババア的な存在だったりする。

「アシェルの坊や、言いたいことはごまんとあるけど……一つだけ、泣かせたら承知しないよ」

ロキからギロリと睨まれたアシェルは、胸に手を当て、片足を後ろに引く。

「もちろんです──ノアは私にとって命より大切な人ですから」

王族が頭を垂れるのは、国王と神のみ。それなのにアシェルは、なんの迷いもなくロキに礼を執った。

アシェルの本気の告白を受けたノアは、間抜け面を維持しつつも顔を真っ赤にする器用な芸を見せる。

そんな二人を見て、ロキは大仰に肩をすくめると、意味ありげにニヤリと笑った。

「あ、そうかい。まぁ、口では何とでも言えるさ。後は坊の頑張り次第だね──じゃあ、行くよワイアット」

「はっ、はいっ。って……ちょ、院長っ……苦しいですっ！タイを引っ張るのはやめて……って、苦し！！」

ひらひらとアシェルに軽く手を振って、ロキはワイアットのタイをぐいっと掴むとヒールの音を鳴らして会場の奥へと歩いて行った。

向かう先は、ローガンとクリスティーナのところようだ。

だが盲目のアシェルは都合よく気付かないフリをして、真っ赤に染め上がっているノアの小さな耳に唇を寄せた。

「それじゃあノア、さっそくダンスを踊ろう……こんなふうに踊れるのは、今日で最後だから」

含みを持たせた発言に、疑問を持たせる間を与えずに、アシェルはノアをダンスホールへと導いた。