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ハニスフレグ国の宮廷夜会では、まず若い未婚の男女がダンスを踊り、会場に華を添えるのが習わしである。
本日もダンスホールでは、着飾った男女がペアになってワルツを踊っている。ノアとアシェルも、その中に溶け込んでいた。
アシェルは、半ば意識を飛ばしているノアを完璧にリードしている。曲に合わせてノアのドレスの裾が花びらのようにひらひらと揺れる。
幸か不幸か無意識に身体を動かしているノアは、変なところに力が入らないおかげて傍から見れば大変優雅にステップを踏んでいるように見える。
背に添えられた手や握り合う手のひらからアシェルの温もりを感じたノアは、次第に自我を取り戻しつつあった──
「殿下は、どんな曲でも上手に踊れるんですね」
色々あったけれど、ダンスの間だけはアシェルの特別な温かさに包まれようと決めたノアは、自然に笑みがこぼれる。
「褒めてくれてありがとう。でもそれは、ノアと一緒だからかもしれないよ?」
茶目っ気あるアシェルの謙遜に、ノアはクスクスと笑う。
その頬は、ほんのりとピンク色だが、会場が暑いからでも、緊張しているせいでもない。
「やっぱり頑張ったらいいことがあるんですね」
誰に向けてというわけじゃないが、ポツリと言ったノアに、アシェルは軽く眉を上げた。
「まだキノコ料理を食べてないのにかい?」
「キノコ料理は報酬です」
「じゃあ聞くけど、ノアが言う良いことって何かな?」
「んー……な、内緒です。内緒……へへっ」
恥ずかしくて誤魔化し笑いをすれば、アシェルはそれ以上追及せずに、優しく微笑んでくれた。
釣られるように、ノアもふわりと笑う。
アシェルと一緒にくるくる回るこの時間は、楽しくて嬉しくて──多分、こういう時間を人は幸せと呼ぶのだろう。
新種のキノコを見付けた時とは違う高揚感に包まれたノアは、愚かにもこの時間がずっと続けば良いのにと思ってしまった。
ダンスを踊り終わると、ノア達は喉を潤すために会場の端に移動する。
ノアは果実のジュース。アシェルはシャンパン。それぞれグラスを手にして一気に飲み干した後、ノアは会場をぐるりと見渡し……引きつった笑みを浮かべた。
「大変です……!殿下……キ、キノコ料理が……もうあんなに少なくなってますっ」
そう言ったところで、アシェルは目が見えない。より詳しい説明をしようか悩むが、それよりも先にアシェルが口を開いた。
「ノア心配しなくても大丈夫だよ。ちゃんと給仕の人達がなくならないように足してくれるから」
「そうなんですか?」
「ああ、そうだよ。今日は絶対に夜会が終わるまで全種類のキノコ料理を欠品することは許さないと厳命しといたから、どれだけ食べてもなくならないよ」
「そっか……あー良かった」
アシェルの分かりやすい説明のおかげで、ノアはほっと安堵の息を吐く。
残るミッションはあと一つ。国王に挨拶するだけ。
それが終われば、世界の珍しいキノコに舌鼓を打つことができる。
少し離れた場所にあるキノコ料理達は、素揚げされたり、具材を詰め込まれたり、ソースの海を泳いでいたりと、どれもこれもが美味しそうだ。
それからしばらくして「そろそろ時間だから、移動しよう」というアシェルの言葉でノア達は再びメインホールへと向かう。
アシェルは王族だ。彼が歩けば、招待客は何も言わずとも道を空ける。それが宮廷マナーの基礎中の基礎なのだが、ノアからすれば落ち着かない。
つい「あ、どうも」と頭を下げたくなってしまう衝動を堪えて、ドレスの裾だけは踏まないよう気を付けて歩く。
けれども、メインホールまではあと少しというところで、ノアは足を止め、アシェルの袖を軽く引っ張った。
「……あのう、殿下。陛下には……その……私のことをどういう感じで紹介するんですか?」
過去のアシェルは、ローガンに偽装の婚約証明書を見せつけている。しかも、国王から許可を得たと嘘までこいているのだ。
それが万が一公衆の面前でバラされたら、良くて投獄。最悪、もう二度とキノコ料理が食べられなくなってしまうだろう。
なによりアシェルの美しい顔が胴体と離れるなんて、考えただけで背筋が凍る。
アシェルとグレイアスは、対策済みだと言っていたが、不安は拭い切ることはできない。
それなのにアシェルはノアの不安を感じ取っても、にこっと笑うだけ。
「大丈夫、ノアが心配することは何もないよ。ノアはただ私の隣にいてくれればいいだけだから安心して。ね?」
ね?と、ゴリ押しされても、安心できる要素は何ひとつない。
納得できないノアに、アシェルは言葉を重ねる。
「ノア、そんなことを気にするより、一番最初に食べるキノコ料理をどれにするか考えた方が良いんじゃないかい?沢山あるから、いざ食べようと思うとものすごく悩んでしまうかもしれないよ?」
「そんなっ……あ、……そうかも……はい」
咄嗟に否定しようとしたが、アシェルの提案は正論だ。それにアシェルは一度も自分に嘘を言ったことは無い。
加えてキノコへの愛は誰にも負けないと自負しているノアは、悔しいが口を噤んでしまう。
「そうだよ、それでいいんた。いい子だね、ノア」
上手に丸め込まれてしまったノアに向け、アシェルは満足そうに笑った。