貴弘に電子タバコを渡したあと、寮に帰ったのどかが、ぼんやりカフェと寮の間辺りにある草原を眺めていると、後ろで自転車の音がした。
「あ、おかえりなさい」
と振り返ると、マウンテンバイクに乗った八神が、
「ただいま」
と言う。
「今日は早いんですね」
とのどかは笑った。
八神の帰ってくる時間はまちまちだ。
かなり日が長くなったせいもあるだろうが。
まだ明るい時間なのに、今日は仕事が終わったようだった。
「なにしてたんだ?」
と問われ、
「いや、タンポポの綿毛が飛ぶの、見てたんですよ。
風が強いせいか、よく飛びますね~」
と言いながら、のどかはスカートについた綿毛を見た。
此処についてても駄目だろうと、ぱたぱたはたいて、落としてやろうとしながら言う。
「飛んでる綿毛、綿毛が湿ると落ちるらしいですね。
すごいですよね。
ちゃんと水分があって、芽が出せそうなところで落ちるようになってるんですよね。
誰が考えるんでしょうね、そんなこと」
「タンポポだろ」
と言われたので、のどかの頭の中では、タンポポに子どもが描いた絵のようなニコニコしている顔がつき、人格を持ってしまった。
「……掘ってしまいました。
そんないたいけなタンポポを」
と縁側に数日前から干しているタンポポの根を見る。
タンポポコーヒーを作るのだ。
「もういいんじゃないか? あれ」
と八神が言うので、細かく切って干していたタンポポの根を煎ってみることにした。
「おっ、いい匂いがしてきたじゃないか」
と自販機で買った缶コーヒーを飲みながら、八神が横で言う。
「……お手軽に自販機にお金入れたらコーヒー買えるのに、手間暇かけてなにやってんだろうなーと思ってしまわなくもないですね」
寮の方のキッチンで赤いフライパンを手にのどかが言うと、
「自分で作ることに意味があるんだろうよ。
カフェインレスなんだろうし。
ま、俺からすれば、カフェインのないコーヒーっぽいものとか、なんでわざわざ飲むのかわからんが」
と八神が言ってくるので、またそこで、今、せっせと煎っていることの意味を見失う。
疲れてきたところで、八神が交代してくれて、煎り終わり。
フードプロセッサーで細かくして、タンポポコーヒーは完成した。
「早速、飲んでみましょう」
とのどかが近くの窯で買ってきた陶磁器のカップを出してきて淹れようとすると、八神が、
「待て」
と言う。
「俺のは、こっちに淹れてくれ」
と言って、スノーピークのチタンのマグカップを出してきた。
「あ、アウトドアっぽくていいですね」
と笑うと、
「お前にも貸してやる」
と言って、もうひとつ出してくる。
「外で飲みましょうか?」
縁側にコーヒーを持って出ると、またなにかの虫を追いかけていた泰親猫が飛んできたので、猫の皿にコーヒーを淹れてやろうとして、
「カップに淹れてくれ」
と猫耳神主に戻った泰親に言われる。
八神がもうひとつカップを出してきてくれたので、それに淹れ、三人で並んでタンポポコーヒーを飲んだ。
「うん。
味が薄いっ」
と笑顔で八神が言う。
「俺は全然物足らんが。
健康志向の女子にはいいんじゃないか?」
なにか飲む気が失せる感じなんだが……。
「あ、でも、確かに。
タンポポコーヒーにもいろいろ嬉しい効能があるらしいですよ」
ほう、と八神と泰親が言う。
「なにに効くんだ?」
と八神に問われ、
「いや、わからないんですけど。
なにかに効くらしいです」
とのどかが笑って言うと、八神が、
「……いや、メニューには、そこのところを詳しく書いた方がいいんじゃないか?」
と言う。
私よりこの刑事さんの方が商才がありそうだ……とのどかは思った。
のどかは、夜、帰ってきた貴弘にも縁側で、タンポポコーヒーをご馳走してみた。
「うん。
飲めないことはない」
……どうも、この人たちにはウケが悪いな。
「まだまだ改良の余地ありそうですね」
「いよいよ開店が近づいてきたってのに、そんなこと言ってていいのか」
と貴弘がごもっともなことを言ってくる。
「ばっちり営業許可ももらっちゃいましたしね~。
庭がまだ雑草まみれなんで、こんなところでやるんですかと言われちゃいましたけどね」
ははは、とのどかは笑う。
「まあ、あとは食器をそろえて、メニューを決めて、家具をどうにかして、庭を鬱蒼としない程度に綺麗にするだけですかね?」
「……あとが多すぎだろ」
と言ったあとで、貴弘はタンポポコーヒーを一口飲んだ。
「あ、いまいちなら、飲まなくていいですよ」
と言ったのだが、貴弘は、
「いや、お前が頑張って作ったんだから飲むさ」
と言って、見つめてくる。
……なんでしょうね。
この間から、まるで普通の恋人同士のようなのですが、と思いながら、のどかはジリジリお尻の位置をずらしながら、貴弘から距離を取ってみた。
「そういえば、あの呪いの部屋は閉じたままにするんだよな」
とそのことに気づいているのかいないのかわからない貴弘が訊いてくる。
「そうですねー。
お客様が入り込まれて、なにかあったら困りますしね」
まあ、今のところ、イケメンが降ってくるだけで、逆パターンはないので、あそこに入ったからと言って、何処かに吹っ飛んでったりはないと思うのだが。
「今まで見ないふりして、呪いの部屋とは、なあなあでやってきましたが。
カフェもオープンすることですし。
いよいよ、呪いを解くときかな、と思ったんです。
でも……。
でも、私、もう泰親さんとは離れられません」
と草むらを見つめ、のどかが言うと、ぼとりと貴弘はカップを草の上に落とした。
「泰親さんの居ない生活は考えられないんです」
強張った顔で貴弘がこちらを見て、訊いてきた。
「……俺は?」
は? とのどかが言ったとき、ちょうど、泰親猫が草むらの暗がりから出てきた。
淡いブルーとグレーの混ざった丸い瞳で、二人を見つめて、な~と鳴く。
二人は一瞬、止まったあとで、立ち上がると、奪い合うように泰親を抱っこし合った。
「そうだな、確かに考えられないなっ」
と貴弘が言う。
「ですよね、社長っ」
と二人で仲良く泰親を可愛がる。
縁側を通った八神が、
「……ラブラブすぎて鬱陶しいカップルだな~」
と呟いていた。
その頃、中原は夜道をウロウロしていた。
何処を歩いていて、あのあばら屋敷にワープしたんだったかな、と思いながら。
夜はまだ冷えるので、なんだか風邪をひきそうだったが、そのポイントを探して、あの日の記憶を頼りに歩き回っていた。
理由をつけてのどかのところに行くのは嫌なので。
呪いで自然に飛びたいな、と思ったわけでは決してない。