輝く金の冠を戴き、清らかな白の衣を纏いし《黎明》が地上の競い合いに目をつけると、隠れるところのない野原に揺蕩っていた闇を追い払い、起きたばかりの菊戴に美しく鳴くように命じて争いを囃し立てさせた。
ユカリは空飛ぶ魔法少女の杖に乗って、さらにグリュエーの追い風を受け、シャリューレに連れ去られたレモニカを追う。
夜闇の中、レモニカの助けを呼ぶ声を頼りに追っていたシャリューレの姿が朝日に照らされる。少しずつ離されていることには気づいていたが、もう豆粒のような大きさになっていた。とても人間の速さではないが、まさか魔術を使っていないなどということはないだろう。
後方からユビスの駆ける足音が聞こえてくる。気づいて振り返るともうすぐそばにいる。ユカリは飛ぶ速度を落とすことなく、ベルニージュの手を借りつつ並走するユビスに飛び乗る。
「よかった。シャリューレさんがユビスよりも速かったらどうしようかと」とユカリはからかうように言う。
「人の背を追いしは稀なることよ。同胞の無謀を恥じるが良い」とユビスは尊大に嘶く。
「何て言ってるの?」とベルニージュ。
「馬鹿にするな今に見てろよ、だってさ」とユカリは適当に通訳する。
「ユビスの方が速いかもしれないけど体力も計算に入れると分からないよ」ベルニージュは手綱をしっかり握って声を張る。「ユカリ、グリュエーで捕まえる準備をしておいて」
「グリュエーはユビスより遅いよ」とユカリが言うと抗議するように風が吹く。
「え? そうだろうけど……」と言ってからベルニージュは気づく。「ああ、そうか。グリュエーはユビスに乗ってるわけじゃないのか」
「そこで初お披露目。ベルに魔法少女の第五魔法の力をとくとご覧に入れましょう」とユカリは宣言する。
ユカリは魔法少女の杖を天に掲げ、しかし意識は前方で背を向けるシャリューレに集中する。
しかし異常に気づく。朝日を受けた無数の何かが地平線から現れて、一斉に煌めく。シャリューレの逃げる先に百人超の集団がいる。影の如き黒い衣に黎明に輝く鉄仮面。焚書官のようだが、黒衣の下に身につけているのは鎧だ。その装備と整列する姿は僧兵の集まりどころか軍隊のようだ。さすがにシャリューレの言っていたような国を亡ぼす軍事力には届かないはずだが。内三十ほどは馬に乗っている。焚書官たちは手に手に槍を持ち、弓を構え、シャリューレを待ち受ける。と思いきや、シャリューレはその集団に咎められることなく素通りし、北へと逃げていく。
「ベル。手綱貸して」ユカリは完成している魔導書をベルニージュに渡しつつ、弓手で杖を馬手で手綱を握る。「ユビス、回り込むよ」
ベルニージュの魔術で獣の如き炎が焚書官たちにけしかけられる。グリュエーの煽りを受けて炎の獣は草原に火を移し、火の海の中でもはや形を維持するのもままならないが、燃え盛る牙を剥いて焚書官に躍りかかる。ベルニージュは次々に呪文を付け加え、焚書官たちを打ち払う。
対抗するように焚書官たちは黒い雲を西の空から呼び出してベルニージュの炎に雨を降りそそいだ。白い煙が溢れ返り、草原への延焼は食い止められるが、炎の獣の勢いはまるで変わらない。
ユビスが北東へと体の向きを変えると、焚書官たちは戦列が伸びすぎないように維持しつつユカリたちに回り込ませまいと追いすがる。
粘菌のように蠢いて空を這い進む雨雲は烈火に喘ぐ焚書官たちを憐れむことなく通り過ぎ、ユビスの頭上でその恵みを降りそそいだ。こちらが本当の狙いだったらしい。ユビスの毛がみるみる黒めき、足が重くなる。ユビスの行く先を予見していたように三十の騎馬が突出している。かわしきれない。かわせたとしても逃げ切れない。
ユカリは合切袋から『珠玉の宝靴』を取り出して履きかえる。しかし瘴気は発生しない。まだ何か条件があるということだ、『至上の魔鏡』と呼ばれる真珠飾りの銀の冠が水を満たさなくてはその力を発揮しないように。
ユカリは焦る頭を落ち着かせ、ビンガの港街の廃屋で瘴気を発生させたシャリューレの行動を振り返る。シャリューレは埃っぽい廃屋であの靴を履き、そして広間の真ん中の床の抜けた穴を降りて地面に立った。そのことを思い出す。
「ベル、レモニカのことお願いね」
「ここを脱してももう追いつけないって」
「ベルなら大丈夫だよ。こっちは任せて。また後でね」
ユカリは地面に降り立ち、ベルニージュとユビス、そして雨雲は去っていく。
「ユカリ! これ」と言ってベルニージュは真珠の刀剣リンガ・ミルを投げて寄越した。
受け取りつつ、魔導書の靴から瘴気を溢れさせる。三十人の騎馬焚書官は昏倒し、草生い茂り雨露に濡れる野原に勢いよく落馬し、倒れ伏す。残された馬たちは困惑しながらも野原を駆けて逃げて行った。
「構わず突っ込んできたってことは靴の力を知らないんだね。あとは残りの焚書官を……」
言いかけて、ユカリは気づく。瘴気にまかれる前に馬を降りたのか、瘴気の外に焚書官がもう一人いた。
栗色の波がかった髪、怯えるように揺らめく緑の瞳、堪えるような薄い唇のあえかなる女は両腕を抱き寄せ、背を丸めて、まるで狼を前にした羊のような佇まいだ。鎧の上に黒衣を羽織っているのは他の焚書官と変わらない。ただし他の焚書官と違って腰の得物は棘球付きの鎚矛であり、羊を象る鉄仮面は脇に抱えている。彼らが第何局なのかユカリに知る由はないが、その女は首席焚書官だ。
逃げるべきだろうが、背中を向けて良い相手かどうか分からない。弓矢程度ならばグリュエーが全て弾き飛ばせてしまうが、どのような魔法を隠し持っているか分かったものではない。
「あの、あ、あの」とどもりつつ、その首席焚書官は言う。「貴女は、ま、ま、魔法少女! ……なのですか?」
確信もなしに襲い掛かってきたというのか、とユカリは無表情で憤る。しかしそのようなはずがない。シャリューレの通報を受けてここへやって来たはずであり、シャリューレを誰何することもなく見送り、そして問答無用で二人と一頭に射かけてきた。信頼のおけない通報でこれだけの人数を動かせるはずもない。首席焚書官自身が出張ってきたこと自体がそれを裏付けている。
「まず貴女が名乗るべきではありませんか? いきなり襲ってくる方々に礼儀を問うのもなんですが」
まるで返事をされるとは思っていなかったような慌てぶりで首席焚書官は上擦りながらも答える。「ご、ごめん!……なさい。えっと、わ、私は焚書機関はだい第四局、首席焚書機関、官の芽吹きの季節と申します。よろ! ……よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」とだけユカリは答える。
そうしている間にも残りの七十余りの他の焚書官はこちらへ向かっている。ユビスの姿はもう見えない。追うにしてもグリュエーの力を借りれば矢を防げず、矢を防げばユカリ自身の力だけで走らなくてはならない。どうしたものか、とユカリが考えているとアンソルーペが再び問いかける。
「そ、それで、あな、貴女は魔法少女! ……ユカリで間違いないですか?」
「いえ、違いますけど」とユカリは答える。
訳の分からないはったりには適当なはったりで返しておく。
「や、やっぱりそうですよね。良かった。それなら良かった。それ、それなら」そう言って首席焚書官はおもむろに角に焔を纏う羊の頭を象った鉄仮面をかぶる。「遠慮なくぶっ殺せるってわけだなあ! おい!」
アンソルーペが耳障りな高笑いをしながら棘球付き鎚矛の柄を握りしめて突っ込んでくる。
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