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群衆の怒号と荒い足音に飲み込まれていく中臣の背中を、俺はただ無機質な目で見送った。
かつてこの国を盤上の駒のように裏から操っていた絶対的な権力者が
今は名前も知らない誰かの拳に沈み、雪泥の中を引きずられていく。
天を仰ぎ、喉を枯らして上げる命乞いの声も、降りしきる雪が冷酷に吸い込むようにして消えていった。
「……これで、よかったのか。あいつをあそこに放り込んで」
志摩が俺の隣に立ち、血の混じった雪をブーツの底で鈍く踏み締めた。
その声には、一つの時代が崩壊したことへの虚脱感が混じっている。
「ああ。死ぬのは一瞬だ、痛みもすぐ終わる」
「だが、積み上げてきたすべてを失い、自らが蔑んできた『寄生虫』どもに嬲られて生き永らえさせられるのは……極道にとっちゃ、死ぬより辛い地獄だからな。あいつにはお似合いの末路だ」
俺は深く、肺の奥に溜まっていた重い息を吐き出した。
復讐という名の、俺を突き動かしてきた唯一の糸が切れた途端
麻痺していた全身の傷口が火を噴いたように熱くなる。
左肩の感覚はもう完全に消失し
欠落した部分から命が零れ落ちていくように、視界の端がチカチカと白く明滅し始めた。
「黒嵜、おい!しっかりしろ、意識を手放すな!」
膝から崩れ落ちそうになる俺の体を、志摩が力強く支える。
その手の温かさが、皮肉にも俺がまだ「生者」であることを自覚させた。
「…志摩、あんたはもう行け。組織が立て直す前に、ここを離れて家族のところへ戻れ……あんたにはまだ、帰る場所があるはずだ」
「馬鹿を言うな。この状況で、手負いの獣を一人にしてどこへ行くつもりだ」
「……拓海のところだよ。あいつに、報告しなきゃいけねえんだ。…約束、果たしたってな。あいつの見たかった景色を、俺が見届けてやったってな」
俺たちは混乱の極みに達した新宿の街を這うように抜け
路地裏に乗り捨てられていた一台の軽トラックを奪い、北へと走り出した。
目指すのは、都心の喧騒から遠く離れた、静寂だけが支配する霊園。
拓海の遺骨が、まだ冷たい土の下で、静かに俺の帰りを待っている場所だ。
◆◇◆◇
数時間後────
夜の帳が静かに下り、朝焼けの薄紅色の光が、白く染まった霊園を神聖な色で照らし始めていた。
俺は志摩の肩を借り、一歩一歩、雪に足跡を刻みながら拓海の墓前へとたどり着いた。
そこには、枯れることのない祈りのように、まだ新しい花が手向けられていた。
……拓海の嫁だろうか。
彼女の強さと、拓海が守りたかったものの尊さを、その瑞々しい花びらが物語っていた。
俺は震える手で懐から、あの血と硝煙に汚れたICレコーダーと、親父から受け継いだドスを取り出した。
それらを供物のように墓石の前に供え、ゆっくりと膝をつく。
「…拓海。終わったぞ。お前をハメた親父も、中臣も……全部、お前の道連れにして地獄へ叩き落としてやった」
乾いた喉から絞り出した掠れ声が、冷たく澄んだ空気の中に静かに溶けていく。
不思議と涙は出なかった。
ただ、心の底を沈殿していたどす黒い塊が
冬の陽光に照らされて少しずつ剥がれ落ち、心が透き通っていくような奇妙な感覚だけがあった。
「黒嵜、サイレンの音だ。……組織か、それとも本庁の連中か。追っ手が来るぞ」
志摩が、遠くの街道から響いてくる微かな音を見据えながら低く言った。
その顔に、もはや焦りはない。
俺は静かに空を見上げた。
俺たちの泥塗れで、血生臭い復讐の物語。
その最初の、そして最も重い一区切りが、この冷たい雪の中でようやく終わりを告げようとしていた。
「……志摩。俺はここで待つ。…あんたは、最後くらい『正義の味方』の顔をして、あいつらを迎え撃て」
俺は、掌に残る戦いの残滓を噛み締めるように
もう一振りのドスをゆっくりと、誇り高く鞘に収めた。