薄く開いた視界に、やけに明るい陽が差した。何だか体力的にも精神的にも疲れる夢を見た気がして、再び瞼を閉じる──寸前に、その内容を詳らかに思い出す。一瞬でまどろみから現実へと引き戻された僕は弾かれたようにがばりと上体を起こし、充電しっぱなしだったスマホを掴んだ。
「……ッい、今何時……!?」
まさか、あれは本当にただの夢だったのか。深夜コンビニに煙草を買いに行くついでにトラックに轢かれそうになっていた猫を助けて、帰り道に随分と様変わりした旧友と再会したと思ったら今はなんと時魔導士をやっているらしいので彼の力を借りて全てが変わってしまったあの日に戻って、1人で突っ走ろうとするリトくんの代わりに瘴気だか負のエネルギーだかを浴びて、2人で屋上から落ちて身勝手な説教をかまして、挙句の果てにはヒーローになるだなんて大口を叩いて……いや、ここまで来るといっそ夢だって言われた方が現実的かもしれない。
もしあれが全てただの夢だったらどうしよう。本当は何も変わっていなかったらどうしよう。
恐る恐る電源ボタンを押して、表示された時刻は午後の2時半。日付けも寝る前と一切変わっていない。
ただひとつ違っていたのは、例の配信アプリからの通知が見当たらないことだった。ホーム画面をいくら探してみてもアイコンは無く、ストアを見てみてもアプリをダウンロードした形跡すら見当たらない。僕がこのアプリをダウンロードしたのは『Oriens』の活動がライブ配信されると聞いたからだ。
──つまり、この世界線では『Oriens』はライブ配信を行っていない、ということになる。
「……こ、れは……喜んでいいのか……?」
僕はそうぽつりと呟き、煙草の箱を手に取る。見つけた変化があまりに微々たるものだったせいでこれが良い変化なのかそうでないかの判断がつかない。というか本人の現状が把握できなくなった分不便になってないか? これ。
試しに検索エンジンに『Oriens』と入力してみれば、サジェストは『メンバー』『活動範囲』『ニュース』などと平和なものが続く。前までは『配信アーカイブ』『給料』『顔だけ』とか割と地獄みたいな感じだったのに。
良い方向……ではあるのかもしれない。兎にも角にも悩みの種がひとつ減ったことに変わりないだろう。
そのままネットの記事をいくつか漁ってみたところ、どうやら『Oriens』というヒーローユニットが多忙であることは変わらないらしく、各地に出現したKOZAKA-Cを撃退したとか迷子の犬や子供を助けたなんてニュースがどんどん出てくる。
記事の中には画像付きのものもあって、そこに映っているのはやはりざんばら髪の白い人とピンク髪の大剣の人、そして相棒を胸元に据えたリトくんの姿だった。
その横顔はいつも通り──あの日からずっと見てきた通り、凛とした『ヒーロー』の顔つきだった。
────何か、少しでも変えられたのだろうか。彼が心の重荷を捨てられるように。もしくは彼が、大切な何かを捨てずにいられるように。
きっと全てを好転させることなんて到底できないんだろう。予想通りリトくんは『ヒーロー』でいることはやめられないようだし、ユニットの中にロウくんとるべくんの姿はない。
あの日僕が最善策を尽くしていたってるべくんは記憶を失ってしまうだろうし、ロウくんはまたひとり友達を失ってしまったかもしれない。
でも、それでも。
全部が全部無駄じゃなかったと信じたい。今の僕にそれを知る術はないとしても、ただの自己満足だとしても、運命に翻弄されて彼らが失ったもののうちのほんのひと握りくらいは掬うことができたと思いたい。
だってそうじゃなきゃ、あの日偶然通りすがってくれた時魔導士の彼にも示しがつかないし。
煙草を咥えつつヒーローに関するニュースをまとめたサイトの記事を流し読みしていると、以前見た時は無かったカテゴリが追加されているのに気がついた。閲覧人気順になっているはずなので相当人気なタグだということは伺えるが、それにしたって見たことも聞いたこともない単語だ。ここに来てようやく現れた大きめの変化に藁にも縋る思いでタップしてみる。
「えーっと……? ……なんて読むんだこれ。ディ、ティ……──う゛ぉわッッ!?」
読み上げようとしたところで突然着信音が鳴り響き、危うく煙草もスマホもぶん投げるところだった。どうにか平常心を保ちつつ画面を確認してみると、バナーには『マネージャー』と表示されている。
……マネージャー? こっちの世界線の僕は芸能人にでもなったのだろうか。訝しがりつつも登録してあるということは不審な着信ではないはずなので、一旦応答してみることなする。
「……はい、もしも──」
《あぁ良かった、やっっと繋がった……! 佐伯さんいつまで経っても全然メール見てくれないんですから……》
そう言って安心したように捲し立てるのは、やけにダンディな男性の声だった。どうしよう、マジで何も知らないし面識ないけど失礼があっちゃいけないよな。
「な、なんかすいません……」
《……え? なんかテンション低くないですか?》
「あっ、……いやもぉそんなわけないじゃないっすかぁ! やだなぁもう!!」
《声デカいっすね》
「アすみません」
わけが分からないなりに謝罪したら声の調整をミスったらしい。一方的に知られてる人との会話ってこんなムズいんだ。
……いや、人見知りの僕がこれだけ打ち解けてるってよっぽどだぞ。もしかしてまぁまぁ長い付き合いなんじゃないか? こちらを心配してくれているところ申し訳ないが普段の僕との相違点を教えて欲しい。主にどういう感じの空気感で接してたのかとかそういうことを。
電話の向こうの男性はこちらの方を心配しつつ、何かを思い出したようにあっと声を上げた。
《──というか! ようやく見つかったんですよ、佐伯さん!》
「は、あ、ぇ? なん、何がですか??」
《だから……え? 本当に大丈夫ですか?》
「え? ……いや大丈夫に決まってるじゃないっすかぁ!! やめてくださいよもう!!」
《声デカいっすね》
「すみません」
ムズい。
僕が初対面の知己への対応に頭を抱えていることなんか知らない『マネージャー』さんは「先に資料送りますね」と言って何かを打ち込み始めた。
しばらく待っているとPCの方にメールを受信した旨の通知が入る。簡潔な文章とともに送られてきたファイルを開いてみれば、それはどうやら何かの電子機器の図面のようだった。
《……見ました? どうですか、何だと思います? それ》
「何って……え、何だこれ。ひと昔前のガラケーみたいな──……」
──いいや、違う。
スライド式の画面に立体的なボタンといったレトロな機構と、どことなく近未来感のあるメカっぽいデザイン。そして何より画面下に描かれている模様はいつか実家で見たウチの家紋と全く同じだ。
これはどうも、僕のためにデザインされたもの、らしい。
つまり、これは。
「──これ、って……もしかして、」
《ええ、やっと完成したんですよ。貴方の──佐伯さん専用の、変身デバイスが!》
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