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すでに日が回って翌日となった深夜帯。
王都エアリアの多くは寝静まっているが、王都を囲む城壁や宮殿は、周囲への見張りもあり松明や外灯の明かりが漏れている。
南地区にある石造りの宿。その二階、部屋の外に面したベランダに、金髪碧眼の狐人(フェネック)の姿があった。
丸テーブルの上に置かれたぶどう酒のボトル。それをちびちびと飲みながら、夜の王都を眺めていたリアナだが、唐突に顔を上げた。
「はっ!? ラブコメの気配を感じる――」
自分でも『ラブコメ』が何なのかよくわからないが、時々、イチャイチャする男女を見た時に慧太が呟いていたのを聞いていた。……たまに、彼が言っていた言葉を呟くことがあるリアナである。
ふと、リアナの狐耳が音を拾った。宿と同じく石レンガ作りの四角い建物が立ち並ぶ王都。その建物の屋根を風を切って跳躍する音だ。……こんな芸当ができるものなど、一部の獣人を除けば、『彼』くらいなものだろう。
近づいてくる音。リアナは丸テーブルに肘をつき、それが来るのを待った。数秒後、ベランダに降り立ったのは、黒い人影――慧太だった。
・ ・ ・
「お帰り」
リアナのそっけない労いに苦笑しながら、慧太は自身の影から椅子を作り、彼女の向かいに座った。
「ただいま。……ユウラはもう寝たか?」
「部屋。アスモディアにマッサージされてる」
「マッサージ?」
慧太は耳を疑った。ユウラがあの歩くエロ女魔人にマッサージとか――頭に浮かんだのは邪な思考。
リアナは自身の狐耳を弄った。
「アスモディア曰く、得意だって。……ときどき、えっちぃ声が聞こえてる」
「おぅ……」
それはさぞ、居心地が悪いだろうなと慧太は思った。
鋭敏な狐人の耳は、十数ミータ離れた場所に落ちた落ち葉の音さえ拾う。
当然、別室のユウラとアスモディアの会話が筒抜けだった。……ユウラはいったい、どんなマッサージをアスモディアにされているのだろうか。羨ま――いや、けしからんことになっているだろう、絶対。
「セラには会えた?」
リアナがカップの酒で口を湿らせた。慧太は頷く。
「ああ、寂しがってたよ」
寂しさ、というより心細さから、顔をあわせるなり抱きつかれたことは、彼女の名誉のためにも黙っていよう。
「彼女としては、ライガネンへ行くつもりなんだが――」
慧太は、現在セラが置かれている状況を説明した。
リッケンシルトの王子に求婚を迫られたこと。その見返りとして、アルゲナムをレリエンディールの魔人から奪還すると。
「セラが応じれば、リッケンシルト国がアルゲナムに進攻する?」
「そういうことだ」
慧太は手を分離してコップを作ると、ぶどう酒のボトルから赤紫の液体を注いで一杯煽った。……こんなの、ぶどうジュースと同じだ。
「ただ、王子自身が信用に足るかわからないのと、仮にリッケンシルトが協力したとして魔人軍に対抗できるか非常に怪しい」
「セラは二の足を踏んでいる?」
「気軽に決められるようなことじゃないからな。とくに結婚が絡むなら、簡単にやり直せるようなものでもないだろう」
ふうん、とリアナは淡々としている。……彼女はこの手の結婚やら恋愛の話にはあまり関心がない。年頃の娘が抱くような恋慕など、どうでもいいと思っている節がある。
では何に興味があるのかといえば、『戦い』に関してだ。
暗殺を生業とする一族に生まれた。戦闘スキルと潜入工作、暗殺技術を徹底的に鍛えられた。結果、人は彼女のことを『戦闘狂』と呼ぶ。
「それで、わたしたちはどうするの、ケイタ?」
その青い瞳は何を考えているのかわからなかった。空っぽのようで、しかし真っ直ぐで、水面のように清んでいて。
「セラが決めることだ」
ライガネンを目指す旅も、セラの目的、彼女の旅だ。続けるもやめるも、アルゲナムのお姫様次第。
「だが、彼女の意思が蔑ろにされるような事態になるなら、オレたちで助けないといけない」
それはリッケンシルトの王族を敵に回す危険性も秘めている。
だが慧太のそんな発言に、リアナは一瞬目を輝かせた。戦闘狂の一面が覗いたのだ。だが次にリアナが口にしたのは確かめるような言葉。
「……もし何もなければ?」
何もなければ――慧太は笑みを貼り付けようとしたが、上手く行かなかった。
「その時は、オレたちはお役御免だな」
ハイマト傭兵団のアジトへ戻る――だが、もう傭兵団はないと思い出し、胸が締め付けられた。セラを守る旅を決意したあの日、魔人らによって。
「寂しい……?」
リアナが小首を傾げる。慧太は自嘲した。
「そう、見えるか?」
金髪碧眼の狐娘は首肯した。彼女はボトルをとると、おかわりを薦めた。慧太はカップにぶどう酒を注いでもらいながら言った。
「何事もなければいいんだろうけど……どこか面倒事になったらいいなって思ってる」
矛盾した感情。慧太は呟くのである。
こういう幕切れは、まったく想像してしなかったし、認めたくない、と。
・ ・ ・
翌朝、宿で、カリカリに焼けた目玉焼きと堅いパンの朝食をとりながら、慧太は昨夜のセラの様子と状況をユウラに説明した。
リアナと話したような内容を青髪の魔術師に告げたのだが、彼は呆れも露に言った。
「本気でそう思っているのですか、慧太くん?」
随分と見通しが甘いことで――朝食のあと、部屋へと戻る道すがらユウラは容赦なかった。
「王子の意向やセラさんの考え以前に、リッケンシルト国とレリエンディールが実際に戦ったらどうなるかを考えたほうが早いのではないですか?」
部屋に戻るなり、ユウラは席についた。机を挟んで慧太が座る。リアナは慧太の横、アスモディアはユウラの隣に立っていた。
「婚約したらアルゲナムを奪還する? リーベル王子が本気でそんなことを言っているなら、この国も早々遠くない時にレリエンディールに滅ぼされるでしょうね」
アスモディア――と、ユウラが傍らの女魔人を見上げた。
「率直な意見を聞こう。レリエンディール軍は、リッケンシルト国を脅威と見なしているか?」
「いえ」
七大貴族という、魔人の国でも有力な家系の出であるアスモディアは即答だった。
「二個軍もあれば十分でしょう。精鋭七軍ならば、一個軍でリッケンシルト国の大部分は制圧できましょう」
「なんだそれ……」
慧太は開いた口が塞がらなかった。
「つまり、魔人軍はリッケンシルト国など歯牙にもかけていない?」
「ええ、まったく」
女魔人は、そのたっぷりある胸を突き出すように胸を張った。
「はっきり言えば、雑魚。いえ道端の雑草ね。見る価値もないわ」
「……そんな雑魚扱いなら――」
慧太は皮肉げに唇の端を吊り上げた。
「どうしてリッケンシルト国をさっさと攻めないんだ? 楽に支配できるんだろ」
「レリエンディール内の強行派閥は、そうすべきと言っていたのだけれど」
アスモディアはその赤い唇に指を当てた。
「むやみやたらに戦線を拡大して、人間側に早々団結されても困るという意見もあるのよ。だから時期を見定め、少しずつ弱いところを切り崩している段階ね。ただ、その気になればレリエンディールはすぐにでもリッケンシルトを滅ぼせる戦力は持っているのは間違いないわ」
だからですね――ユウラは腕を組んだ。
「リッケンシルト国に頼るのは別に構わないのですが、やはりセラさんは当初の予定どおりライガネンに行き、人類側の対抗戦力を整えるのが上策と思うのですよ」