テラーノベル
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《フロリダ・ケープカナベラル宇宙軍基地/発射管制室》
巨大スクリーンに、
夜明け前の発射台が映っている。
ロケットの頭の中には、
人類初の「小惑星偏向機」アストレアA。
白い機体の側面には小さく
PLANETARY DEFENSE
ASTRAEA-A
の文字と、各国の旗。
管制室の上部に、
電子音とともに数字が点灯する。
<T-00:10:00>
PDCO担当官がマイクを握る。
「これより、
最終Go/No-Goポーリングに入る。」
「フライト?」
『フライト、Go。』
「推進系?」
『プロップ、Go。』
「誘導?」
『ガイダンス、Go。』
「レンジ?」
『レンジ・セーフティ、Go。』
「JPL/CNEOS?」
『オメガ軌道、打ち上げ条件内。Go。』
「JAXA?」
相模原とケープを結ぶ専用回線から、
少し緊張した日本語の英語が返る。
『JAXA/ISAS、トラッキング準備完了。Go。』
「ESA?」
『ESA、Go。』
短い言葉が、
世界中の「はい」をつないでいく。
最後に、担当官が確認する。
「プラネタリーディフェンス・ミッション、
アストレアA——」
「このタイミングでの打ち上げに、
PDCOとしての判断は?」
アンナ・ロウエルが、
端末から顔を上げた。
「PDCO、Go。」
それは、
“もう悩む時間は終わりだ”
という宣言でもあった。
スクリーン右上のカウントが進む。
<T-00:02:00>
「最終ターミナルカウントに入る。」
「機体、内部電源へ切り替え。」
パネルのランプが一つ、また一つと
白から緑に変わっていく。
マーク・ヘインズが
無意識に手の中の紙コップを握る。
(もう、
俺たちが触れるのは“数字”だけだ。)
(あとは、
ロケットと宇宙と、
少しの運。)
<T-00:00:30>
管制室の空気が一段重くなる。
「みなさん、
静かに見守ってください。」
誰かが小さな十字を切り、
誰かがペンダントを握りしめた。
「Ten…
nine…
eight…」
英語のカウントダウン。
「seven…
six…
five…」
発射台の下で、
白い蒸気が噴き出し始める。
「four…
three…
two…
one…」
「メインエンジン点火。」
スクリーンの中で、
夜明け前の闇が一瞬、白に塗りつぶされた。
「リフトオフ!」
轟音が、
映像を通しても分かるほどの
震えになって管制室に届く。
誰も、
まだ拍手はしない。
《総理官邸・地下危機管理センター》
大きなスクリーンに、
同じ映像が映っていた。
日本語のテロップがかぶる。
<人類初の“惑星防衛作戦”
アストレアA 打ち上げ成功か>
サクラは、
両手を組んで口元に寄せながら
じっと画面を見つめている。
(……飛んだ。)
(“飛ばすかどうか”で
何ヶ月も揉めてきた矢が、
今、空に出た。)
隣で藤原が、
冷静な声で状況を読み上げる。
「上昇角、予定値のレンジ内。
速度も正常。
レンジ・セーフティから問題報告なし。」
中園広報官は、
別モニターで各局の中継を確認していた。
「国内テレビ各局、
ほぼ同じ映像を使っています。」
「SNSでは“#アストレア飛んだ”と
“#頼むぞ人類”がトレンドに。」
サクラは、
小さく息を吐く。
「“頼むぞ人類”って、
けっこう雑な祈りよね。」
「でも嫌いじゃないな、そういうの。」
藤原が、
わずかに口元を緩める。
「“細かい計算は専門家に任せて、
最後は一言で祈る”——
それもまた、人間らしさでしょう。」
スクリーンの中で、
ロケットは雲を突き抜けていく。
その後ろには、
細く長い白い軌跡。
(あの軌跡の先に、
“うまくいかなかった未来”も
“うまくいった未来”も
両方ぶら下がってる。)
(私たちは今、
どちらかに賭けた——
その事実だけは、
絶対に消えない。)
《東京都内・公立中学校・教室》
暗くした教室。
黒板の上に設置されたテレビの中で、
ロケットが空に消えていく。
「うおー……」
最前列の男子が、
思わず声を漏らした。
理科教師が、
少しだけ笑って言う。
「はい、静かに。
でも、まあ気持ちは分かる。」
画面下にテロップが流れる。
<アストレアA打ち上げ
現在のところ異常なし>
教室のあちこちで、
小さなささやき。
「ほんとにあれが
隕石に体当たりすんのかよ。」
「まだ“着く”まで
何日もかかるんでしょ?」
「うっわ、
失敗したらマジで地球終わるじゃん。」
隅の席で、
ひとりの女子生徒が
ノートに小さく書き込む。
<Day55:
人類が自分で打った矢>
(テスト勉強より、
こっちの方がよっぽど
後で覚えてるんだろうな。)
理科教師が、
テレビの音量を少し下げて話し始めた。
「さて。
アストレアAが目指しているのは
“オメガ本体のど真ん中”じゃない。」
「さっきの解説にもあったように、
“ちょっと肩を押す場所”だ。」
教室のモニターには、
CGで描かれたオメガと
その横をかすめていくアストレアA。
「それは、
“壊す”ためじゃなくて、
“コースをずらす”ため。」
「みんなも、
自転車に乗ってる友だちの横から
ちょっと肩を押したら
進む方向が変わるの想像できるだろ?」
教室の緊張が、
すこしだけほどける。
(でもその友だちが、
人類全部乗っけて走ってる
巨大な岩なんだよな……)
女子生徒は、
自分のノートの余白に
もう一行加えた。
<怖いけど、
やらなかったらもっと怖かった作戦>
《JAXA/ISAS 相模原キャンパス・正門前》
朝の空は薄曇り。
それでも正門前の歩道には、
すでに多くの人が集まっていた。
「アストレアA、
ただいま打ち上げ準備中とのことです。」
ニュースの中継車から、
レポーターの声が響く。
「ここ相模原では、
“科学者を応援する会”と
“黎明教団”の人々が
同じ歩道でそれぞれのプラカードを掲げています。」
「“がんばれプラネタリーディフェンス”」
「“神の光を撃つな”」
相反する言葉が、
同じ空に向かって上がる。
警察官たちは、
昨日まで以上に目を光らせていた。
「列を崩さないでください。」
「押さない、走らない、触らない。」
その声の中、
門の内側から一人の男性科学者が歩いてくる。
四十代くらい。
白衣に、防災用のヘルメット。
胸には“小惑星研究”の名札。
彼は、門のところで一瞬だけ立ち止まり、
外の人々を見渡した。
「……行ってきます。」
誰にというわけでもなく、
小さくそう呟いて
通用門へ向きを変えようとした、その時——
「待ってください!」
白いローブを着た男が、
列から飛び出してきた。
「あなたたちが、
光を消すボタンを押してるんでしょう!」
男が掴んだのは、
科学者の白衣の袖。
警察官がすぐに割って入る。
「手を離してください。
ここで手を出したら、
あなたの方が“罪”になります。」
「罪なんか構うもんか!」
男は振り払おうとして
バランスを崩し、
科学者と一緒に地面に倒れ込んだ。
「っ……!」
アスファルトに擦った肘から
血がにじむ。
「先生!」
近くにいたJAXA職員が駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
「だ、大丈夫……
ちょっと打っただけだから……」
科学者は、
痛みをこらえながらゆっくり起き上がった。
その顔には、
恐怖と怒りと、
それでも仕事に向かおうとする
意地のようなものが入り混じっている。
倒れた男は、
警察官に押さえられながら叫んだ。
「俺たちは、
ただ“やめてくれ”って言ってるだけだ!」
「ロケットの前に立って、
祈るだけだ!」
「それのどこが悪い!」
周りから、
スマホを構える人々のざわめき。
「殴ってない!
ただ掴んだだけだ!」
「掴んだ時点でアウトなんだよ!」
レポーターが、
震える声で状況を伝える。
「えー、ただいまJAXA前で、
黎明教団とみられる参加者と
職員の方との間でもみ合いがあり……」
門の内側から、
白鳥レイナがその様子を見ていた。
科学者と目が合う。
「……行けそう?」
彼は一瞬だけ笑い、
肘を押さえながら頷いた。
「行かないわけにいかないでしょう。」
「今日ほど、
“仕事に出る”って行為が
重い日はないですけど。」
レイナも、
小さく笑い返す。
「じゃあ、
全力で“行ってらっしゃい”って言うわ。」
「行ってらっしゃい。」
その一言に背中を押されて、
彼は足を引きずりながら
建物の中へ消えていった。
(ああいう人たちの顔を、
本当は世界中に見てほしい。)
(“光を撃とうとしている側”にも、
怖がりながら毎日来ている人間がいるってことを。)
レイナは胸の奥で、
静かにそう思った。
《フロリダ・ケープカナベラル宇宙軍基地/発射管制室》
スクリーンに表示されたロケットの軌道が、
点線から実線に変わる。
「第一段分離、確認。」
「フェアリング分離、確認。」
「アストレアA、
予定どおり地球低軌道へ投入。」
管制室のあちこちから、
小さな拍手が起こる。
だが主任は、
手を上げてそれを制した。
「まだだ。」
「“おめでとう”は、
オメガに届いてからでいい。」
アンナが、
小さく息を吐く。
(それでも——
ここまでは来た。)
(人類が、自分で自分の星を守ろうとして
実際に矢を放った日。)
「アストレアA、
次の噴射までクルーズフェーズに移行。」
「次の“本番”はDay36だ。」
マークが、
隣の同僚と拳を軽く合わせた。
「“第一関門クリア”ってことで、
今だけはちょっと喜んでもバチ当たらないだろ。」
「ああ。
神様が見てても、
これくらいのガッツポーズは許してくれるさ。」
《総理官邸・地下危機管理センター》
スクリーンに、
テロップが踊る。
<アストレアA打ち上げ成功
地球防衛ミッション第一段階クリア>
センターの中に、
小さな拍手が広がった。
サクラは、
ほんの少しだけ目を閉じてから
口を開く。
「……まずは、
“飛んだ”ことを
ちゃんと国民に伝えないとね。」
中園広報官が頷く。
「先日録画したメッセージに、
“打ち上げ成功”のテロップを追加して
ニュースで流すよう手配します。」
藤原が、
警備状況のモニターを確認しながら言う。
「相模原での軽傷者一名。
現場は収束しつつあります。」
「ですが、
“光を守りたかったのに止められなかった”
という感情が、
今後どう動くか。」
サクラは、
わずかに表情を引き締めた。
「“止められなかった悔しさ”も、
“飛んでくれてよかった安心”も、
どちらもこの国の感情よ。」
「どちらかをなかったことにしたら、
きっと後で大きく割れる。」
「だから私たちは、
どちらの声も
“生きていてほしい”側に置いておく。」
それは、
誰に向けたというわけでもない
独り言のような宣言だった。
《黎明教団・信者の部屋》
小さなワンルーム。
カーテンを閉めた部屋の中で、
ひとりの青年が
ノートPCの画面を食い入るように見つめていた。
そこには、
アストレアAの打ち上げ中継の録画。
「……ほんとに、
飛んじゃった。」
胸元のペンダントを握る手に、
汗がにじむ。
チャットアプリを開くと、
セラのメッセージが固定されている。
<ロケットは飛びました。
でも、まだ“光に届いて”はいません。>
<これから数十日。
私たちは“祈りを集める時間”を与えられました。>
<諦めないでください。
光は、
最後の瞬間まで
選び直すことができます。>
青年は、
ゆっくりと立ち上がった。
(あいつらは“やれることは全部やった”って
胸を張るんだろう。)
(だったらこっちだって、
“やれることは全部祈った”って
胸を張れるようにしなきゃ。)
窓の外、
まだ薄い朝の空。
どこかずっと遠くで、
さっき飛んだばかりの矢が
静かに軌道に乗ろうとしている。
その日、
オメガの軌道はまだ変わらない。
変わったのは、
その軌道に向かって
「人類の矢」が一本
放たれたという事実だけだった。
科学者は計算を続け、
政治家は言葉を準備し、
信者は祈りを集め、
市民はそれぞれの画面越しに
空を見上げた。
アストレアA、打ち上げ成功。
次の節目は、Day36——
オメガとの“本当の接触の日”である。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.
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