コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
※半同棲中
━━━━━━━━━━━━━━━
きっかけは些細なことだった。
最近、みことのアルバイトが忙しく、帰宅が遅れる日が続いていた。
「……また連絡なし」
すちはスマホを見つめたまま、苛立ちを抑えきれずに呟いた。
夜になって帰ってきたみことは、相変わらずの笑顔だった。
「ただいまー、遅くなっちゃってごめんね」
「…遅くなるの、わかってたんならせめて一言くらい入れてよ」
「えっ……そんなに怒ることかな……?」
みことの困ったような笑みに、すちの胸の奥がざわめいた。
「怒ってるよ、そりゃ。どこで何してんのかもわからないまま、何時間も……」
「でも、バイトだったんだよ?ちゃんと真面目に働いてただけで……」
「そういうことじゃない!」
声が少し強くなった瞬間、みことの表情がはっと強張る。
「……ごめん。でも、そんな言い方しなくても……」
「みこちゃんって、いっつもそうやって人の気持ち後回しにするよね」
すちの声は低く、怒っているのに悲しげだった。
「俺のこと、心配してるとか言うくせに、結局、自分で勝手に決めて動いて、俺には何も言わない。……信じられてないみたいで、苦しいんだよ」
みことは胸がぎゅっと締めつけられた。
(そんなつもりじゃない。わかってる。でも……)
「……ごめん」
それだけ言うのが精一杯だった。
だけど、すちはそれに納得してくれなかった。
「ほんとにそう思ってんなら、何でまた同じことすんの。みことの“ごめん”は、いつも軽すぎるんだよ」
その言葉が、みことの奥底に刺さった。
ぐらつく気持ちと悔しさと、どうしようもない自分自身への情けなさが、いっぺんにあふれてしまった。
「……もう知らない。そんなに怒るなら、すちのことなんて……」
みことはうつむいて、小さく、でもはっきりと言った。
「……嫌い」
その瞬間、空気が凍った。
すちの目が見開かれる。
息をのんだまま、何も言わない。まるで、世界が止まったみたいだった。
みことはすぐに、取り返しのつかないことを言ったと気づいた。
だけど、引っ込みがつかなかった。
(なんで、こんなこと言っちゃったんだろう……)
目が熱くなって、涙が込み上げる。
だけど、すちはただ黙っていて、何も返してくれなかった。
静寂の中、みことは「今日は帰る」と言い残し、その場を離れて、自宅に逃げるように出ていった。
ドアを閉めたあと、背中にずしんと重く残る後悔の感情。
(本当は……嫌いなんかじゃない。大好きなのに……)
だけど、もう声にする勇気がなかった。
━━━━━━━━━━━━━━━
家に帰りベッドに倒れ込んだ瞬間、涙がぽろぽろと零れた。
(なんで……なんで、あんなこと言っちゃったんだろう)
「嫌い」なんて、そんなわけないのに。
怒られたのが悲しかったわけじゃない。
ただ、すちの声が強くて、心がびっくりして、言い返すように口が勝手に動いてしまった。
「……バカ、俺……」
すちは、ずっと心配してくれてた。
独りよがりで動いてしまった自分を、ちゃんと叱ってくれていたのに。
あんなふうに怒ってくれるのは、すちが本気で自分を大事にしてくれてるから――本当は、それを一番わかってるのに。
「ごめんって……言いたいのに……」
喉がつまって、声にならない。
謝ろうと口を開いても、「ごめん」も「好き」も、全部胸の奥で溺れてしまう。
すちの顔を思い出すと、胸が痛くて、苦しくて、涙が止まらなかった。
枕に顔をうずめて、肩を震わせて泣く。
すちもきっと、怒ってる。悲しんでる。呆れてるかもしれない。
(もし……あのまま、すちに嫌われたら……)
考えたくもない想像が、ふっと胸を過った。
「……いやだ……」
ぽつりと、呟いた言葉が、静かな部屋に消えていった。
まぶたを濡らしながら、みことは布団を抱きしめる。
その腕に、あの大きくて温かいすちの体温を探すように。
謝りたくても、すぐには言えない。
でも――明日こそは、ちゃんと伝えたい。
震える心の中で、静かにそう決意しながら、みことは眠りについた。
━━━━━━━━━━━━━━━
「……嫌い」
その一言が落ちた瞬間、すちは固まったまま、言葉を失った。
みことの足音が遠ざかり、玄関の扉が閉まる音が響く。
残されたリビングには、静寂と、胸を締めつける痛みだけが残った。
(……今、みこと、なんて言った?)
嫌い――あの優しくて、柔らかくて、誰よりも自分に寄り添ってくれていたはずのみことの口から出た、冷たい言葉。
怒ってたのは、自分のはずだった。
でも今は、何もかもがぐちゃぐちゃだった。
「……は、俺、何やってんだよ」
怒鳴ったのは、心配だったから。
もっとちゃんと向き合いたかっただけだった。
なのに、言葉は棘になって、あいつを追い詰めた。
「みことが悪いって、思ってたはずなのに……」
喉の奥に苦い塊が詰まって、うまく飲み込めなかった。
(みこと、泣いてた……か?)
ふと思い出す、うつむいた横顔。
声を絞り出すような、あの「嫌い」は、本心じゃなかった。そう思いたい。
でも、思いたいだけで確信が持てない自分がいて――それが、一番つらい。
「……ちくしょう」
髪をかきむしるようにして、すちはソファに崩れ落ちた。
(俺が、ちゃんと抱きしめてやればよかったのに。あんな言葉、吐かせる前に……)
後悔が、胸を締めつけた。
怒りよりも強い感情が、胸の奥で暴れていた。
それは――
(君を、失いたくない)
ただ、それだけだった。
━━━━━━━━━━━━━━━
♡400↑ 次話公開