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#オリジナルストーリー
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第二話 ①【消えた終電客】
翌朝、北松誉は最悪の目覚めを迎えた。
知らない男が床で寝ていたからである。
「……うわ」
寝起きの第一声としてどうかと思うが、他に適切な言葉が浮かばなかった。
カーテンの隙間から差し込む朝の光の中で、シオンは誉の部屋のラグの上に転がっていた。片腕を投げ出し、Tシャツの裾が少しめくれ、妙に無防備な寝方をしている。
昨日の夜、何がどうしてこうなったのか。
思い出した途端、誉は布団の中で顔を覆った。
終電。
尾行。
倒れた男。
通報。
事情聴取。
財布をなくしたベーシスト。
そして、なし崩し的な宿泊。
「夢であってほしかった……」
現実だった。
会社用のスマホを見る。六時三十七分。
出社までの時間を考えると、のんびりしている余裕はない。
誉は布団から抜け出し、なるべく音を立てないように洗面所へ向かった。だが顔を洗って戻ると、シオンはもう起きていた。正確には、起き上がったまま寝ぼけた顔で誉を見ていた。
「おはよ」
「……おはようございます、じゃないんですよ」
「朝から機嫌悪」
「知らない男が家にいる朝で機嫌よくいられる人、かなり少数派だと思いますけど」
「でももう知ってるじゃん。俺シオン」
「名前だけです」
「名前知ってたらだいぶ知り合い寄りだよ」
「その理論、怖いな……」
シオンは大きくあくびをして、髪をかき上げた。寝癖が跳ねているのに、妙に様になっていて腹が立つ。
「腹減った」
「知りません」
「冷蔵庫」
「勝手に開けないでください」
「昨日も言ってた」
「昨日も開けたからです」
だが言っているそばから、シオンは冷蔵庫の前にしゃがみこんでいた。
「卵あるじゃん」
「ありますけど」
「焼いて」
「なんでですか」
「泊めてもらったし、朝ごはんくらい一緒に食べるかなって」
「どういう理屈なんだ……」
「北松って朝、食べないタイプ?」
「ギリギリまで寝てたいタイプです」
「社畜っぽ」
「その言い方やめてください」
誉は深くため息をつき、結局フライパンを出した。
我ながら押しに弱すぎる。卵を割りながら、どうして知らないベーシストの朝食を用意しているのかと、自分の人生に問いただしたくなる。
食卓らしい食卓もない一Kで、二人はローテーブルを挟んで目玉焼きを食べた。
シュールだった。
「北松、料理できるんだ」
「目玉焼きで料理判定されるのもどうかと思います」
「でも塩コショウちょうどいい」
「どうも」
「嫁に向いてるね」
「最悪の褒め方だな」
シオンが笑う。
そのタイミングで、誉のスマホが震えた。
画面には、登録のない番号。
心臓が嫌な音を立てる。
「……」
「出れば?」
「軽く言いますね」
「重くしたら出なくていいの?」
「そういう話じゃなくて」
誉は嫌々通話ボタンを押した。
「……はい、北松です」
相手は、昨夜現場にいた警察官だった。
倒れた男は意識を取り戻したらしい。ただし、事情を聞こうとしたところ、妙なことが起きたという。
「妙なこと、ですか」
『ええ。本人が、途中で病院を抜け出してしまいまして』
「……は?」
誉は思わず立ち上がった。
シオンが目を細める。
『頭部にけががあったので止めたのですが、監視の隙を見ていなくなりました。防犯カメラを確認中です。北松さんと、昨夜ご一緒だった方にも、改めてお話をうかがいたくて』
「病院を、抜け出した……?」
『はい』
誉はしばらく言葉を失った。
昨夜、あれだけの出血をしていた男が、自分の足で消えた。
意味が分からない。理解が追いつかない。
『本日中で結構ですので、お時間いただけますか』
「……仕事が」
反射的にそう言いかけて、誉は詰まった。
昨夜の件を会社にどう説明すればいいのかも分からない。だが警察の呼び出しを無視できるはずもない。
『難しければ夕方以降でも』
「……分かりました」
通話を切ると、シオンが頬杖をついたまま言った。
「消えたんだ」
「聞いてたんですか」
「丸聞こえ」
「病院を抜け出したって……普通じゃないでしょう」
「普通じゃないね」
「あなた、驚かないんですか」
「ちょっとは驚いてる」
「ちょっとなんだ……」
シオンは目玉焼きの黄身を箸で崩しながら、ぼそりと言った。
「でも、逃げたんじゃなくて、“消えた”んだとしたら面白い」
「面白くないです」
「北松、顔色やばいよ」
「やばくもなりますよ」
「会社休めば?」
「休めません」
「じゃあ死ぬほどだるい顔で行くの?」
「それはいつもです」
「悲しいこと言うなよ」
誉は無言でネクタイを締めた。
だが実際、いつも以上に頭が回らなかった。
病院から消えた男。
シオンを尾けていた男。
そして、その男がなぜ自分まで見ていたように思えたのか。
考えれば考えるほど、胸の奥がざわつく。
「ねえ」
シオンが言う。
「今日の夕方、俺も行く」
「どこにですか」
「警察」
「なんで当然みたいに」
「当事者だし」
「まあ、そうですけど」
「それに」
「それに?」
「昨日のあいつ、たぶん俺を見てた。でも北松のことも見てた。そこ、気になる」
誉は返事をしなかった。
図々しくて、面倒で、厄介な男だ。
けれどその言葉だけは、妙に引っかかった。