テラーノベル
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あの教室を出てから、どれだけ歩いたか、わからなかった。
気づけば昇降口の隅、壁にもたれていた。誰もいない放課後。
足音すら聞こえない静けさのなかで、俺は、ただ立ち尽くしていた。
視界の端が、じんわりと滲む。
誰も見てないってわかってるのに、涙は拭えなかった。
膝が笑って、うまく立っていられなくなって、壁に背を預ける。
(やっぱり……駄目なんだよ、俺は)
蓮司の顔が、まだ頭の中にこびりついてる。
喉にそっと添えられた手。
ぐちゃぐちゃの胸の奥に、笑いながら言い放ったあの声。
——「おまえの“触れてほしい”が、すべてを壊してきたんだろ?」
何度も、聞こえないふりをしてきた。
俺のせいじゃないって、思いたかった。
でも、あいつにそう言われたとき、どこかで納得してしまった自分がいた。
(全部、俺が欲しがったからだ。……それで、壊した)
日下部の名前が、喉の奥で引っかかる。
あいつの声が、優しくて、まっすぐで、まぶしすぎて──
でも、俺はそれに手を伸ばして、また「壊す」未来しか見えなかった。
(ごめん……ほんとうは、もっと近づきたかった)
身体の奥が、きしんだ。
声も出せないくらい、息がつかえる。
ああ──
ここで誰かに見つかるくらいなら、いっそ、消えてしまいたい。
そう思っていたときだった。
「──遥」
聞こえた。声が。
その瞬間、全身がびくりと震えた。
(どうして、ここに……)
顔を上げられない。
見られたくない。この顔を、この姿を。
なのに、あいつの声は、いつも通りだった。
優しくて、まっすぐで、迷いがなくて──
「……やめろよ」
口から零れた声は、誰にも届いてほしくなかった。
でも、それでも俺は、言わずにいられなかった。
「俺なんかに、関わるな……」
(それが、おまえのためだ)
心の奥では、何度も否定してほしかった。
それでも、俺が口にするのは、拒絶の言葉だけだった。
だけど──
「関わりたいって思った。だから、もう手遅れだよ」
その言葉が、あまりに優しくて、あまりに正しくて。
どうして、こんなふうに言われてしまうのか、わからなかった。
俺の目が、彼を見た。
その瞬間、堰が切れたように、胸が痛くなった。
「……俺、おまえのこと……壊したくないんだよ」
やめてくれ、って思った。
それ以上、言わないでくれって、心の中で何度も叫んだ。
でも──
「壊してなんか、ねえよ」
(違う──違うよ、日下部)
「おまえが泣いてても、怒ってても、逃げても──俺の中では、全部“おまえ”なんだ」
──そんなふうに言うなよ。
「っ……違う……っ!」
顔を背けた。
目を逸らさなきゃ、今にも泣きそうだった。
逃げなきゃ。逃げなきゃ。
逃げなきゃ壊す。
──でも、本当に壊れていくのは、俺のほうだった。
手は伸ばされなかった。
日下部の手は、最後まで、宙で止まっていた。
それが、どこまでも優しくて。
どこまでも、俺を追い詰めた。
(……どうして、おまえなんだよ)
そう思いながら、遥はもう一度、黙って目を閉じた。
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