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やってきた収録当日。
倉木が本番前にスタジオでリハーサルをしていると、まだ入り時間ではないハルが、そっと辺りをうかがうように入って来るのが見えた。
キリがいいところで倉木は席を外し、スタジオの隅にいるハルのもとへ行く。
「谷崎さん、こんにちは。今日はよろしくお願いします」
「あ、こ、こんにちは。こちらこそ、よろしくお願いいたします。あの、倉木さん。先日は本当にありがとうございました。こちらをお返しします。お気に召すか自信はありませんが、受け取っていただけますと幸いです」
「ありがとうございます。ではありがたく受け取らせていただきます」
ギクシャクと硬い動きのハルから、薄くて四角い箱を受け取ると、倉木はそれを内ポケットに入れた。
周りの目がある為、すぐさま頭を下げて二人は別れる。
やがて収録の本番が始まった。
「それではゲストの方をご紹介しましょう。まずは、水曜夜9時から放送のドラマ『悲しみの果て』にご出演中の、谷崎 ハルさんです」
女性アナウンサーに紹介され、「こんばんは。よろしくお願いします」とハルが挨拶する。
「えー、ドラマはまだ始まったばかりですが、既にたくさんのNGシーンを頂いております。まずは、谷崎 ハルさんのおちゃめなNG、10連発です。どうぞ!」
カメラに向かって手を差し出しながら、倉木は、10連発って!と心の中で突っ込む。
流れ始めたVTRを、興味津々で見つめた。
『これ以上あなたに話すことなんて何もないわ。さよなら』
冷たく相手役の男性に言い放ち、スッと背を向けて立ち去るハル。
小さくなるその背中を、男性は呆然と見送る。
すると颯爽と歩いていたハルが、クキッと足をくじいてよろめいた。
真顔で見つめていた男優も、思わずズコッとなる。
カット!の合図のあと、一斉に笑い声が上がった。
「おーい、ハルちゃーん」
「ごめんなさい!」
眉をハの字に下げ、両手を合わせてハルが謝る。
「シリアスないい演技だったのにな。スタスタスタ、コケッ!みたいなオチ」
監督らしき人の言葉に、あはは!とまた笑いが起こる。
そのVTRを見ながら、倉木も思わず笑みをもらした。
その次は、愛する人を想って涙する難しいシーン。
ハルは、彼が出て行った部屋で一人、静かに涙を流す。
切ない表情をアップで捉え、倉木も思わずハルの演技に引き込まれた時だった。
グルグルグルグルー…
割り込んできた音に、なんだ?と思っていると、ハルが気まずそうに困った顔になる。
「カットー!」
「おーい、ハルちゃーん!」
「ごめんなさい!」
またもやハルが両手を合わせて謝る。
「さっき、天丼ガッツリ食べてたよな?あれは幻か?」
冷やかしの言葉に、ハルのお腹が鳴ったのだと分かる。
「もうワンテイク、泣ける?」
「大丈夫です!今のこの残念な気持ちを思い出せば、泣けます!」
あはは!と、ハルの言葉にまた笑い声が上がった。
(へえ、谷崎さんってこんなに天真爛漫な子だったんだ)
倉木は自然と微笑みながら、モニターを見つめる。
次のシーンもシリアスで、彼の手を振り解きながら「もう嫌!これ以上傷つきたくないの!」と走り去るはずが、セリフを噛みまくってしまう。
「傷ちゅきたくないの!」
「きじゅつきたくないの!」
「きじゅちゅきたく…え?何が本当なの?」
最後には「これいぞう…傷ちゅ、もう傷ついちゃった」とこぼす始末。
「おーい、ハルちゃーん。傷ついちゃった、って愚痴はちゃんと言えたのに」
「あはは!惜しい、そっちじゃない!」
そんな調子でハルのNGは続き、VTRが明けてスタジオに戻った。
倉木は
「シリアスなドラマですが、撮影現場は楽しそうですね」
とハルに話を振る。
「あ、はい。NGを出すのは私だけなので、共演の方々やスタッフの皆さんに申し訳ないのですが…」
ハルが顔を赤くしながら縮こまってそう言うと、倉木はにっこり笑った。
「NGシーンをお待ちしている我々この番組のスタッフにとっては、大変ありがたいですよ」
「そう言っていただけると、出した甲斐があります。報われました、ありがとうございます」
「あはは!これからも撮影は続きますが、どうぞお身体に気をつけてがんばってください。ドラマの続きも楽しみにしております」
「はい!NGは出さないように、いえ、この番組の為にほどほどに出しつつ、がんばります!」
真面目に答えるハルだったが、周囲からは笑いが起こる。
そして番組の最後に発表されるNG大賞は、見事ハルの頭上に輝いた。
「ふあー、もう、ぐったり」
収録を終えて控え室に戻ったハルは、衣装のままドレッサーに突っ伏す。
収録に疲れたというよりは、倉木と一緒だったことに緊張して疲れ果てていた。
「あー、なんか変なこと言わなかったかな?」
独りごちていると、マネージャーが嬉しそうに肩を叩いてきた。
「やったわね!ハル。NG大賞ももらえたし、コメントもウケてたし。なかなか良かったわよ」
「えー、そうですか?NG出して賞もらうって、喜んでいいのか…」
「まあね、本来ならダメでしょうけど。面白いNGなら結果オーライよ」
「はあ…。ありがとうございます」
「じゃあ、他の共演者の方にご挨拶してくるわね」
いつになくご機嫌なマネージャーは、鼻歌混じりに部屋を出て行った。
ハルは改めて、ふう、とため息をつく。
(倉木さん、ハンカチ気に入ってくれるかな?)
あの時、結婚披露宴で差し出されたハンカチは、高級ブランドの真っ白なハンカチだった。
同じブランドの同じハンカチを買って返すつもりだったが、いざお店に行くと、さり気なく薄いブルーのパイピングが施された真っ白なハンカチが目に留まり、思い切ってそちらを購入した。
しかもそれは、薄いピンクのパイピングの女性用もあり、ペアで販売していたのだ。
つまり、その女性用の方は、今ハルが持っている。
(勝手にペアで持っちゃって、なんだかストーカーみたいで怖いかな?でもこれくらい、いいよね?)
ハルは、衣装のポケットからそのハンカチを取り出すと、ふふっと微笑んでから大切にバッグにしまった。