──最近の若い子は何を考えているか分からない。
眉根を寄せて、口をキュッと閉じて。
商店街のアーケードの入口で、花咲蓮は年寄りくさい表情をつくってみせた。
好きだなんて。
デートだなんて。
講義が終わるなり、そそくさと学校を出て待ち合わせ場所にやってきた自分もどうかと思う。
誰が見ているわけではないが、今度はキリリと顔を引き締めた。
いや、少なくともこれはデートではない。
「買いものだ」
蓮はひとり、声を張った。
賑わいをみせる商店街で、そばを歩く女性がギョッとしたようにこちらを見やる。
すみませんと頭を下げて、蓮はあらためて口元をキュムッと結んだ。
そう、これは買いものなのだ。
──バイト先の荒物屋で社員割が使えるんです。100円の食器も3割引きで買えるので。
そう言われて飛びついた自分も……そう、どうかと思うのだ。
「でも、食器は必要だし。買おうと思ってたし。できるだけ安いのを探してたんだし」
荒物屋とは、鍋や食器など生活に必要な雑貨類を扱う店を指す。
18歳の青年の口から「荒物屋」なんて言葉が出てきたことに、まず驚いたものだ。
蓮のボロアパートに味をしめたらしいモブ子ら三人組は、今日の講義前にも「また手伝いに行ってやる」なんて恩着せがましく話しかけてきた。
ほどよい作業場所を見付けたという魂胆は見え見えだ。
自宅に学生を招くのは立場上避けなければならないとは思うが、いずれまたアンケート集計などを頼むこともあるかもしれない。
何にせよ、お客さんに茶碗や味噌汁椀で茶を出すのはよくないと思うのだ。
「小野くんの社割で1つ70円のコップを買えたら、ほどほどのお茶っ葉も買いにいこう」
買いもののあとは鳥獣腐戯画の展覧会に行くことになっている。
商店街のお茶屋さんは、異様に早く店じまいすることで有名だ。
閉まる前に戻ってこなくてはと、連が入口の時計を見上げたときのことだ。
「すみません、先生。遅れてしまって」
向こうの通りから長身の青年が駆けてきた。
信号待ちをしている数人が思わず振り返るほどの整った容貌と、涼やかな表情。
小野梗一郎だ。
まっすぐこちらに向かってくるその姿に、蓮は一瞬みとれてしまった。
「すみません、今日は授業にも出られなくて。バイトが長引いて……」
「バイトって荒物屋さんの? それなら、わざわざここまで来てくれなくてよかったのに。言ってくれたら俺が直接お店に行ったのに」
「いや、早朝バイトでスーパーの品出しをしてるんですけど、交代要員が遅刻してなかなか抜けられなくて」
肩が激しく上下に動いている。
ここまで走ってきたのだろう。
申し訳ないなぁと、蓮はその肩をぽんぽんと叩いた。
「俺も苦学生だったから分かるよ。大学に行きながらバイトをいっぱいしてたんだ。お世話になった先生がいて、その人がいなかったら卒業できてなかったと思うよ」
だから小野くん、君も俺に頼るといいよ──なんて、いかにも頼りない調子で言われて、しかし梗一郎は目を細めた。
「ありがとうございます、先生」
「今日の講義は、前回の新選組を掘り下げたものなんだ。新説も交えて紹介したから、新選組についてBL学的見地から述べよなんて小論文が出ても応用がきくと思うんだ。副長土方をめぐる……」
受けられなかった講義の内容をつらつらと述べ始めた蓮に、梗一郎が慌てて手を振ってみせる。
「いいですよ。今度モブ子らにノート借りますから」
「何言ってるんだい。先生が教えてあげてるっていうのに。それとも俺の講義はつまらないかい?」
「そ、そんなわけないです。ただ……」
「ただ? なに?」
つと、梗一郎の視線が泳ぐ。
「その、BL学そのものがその……」
「なに? つまらないって?」
「そ、そうは言ってません。先生のお話、面白いです」
整った顔立ちの学生を、蓮はじとっとした目で見上げた。
「じゃあ尚更しっかり説明しなきゃだね。俺は君を夢中にさせるって言ったじゃないか」
「それだったら、とっくに夢中だって僕も言いましたよね」
薄茶の瞳にまっすぐ見返され、蓮は頬が熱くなるのを感じた。
「ち、違うよ。俺にじゃなくて! BL学の面白さに夢中にって意味で……」
「先生、どうしたんですか? 顔が赤いですよ」
「あ、赤くないよ!」
30歳の虚勢は、しかし若者には通じてはいないようだ。
自らの頬をパンッと叩く蓮を、梗一郎は不思議そうに見やった。
「まぁ、たしかに先生から教えてもらったほうが確かですけど。モブ子らのノート、ひどくて」
「モブ子さんたち、いつも熱心にノートをとってくれてるけど?」
「授業内容よりも、●●
ピー
の絵が描かれていて」
「ぴーって何だい?」
「……興味持たないでくださいよ。先生は知らないほうがいいんですから」
何だい、何だい、教えろよと喚きだした30歳の気をそらせるため、梗一郎は露骨に話題を変えようと試みる。
「それにしても今日も荷物が多そうですね」
手に持つと失くしてしまうからと、蓮はリュックを愛用している。
彼の背丈にしては大きめのリュックの紐が、ズシリと肩に喰いこんでいた。
「これは提出物だよ。検定対策の講座だからとくに課題は出してないんだけど、モブ子さんたちが自主的にレポートをまとめてきてくれるんだ」
「モブ子らが……はぁ」
「前々回の主従の講座の感想を、素敵なイラストにしてきてくれたんだよ」
ちょっと見てごらんと、リュックを下ろして取り出した冊子には「モブ山イチ子」の名が。
「……圧倒的に見たくないという気持ちが強いんですが」
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