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ベル様と共に、私は初めての社交界の夜会に参加していた。
煌びやかなクリスタルのシャンデリアが天井から降り注ぎ、会場は宝石を散りばめたような輝きに満ちている。
きらびやかなドレスをまとった令嬢たちが扇の影で艶やかに笑い、正装した紳士たちが威厳を湛えて談笑する。
私はベル様の隣で、場違いではないだろうかと少しばかり緊張していた。
けれど、彼がエスコートする手に力を込め、優しく背中に手を添えてくれるたびに、その熱がドレス越しに伝わり、私の心は不思議と温かくなった。
そんな中、出席していた公爵にベル様が呼ばれ、どうしても席を外さなければならない状況になった。
「すぐに戻る。……あまり、遠くへ行かないように」
子供を諭すように念を押された。
ほんの少しの間だと思った私は「分かりましたわ」と微笑んで、壁際で彼の戻りを待つことにした。
ベル様の姿が人混みに消えて数分後、一人の見慣れないが、整った顔立ちをした貴族の男が私に近づいてきた。
「おや、こんなに美しい方が一人でいらっしゃるなんて。もしよろしければ、私と一曲、いかがですか?」
にこやかに、手慣れた様子でダンスに誘われたが、私は戸惑いながらも丁重に断った。
「申し訳ございません。先約がおりますので」
しかし、その男は引き下がるどころか、親しげに距離を詰めてくる。
「先約ですか。それは残念。それにしても……貴女の髪、夜の湖のようにとても綺麗ですね」
そう言うと、彼は私の制止を待たずに強引に後ろ毛に触れてきた。
話を終える素振りが無いどころか、瞳には明らかに私を口説こうという不埒な色が浮かんでいる。
「せっかくの機会ですから、一曲くらい。主も許してくれますよ」
「で、ですから…お断りをと……!」
私は不快感を露わにして距離を取ろうとしたけれど、彼はさらに踏み込み
ついには逃げられないよう私の二の腕を強く掴んできた。
その瞬間、私の背筋に鋭い氷が走るような嫌悪感が駆け巡った。
恐怖と拒絶感でどう反応すればいいのか分からず、私はその場に硬直してしまった。
男の指先の感触が、悍ましくて仕方ない。
そうして膠着状態になり、私が助けを求めて周囲を見渡そうとした、その時だった。
スッと、私の体が背後へ力強く引かれる。
同時に、背後から温かくて、けれど岩のように強固な腕が私の腰に回された。
「……すみませんが、彼女は私と踊る予定ですので。お引取り願います」
聞き慣れた、けれど今までで一番冷たい、地を這うような低い声。
ベル様だった。
彼は私の体を庇うように自分の背中側へと引き寄せ、高い位置から貴族の男を冷徹に睨みつけていた。
その瞳の奥には、いつも私に見せる穏やかな光など微塵もなかった。
そこに宿っていたのは、まるで侵入者を容赦なく屠る獣のような、剥き出しの「圧」と殺気。
男は顔を真っ青にして、「ひっ」と喉の奥で小さな悲鳴を上げると、弁解の言葉すら忘れて、一目散に逃げるようにその場を去っていった。
私は、あまりの出来事に呆然としながら、私を抱きしめたままのベル様を振り返った。
「ベル様! 助けてくださって、ありがとうございます……」
震える声で感謝を述べると、彼は私を離さず抱き寄せたまま、不機嫌そうに眉根を深く寄せた。
「……全く、キミは警戒心が無いのか」
「し、失礼ですね、それぐらいありますよ!ちゃんとお断りしましたし…」
思わずムキになって反論したが、ベル様は私の言葉など聞く耳持たず、ため息交じりに言い放った。
「いや、ゼロだ。ああいう輩には、もっと明確に、容赦なく拒絶の意思を示すべきだ」
私は唇をツンと尖らせながら、拗ねたように「……わ、わかりましたよ」とだけ返した。
確かに言い返す言葉がないのは事実だけれど、無事に助けてくれた彼に頭ごなしに否定されるのは、どこか悔しい。
ベル様の言うことは正論かもしれないけれど……。
でも…
あの貴族に触れられた時、背筋が凍りつくような嫌悪感が駆け巡ったのは本当だ。
そして、その汚されたような感覚を瞬時に払拭してくれたのがベル様だったことも。
あの時、私を背負って立っていた彼の背中が、どんなに大きく、頼もしく見えたことか。
会場を後にし、帰りの馬車に揺られる二人。
ベル様はずっと腕組みをしたまま、流れる窓の外の夜景を、忌々しげに不満そうに睨みつけていた。
その横顔は、出会ってから初めて見るくらいに苛立っていて……。
私は車内の重苦しい沈黙に耐えかね、思わず、少しだけ冗談めかして彼の機嫌を伺ってみる。
「もう……ベル様、そんなに私に怒っていられるんですか……?」
ベル様はちらりとこちらを射抜くように見てから、再びため息混じりに呟いた。
「別にキミに怒っているわけじゃない。ただ……」
そこで言葉を切り、再び黙り込む。
何か、喉元まで出かかった言葉を慎重に選んでいるようだった。
「……ただ?」
私がじっと続きを促すと、彼は視線を逸らしたまま、珍しく弱々しい、どこか切なげな声で続けた。
「……あんなふうに、知らない男にベタベタ触られているキミを見ると、無性に腹が立つ」
その予想外の告白に、私は拍子抜けしてしまい、思わず「えっ」と間の抜けた声を上げた。
冷徹な彼が、まさかそんな風に感情をかき乱されていたなんて。
「もう……そんな、まるで子供のヤキモチみたいな……」
私が小さく呟くと、ベル様は逃がさないというように私の目を真っ直ぐに見つめ
一転して、逃げ場のない真剣な声色で言った。
「……嫉妬深い男は、嫌か」
ドキン、と心臓が大きな音を立てた。
ベル様の隠そうともしない、素直で重厚な言葉。
それが嬉しくて、嬉しくて、胸の奥が震える。
その瞬間、ガタゴトと響く車輪の音も遠のき
世界から音が消えて、馬車の中には私たちだけの密やかな時間が流れた。
私は恥ずかしさと、それを上回る幸福感で顔が熱くなるのを感じながら
「……え、えっと……嫌じゃ……ありません、けど」
なんとか絞り出すように答えると、ベル様の真剣な眼差しがさらに深く私を捉え、私の頬は一気に沸騰したように熱くなった。
まさか、あのベル様がこんなに直接的に「嫉妬」という独占欲をぶつけてくるなんて……。
言葉に詰まり、耐えきれずに目線を泳がせてしまった。
すると、ベル様は私の赤い頬にそっと、羽が触れるような手つきで触れ、顔を覗き込んできた。
「……珍しい。キミも、そんな風に赤くなったりするのか」
からかうような声音。
けれど、私を見つめる瞳の奥は、熱を帯びた真剣そのものだった。
頬を撫でる指先すら、壊れ物を扱うように優しくて、私の心臓はもう限界までバクバクと脈打っている。
「か、からかうのはやめてください!」
私は慌てて言い返すが、至近距離で見つめてくるベル様にはどうしても敵わなくて。
「……からかってなどいない。ただ、キミがあまりにも新鮮な表情をするから、目が離せないだけだ」
その甘すぎる言葉と、触れる指先から伝わってくる彼の体温。
私の顔はもう、真っ赤に茹で上がってしまった。
馬車の揺れも、窓の外を過ぎゆく月明かりの景色も、もう何も頭に入ってこない。
(ああ……やっぱり、今日のベル様は普段よりずっと強引で……狡い)
ただの、政略結婚で売られてきただけの妻にまで、こんなに熱い独占欲を向けるなんて、ズルすぎる。
そう思いながらも、心の中で密かに、弾けるような嬉しさが止まらなかった。
私の心臓は、ベル様の力強い独占欲に優しく包み込まれて、いつまでも激しいリズムを刻み続けていた。